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努力とあるがまま2

前回(努力とあるがまま)の内容を踏まえて、人間関係における満足できない過食状態を考えて見たいと思います。

まずは、前回の食事についての部分を振り返ってみましょう。

しかし多くの場合、過食してしまう人の食べ方は、一気に流し込むように食べてしまったり、あるいは何か他の事をしながら寂しいからといって惰性で口に運んでいたり、食事そのものに充実感を感じていないことが多いのです。
このような食べ方では、その時々で充分に食事を取ったという充実感を味わってはいないでしょう。
ですから、いくら食べても食事に対する満足感がないため、量的には沢山食べていても欲求の方は不満足なままで残ってしまうということが起きてしまうのです。



ここでいっている満足できない食事の特徴を挙げてみましょう。

1.本来の欲求(食べること)自体に全面的に入り込めていない。
2.習慣的に繰り返している。
3.毎回満足感がなく、やり残した感情が蓄積されていく。
4.何かの代償としてやらずにいられない思いがある。

つまり本物の欲求を充足しようとする行為ではなくて、代償行為のようになっていて、満足感が得られないという特徴があるのです。


人との交流においてこのような特徴をうまく表しているのが、エリック・バーンが交流分析で唱えているゲームの交流です。

交流分析におけるゲーム交流の本質とはこういうものです。

1.表面的にはもっともなやりとりをしているが、その裏側では実際の狙いである裏面交流が行われている。
2.ゲームの終了時には、両者あるいは片方の人がいやな感情を体験することになる。
3.通常参加者の両方が無意識にその役割を果たすことに加担している。
4.言葉で行われている交流内容は本質ではなく、裏面交流の結末こそがゲームの目的である。

たとえば、子どもが母親のことをこのように思い描き、人生に対して構えを持っているとします。
「いつも「勉強しなさい」とか、「?しなさい」「?してはいけません」とうるさく言ってくる。
僕はそれでいつも頭に来るんだ。他人とは自分を制約するやっかいな存在である。僕は被害者で、定期的にイライラさせられるのに耐えないといけないんだ。」

叱る母親


1.子どもはゲームやTVに夢中になって楽しんでいる。
母親:「今日は宿題やったの?」
子ども:「まだだけど後でやるよ。」
2.しかし、子どもはいっこうに宿題を終わらせることはない。
文句を言われることを予想しながら好きなことをやっていようとしているから、そのうちどっちつかずでイライラが貯まってきている。
この態度は、母親に向けては「宿題をやっていないことに文句を言ってみろよ」という秘密のメッセージを送っていることになる。
3.秘密のメッセージに母親が反応する。
母親:「どうしていつもやるって言いながら宿題をやらないの、ホントに口ばっかりで!」
4.最後に参加者はいやな感情という報酬を受け取る事になる。
子どもは、素直に宿題やらないことに罪悪感を持ちながら、責め立てる他人に怒りを感じる。
いつでも他人は自分を責め立てるという構えをより強化するかもしれない。

母親はどこまでゲームに関わっているかはこれだけではわかりません。
単にゲームに巻き込まれて妥当な批判をしただけなのかもしれませんが、多くの場合母親の方でも自分のゲームの中での役割を自分のものとしているものです。
たとえば、「人は言ったことを守ってくれない。期待してもいつも裏切られるからイライラする。このイライラが貯まってしまうと、いつかカミナリを落とさないといけなくなるのよ。」といった具合です。

客観的に見れば、わざわざいやな感情をもたらす交流を作り出すのは不合理な話です。
しかし人とのかかわりが他の方法で持てないのなら、今まで使い慣れたやり方で、いやな感情であっても交流を作ろうとしてしまうのがその理由なのです。
無視されてしまうよりは、たとえば怒りをぶつけていた方がまだましというわけです。

宿題というイベントについては、他の交流も考えられます。
母親:「今日は宿題やったの?」
子ども:「これからやろうと思ってるんだけど、あの先生宿題をいっぱい出すんだよ!」
母親:「そうなんだ。あんまりいっぱいあると手をつけるのがいやになっちゃうね。」
子ども:「しかたないけど、やるしかないか。」

子どもも成長してくると、なかなか細かいことまで話したがらないかもしれません。
また自分の意志でやろうとしているのに、先に言われると嫌がるかもしれません。
しかし、そういったことと人生に対する構えは、また別の問題です。

結果として、怒りや悲しみを感じたり、不安になったり罪悪感を抱くようなら、そこにはゲームが行われている可能性が強いと言えます。
きっかけは誰にも罪のないものだったとしても、ゲームを繰り返すことは、だんだんと自分の役割や構えを強固なものにしていきます。

レストラン食事女性


ゲームは、満足感のない食事と同じようなものです。
本当に求めている相手からの反応は、いつまでも得られません
かわりの偽物のやりとりでは、いやな感情と充分に満たされない思いを得られるだけなのです。
そのために、まだ足りないという思いから、相手を見つけてはゲームを仕掛けるのです。
あるいは、よりゲームをエスカレートさせると、いつか満足出来るんじゃないかと勘違いしてしまうのです。

そうではなく、本当に自分が欲しいと思っているのは、どんな相手からの反応であるのかを素直に認めなければならないでしょう。
怒鳴り散らして一時的にエネルギーを発散しても一時的なガス抜きにしかなりませんが、本当の交流が持てたと感じられれば、ゲームの交流がいかにむなしいものかが見えてきて手放そうという気にもなるものです。

母親は「人はいったことを守ってくれない。期待しても(努力)いつも裏切られるからイライラする。自分ばかり我慢している(努力)のに、どうして誰もわかってくれないんだろう?」と思っているかも知れません。
ところが、ここで登場する「努力」は皮肉にもゲームを強化する方向に働いてしまいます。
努力すればするほど、イライラは貯まっていきます。

間違った方向の努力は、あなたをますます目的から遠ざけてしまいます。
こじれてしまった意地の張り合いは、努力を放棄するときに解決に向かいます。
自分からプライドを捨てて正しさを引っ込めれば、いつまでもこだわっていじけている人達を眺めながら、あなたは自分の欲しいものを手に入れることが出来ます。

いばるブルドッグ


プライドとは間違った方向の「努力」の象徴です。
失うほどあなたは自由になり、より本物のほしいものを探すことに目を向けることが出来ます。

ゲームを捨てられないと、あなたはゲームを仕掛ける人達に容易に飼い慣らされる存在になってしまいます。
そのとき、あなたは無意識に自分を「いじめて」くれる人を捜し求めているのです。

あなたが欲しいのは、ゲームのルールを守るような人間関係ではなく、ありのままのあなたを受け入れてくれる関係ではないのですか?
だとすれば、まずは自分がゲームを仕掛けない人にならないと、求める人にはいつまでも出会えないことになりますね。

ドラマを見ながら「どうして主人公はあんなことを言ってしまうんだ」とやきもきすることはないですか。
同じように、あなた自身の演じるドラマを外から観察したとしたらどう思うでしょうか。

慣れていたゲームをやめることは、自分自身からの抵抗があるし、いつも相手をしていた人からもやめないように圧力がかかります。
自分が先に折れるのは損じゃないかと感じたり、弱さを見せると相手に負けるんじゃないかと感じてしまうのは、まさにあなた自身がゲームの中に入り込んでいる為に起こってくる抵抗なのです。

自分が変えることができるのは自分だけです。
しかし自分が変われば、まわりの人を変えていく力にもなるのです。


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目標達成という脚本

人生脚本 - 交流分析」ではエリックバーンの脚本を紹介しましたが、現代人が多かれ少なかれ共通に抱いてしまっているのが「目標達成」という脚本です。

この脚本は、まず目標が決められ、あとはそれに向けていまの自分はどうであろうとも、将来の目標達成に役に立つことに専念しなさいというものです。

ここでは「いま」という時や、「いま」の自分は重要ではなく、すべては将来の目標というゴールに行き着くための布石でしかありません。

あなたの幸せはゴールに到達するまで先延ばしにされ、しかもゴールに至って初めて成功か失敗かがわかるという過酷なものです。

「目標をしっかり立てておけば、あとはそこに至る為のサブの目標を達成していけばいいので、失敗がなくゴールに到達するまでその過程を楽しんでいればいいのです。」

こんな言い方をされると、いかにももっともだと思えてしまいます。

またこのような考え方が、知らず知らずのうちに私たちの常識的な考え方として染み込んでいっているようです。

しかしこの脚本は批判的に見れば、大きな問題がいくつも含まれることに気づくでしょう。

・結果が出るのは先のことであり、それもいい結果であるとは限らない。
・いまを犠牲にすることを強要する。
・ゴールに至るまでの自分の行動は布石でしかなく、いまを充実させるという考えを持ちにくい。

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短い期間であれば、これも効率的な戦略であると言えるでしょうが、ゴールを素晴らしい物だと見せつけて「いま」を犠牲にする生き方を強要するやり方は、いずれ途中で不満を募らせることになるのは明らかです。

目標達成型の脚本を信じる人は、いまを充実させることに懐疑的であり、ストイックに目標に向けて自分を律することが正しい生き方だと信じたがります。

いまが良ければいいとするのは、刹那的な生き方で望ましくないと考えます。

ところで先程の問題点の他にも、別の視点を追加するともっと別の問題があります。

それは、先のことは分からないものであり、不確定な要素は必ず存在するものであるという事実の扱い方です。

目標達成型の脚本では、不確定な要素はどうにもならないから、そんなものは見てもしょうがないといって避けているように思えます。

「いまできることは予測に基づいた計画を進めることがすべてである。他に出来ることはない。」
これのどこが間違っているのだと主張しながら、不確定な要素には取り組む余地がないと逃げています。

不確定な要素の影をみるたびに、さらに計画を練り直し充実させることで、それを消せるとでもいうように。

しかし、不確定な要素は一定の割合で存在します。

そこには計算外の事態が起きたときにそれを積極的に受け入れる姿勢や、計算外のハプニングを楽しむといったことが無視されているのです。

かけっこ1


それでは新しい観点「いまがゴールでありそれ自体が目標である」ということを考えてみましょう。

最初から目標を立てることを諦めてしまえば、目標に縛られて無理することもなく、いまここで起きていることが目標でありゴールとなるわけです。

そこで起きることは、もはや想定内でも想定外でもありません。

起きることを予め選ぶことをしない代わりに、予定外のことも起きてきません。

今回も計画通りに進まなかった、目標を達成できなかった、明日までに目標に到達出来るだろうかと思い悩むくらいなら、目標など立てない方がいいとも考えられるのです。

そもそも、なぜ未来に結果をあずけるような考え方が主流になり、それに疑問を持たなくなっているのでしょうか。

最初は計画的に実行することが効率がいいと経験から学んだり、そうしなさいと教えられたわけでしょう。

そして確かにそれが功を奏することも多いのかもしれません。

しかしそこには密かに「世界を予測出来ることばかりにしてしまいたい」という願望も潜んでいます。

それは、予定外の事態を恐れるという余計なことを作り出してしまうのです。

なんにしても私たちは予定を立てることがいい結果を生むことも、余計な心配を作り出すことも経験的に知っているものです。

その上でどれだけ「目標達成」の脚本に従うか、あるいは「いま」の自分が主役であるとして生きてみるかを自分で選択することが出来ます。

「いまがゴールでありそれ自体が目標である」という新しい視点。

そこに自由さと開放感を感じないでしょうか。

偶然起きることを楽しめるかもしれないというワクワクする感じがしないでしょうか。

普段から「目標達成」の脚本にどこまで縛られていたかが見えてこないでしょうか。

「世界を予測出来ることばかりにしてしまいたいという願望」があることや、それにまつわる不安を感じとるでしょうか。

予定外の出来事に対する不安と期待の両方を感じられないでしょうか。

そしてなにより、「目標達成」という考えが後から付け足された考えであり、本来いまがゴールも目的もないすべてであったことを思い出さないでしょうか。

いまのあなたは過去の目標だったかもしれませんが、いつだろうといま現在の視点から見ればそれは目標でもありゴールでもあるのです。


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人生脚本 - 交流分析

交流分析でいう脚本(Script)とは、幼い頃に外的な出来事にどうのように反応し解釈したかを元にして、結論づけてしまった個人の人生プランのことを言います。

このような脚本が作られるのは、子供は非常に幼く、何が起こっているかを理解する判断力が充分でなかったり、両親の影響をきわめて強くまともに受け取ってしまう立場にあるためです。

執筆女性


エリック・バーンは人が従いやすい脚本パターンとして以下のようなものをあげています。

1.「決して(?してはいけない)」
この脚本パターンを持つ人は、普通のことは行えても、自分が一番望んでいることは決して行ったり思ったりしてはいけないと考えてしまいます。
自分の一番の望みは無意識に考えることさえ避けてしまいます。

こどもにとって自分が一番やりたいことを禁じられた経験が強く刻まれてしまったのかもしれません(例えそれが危険なことだから親が禁止したとしても)。
あるいは、親自身が自分を自由に表現することを禁止されて育ったことが関係するかもしれません。

2.「いつも(?していなさい)」
この脚本は1とは正反対に、いつも同じことをやり続けなければならないというものです。
いつでも働いていないといけない、一ヶ所に落ち着かずにいつも引っ越しをしてしまうなど、同じことを繰り返してしまうパターンです。

3.「?までは」「?の前に」
「宿題を終わらせたら遊んでいいよ」といわれた子供のように、特定の時期が来るまでは報酬が得られないとか、何かを終わらせるまではお預けという脚本です。

このような人は、仕事熱心な人かもしれません。
しかしひとつの区切りが来ると、ほっとする暇もなく次のゴールが目の前に立ちふさがるのです。

4.「?の後では」
この脚本は、特定の出来事やその区切りが付いたときに、後にやっかいなことが待っているというものです。
特定の年齢になったら、後はいいことが待っていないと思い込んだり、楽しんだ後には苦労が待っていると信じてしまいます。

結婚するまではハッピーだが、結婚後はつらい人生が待っていると信じる人もいるでしょう。

5.「繰り返し繰り返し」「ほとんどもうちょっとで(できたのに)」
この脚本では、けっして成功したり、完結することがありません。
仕事が終わろうとしていると何故か追加の作業が発生するのです。

「成功」というゴール寸前で自分から積み上げたものを壊してしまうかも知れません。

6.「終わりのない」
この脚本では、ある時期が過ぎた後に何が待っているのかがわかりません。
そのかわり、先が知らされないのに、後になってこれはもっと早くやっておくべきだったと後悔しなければならないのです。

子育てが終わって子供が家を出てしまってから、自分がこれから先どうすればいいか焦り出したり、定年退職後の人生で何をしていいのかわからないといった場合もあるかもしれません。。


「決して(?してはいけない)」や「終わりのない」という脚本は、常に「もっと努力する」ことを要求されます。

脚本は自主的に選択を許さないところに問題はありますが、表面的にはメリットがないわけではありません。

このような脚本はワーカホリックを生み出すかもしれませんが、一方でそのような脚本を持たない人から見れば、仕事の区切りがつくやいなや次の仕事のことを考えているその態度を尊敬の目で見るかも知れません。

問題は、常に駆り立てられて潰されてしまわないように、その人が自分を解放出来るかどうかにかかっています。
「これだけやったらOK」という許可を自分に与えられるようにすることが必要です。

「いつも(?していなさい)」や「?までは」の脚本では、「完全であれ」ということが要求されがちです。
「完全であれ」という要求は、何をやっても満足出来ず、自分の判断に常に疑いを持つことになってしまいます。

このような要求には、「自分自身であってもいい」という許可を与えられることが必要です。

「?の後では」や「ほとんど」の脚本では、自分自身のことを考えずに相手を「喜ばせろ」という要求が伴いがちです。

このような要求に対しては、自分自身のことを考えて、自分を大切にしてもいいという許可を与えられることが必要です。

「いつも(?していなさい)」の脚本は、いつも「強くあれ」とか「急げ」という要求が含まれるかもしれません。

「強くあれ」という要求は、自分の弱さや自分らしさを表現することを押さえつけます。
また、自分自身の欲求を素直に満たすことに困難を感じるものです。
自分をオープンにしたり、自分の欲求を満たしてもいいよという許可が必要です。

OKお母さん


いつも仕事がある程度のところまで進んでいながら、もう一歩で何故かそこから立ち去ろうとしている自分に気づいたら、自分に「成功する」ことを禁じているのかもしれません。

何故そんな不合理な行動が無意識に行われてしまうのか、それに気づかせるという意味では、このような「人生脚本」という考え方が新しい視点を与えてくれるかもしれません。

しかし、どのような脚本を持っていたとしても、肝心なのは本来の自分は脚本にかかわらず存在することに気づくこと、そして自分自身を取り戻す決心をすることです。

人は非合理的な行動をするものであることを認識して、そのような強制に従わずに、あくまで本来の自分の存在と接点を保とうとすることです。

また「存在すること」「自分の感覚をもち、それに気づくこと」「感じること」「考えること」「自分自身であること」「成功すること」などを自分に許すことが、こうした脚本や何となく聞こえてくる強制的な要求に対抗するための手がかりになります。

またついでに付け加えると、このような知識も、自分は脚本にはめられているとか、自分は犠牲者だからという姿勢をとってしまうのでは逆効果です。

それは新たに「犠牲者」のゲームを演じることであり、あなたを解放するためには足かせになりかねないということに注意する必要があります。


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決断すること

「わたしは決断するのに時間がかかる」「決断することに自信が持てない」と悩んでいる人は意外と多いかもしれません。

あの人は決断力がなくてなかなか決められないとか、自分は決断が遅いので悩んでいるとか言った具合です。

社会的には、決断が早いことは、決断できないより望ましいと考える場合が多いでしょう。

では決断に自信が持てないとはどういうことでしょうか?

あるいは、決断とは実際何をしていることなのでしょうか。

決断という一つの言葉で表される現象(あえて行為と言わずに)には、大きく言えば2つに別れます。

(A)これから決断しようと構えてから、決定すること。
(B)結果的に何かを選んでいたことに気づき、それを自分が選んだのだと説明すること。

クラブを選ぶ


一般には、Aのことを決断だと考えていますが、Bについても他の人に訊かれれば自分の決断であると言わざるを得なくなります。

このような事情があるなかで、「(C)自分が決断したことに責任を持つ」という考えを取り入れようとすると、実は混乱や困惑が発生してくるのです。

Cを認めることは、Bによって選んだことも自分の責任であると認めなければなりません。

しかし、結果的に自分が選んだことになるけれど、それに責任を持てと言われても困る場合もあるでしょう。

自分としては、大して理由もなく選んだことに対して、「それを選んだ理由は何ですか?」と訊かれても困るというものです。

四六時中、自分の責任を突きつけられたのでは、堪ったものではありません。

一方で、「自分は決断力がある」、「自分は決断が早い」ことを自己イメージにしていて、中にはそれを誇っているという人もいるでしょう。

それを見て決断がなかなか出来ない人は、「自分もあんな風に決断力をあったら」と悩む人もいるのです。

ところで、「決断とは実際何をしていることなのでしょうか」という点に戻りましょう。

その状況に置かれたあなたは、あれかこれかを選択します。

これがあなたが出来るすべてです。

その後の結果は、あなたの思ったとおりになるかも知れませんし、そうでないかも知れません。

結果や、他の人の行動までコントロールすることは出来ません。

また自分の考えですら、いつもあなたの思うとおりではないでしょう。
「何でこんなことをしてしまったんだろう」これこそが、後悔という言葉の意味です。

あなたは、さまざまな環境からの条件付けによって、自分の選択すら左右されています。

そんな不完全な自由意志の中で、「私の決断」が行われているわけです。

そのように考えれば、AかBかは、それほど明確なものではないことが分かると思います。

また「私が自分で決断した」という言葉は、100%あなたの意志であるとは言い難いのです。

決断とはそういうものでしかないと考えれば、あれこれどちらにするか迷うことはあまり意味がないことに思えます。

迷っているという状態もまた、あなた次第で起きていることなのです。

あなたが迷うことをやめようと考えを修正すれば、途中まで考えたら後は起きるにまかせようとあずけてしまうことも出来る様になります。

考える博士


どのような言葉で表現しようと、決断が早い人が行っているのはそういうことです。
決断の早い人だけ、特別に未来が見通せたり、コントロール出来ることが違っているわけではありません。

いつまで考え続けても、100%結果を保証する方法は見つかりません。

自分なりに、ここで考えはストップと決めてしまうきっかけになるものを見つけてみるのです。

それは言葉では表しにくいことかもしれません。

この程度の予想がついたら、あとはおまかせにする習慣を作り出してみるのです。

ところで、最近は「自己責任」という言葉がよく使われます。

「自分で選択する自由を与えます、だから責任も自分でとりなさい」ということです。

一見非常に妥当な考えに思えます。

しかしそれには、誰であろうと同じだけの決定能力に恵まれていることが前提になります。

また、自分で判断しやすいこと、自信のないことは人それぞれ違います。
それでも、「自己責任」という言葉は、それを考慮してくれません。

「自主性にまかせて、とことんやらせてみる」
これが正しい場合もあるでしょうが、いつでも正しいとまでは言えません。

この考えが進みすぎると、結果が出るまで口出ししないでおこうという考え方になります。

しかし、それは時に両者にとって不快感で終わらせる交流を生み出します。

叱る母親


エリック・バーンが「さあ、つかまえたぞこの野郎」と呼んだゲームの交流です。

この原型は、このようなものです。
子どもが母親にわざとしかられるような行動をとって挑発します。
母親は挑発されているのを半分気づきながら我慢を続け、最後は「さあ、つかまえたぞこの野郎」と怒鳴るに至るのです。

口出しするのはよくない、すべて「自己責任」だというもっともな考えに後押しされて、相手が失敗しそうな気配を感じながらも、おせっかいをやかずに待ち続ける。

結果が失敗に終わると、「やっぱりダメじゃないか」と非難する側に廻るのです。

最近はこのようなことをやって、結局誰もいい思いをしないという社会になっていないだろうかと思ってしまいます。

おせっかいだと言われようと、相手が失敗する前に口をはさむような人が、以前より少なくなっているのではないかと感じるのです。

「やっぱりダメじゃないか」と後から指摘しても、誰もハッピーにはならないのです。

そして、そんな社会だと人は自分で決断することがだんだん困難になります。
その結果、外部に決断の拠り所を探したくなるのです。

情報だけは、とんでもなく豊富になりましたが、余計に自分の拠り所は見つけるのが難しくなります。
自分に頼ることを思い出さないと、情報の渦に巻き込まれてしまいます。


ちょっと話がそれてしまいましたが、決断することとは、言葉が表すほど自由な決定力は誰も持っていないのです。

やってみないと分からないのが現実です。
自分ならそれが分かるというような人に惑わされずに、現実を自分で見ることです。

どこで考えるのをストップして行動するか、すこし違った見方で考えてみてはいかがでしょうか。



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自分に許可を与える

チャーリー・ブラウン

「朝、今日もマヌケなことを、絶対やりそうだって思いながら、目が覚めることってあるよね」

「そこで、朝ごはんを食べに、キッチンへ行って...」

「パンケーキを食べてるんじゃないってことをうっかり忘れて、コーンフレークにパンケーキのシロップをかけちゃうんだ...」

「とにかくマヌケなことが、ひとつ終了すれば、一応ホッとする!」



お手上げの子供


チャーリー・ブラウンとは逆に、自分になにか素晴らしいことが起きそうな期待がある、そう思った瞬間、ついついそれを躊躇してしまっていることはないでしょうか。

「あまりいいことが起こると、そのあと悪いことが待っているんじゃないか」とか、妙に疑いを感じてみたりします。

あるいは、そこまで行かなくても、チャーリー・ブラウンのように、間抜けな失敗をしてしまうことで、何かこんなものだと落ち着いてしまう。

あまりいい気分になると、悪いことが起きる様な気がしてしまう。

これらは、別に根拠があってそのように考えているわけではなく、自分の気分の習性といったものがもたらすものです。

例えば、子どもの頃、家の中で夢中になってはしゃいでいると、「うるさい!」だとか「危ないから、やめなさい!」など突然、親から叱られることを経験していないでしょうか。

親の様子を見ていて、「これ以上やると叱られそうだな」と予想している場合はいいのですが、親の気分はこどもには責任を持てませんから、突然カミナリを落とされたりしてしまうのは、防御しようがありません。

このような、状況と気分、感情がセットになっていて、それが呼び覚まされると、大人になってからも、こんなにうまくいって喜んでいると、何か起こるのではないかと思わせてしまうのです。

このような、子どもの頃に身につけてしまった、おなじみの感情(その多くは不快な感情である)は、ふとしたきっかけで蘇って、いまここでの現実をそのまま見るかわりに、その感情とセットとなっている状況を再現しようとします。

エリック・バーンは、このような感情をラケットと呼んで、その状況を作り出すような、現実の替わりに行う人とのやりとりをゲームと呼んでいます。
ここでは、それについては、深く触れませんが、興味のある方は、「交流分析」、「ゲーム」などを調べて見るといいでしょう。

次にラケットとは、「今?ここ」を考えるA(Adult)の思考よりも、子供のころに形成した脚本による行動である。そしてこの行動は、ラケット感情(幼い頃に感じ慣れた感情)を体験し、現状起こっていることを内部的に正当化するために、(1)実際の問題の解決というより、脚本に行動をあわせるために環境を操作する、(2)埋め込まれているゴールは、問題を解決するためにはさほど良く働かない、といえる。

ラケットは、子供の頃に経験した感情による行動を取り、一般的に、それらは苦しいと感じているにも関わらず、意識の外で起こるものであり、また誰かのせいで発生したと思われている。そして、その報酬は、子供の頃からの脚本である「人々はいつもボクを失望させる」という証明になり続け、いっそうその考えを強くしていくのである。 つまりラケットとゲームとは、ある環境で得たラケット感情を正当化するために使われる装置であり、結果、子供の頃の脚本はより強固なものになるといえる。
交流分析 - Wikipedia


要するに、私たちは、いまここでの、変わりつつある現実を、ありのままに見て反応する普通の行動以外にも、過去の記憶に縛られて、おなじみの感情と状況を再現してしまうような行動を、無意識のうちに行ってしまうのです。

その結果、待っている現実は、「やっぱり私は○○な状況に陥ってしまうんだ」ということを証明することになり、慣れ親しんだいやな感情に浸ることになってしまいます。

チャーリー・ブラウンは、このことを意識していたようですが、「とにかくマヌケなことが、ひとつ終了すれば、一応ホッとする!」という結末を向かえるのです。

うつむく


しかし、肝心なことは、脚本にしろ、過去の記憶にしろ、今存在するものではないので、これらにとらわれずに、現在の出来事に沿って行動することを取り戻した方がいいわけです。

それには、このような自動的な感情のセットに自分で気づくことが、必要になります。

その気になれば、「自分がどういう感情でいることが多いか」を知るのは難しくないはずです。

現実でなく、代理の偽物の交流を選ぶのをやめて、自分の今の判断を信じてもいいのだという許可を与えることで、本物の感情や行動を取り戻せます。

「今日もマヌケなことを、絶対やりそう」というのは、過去の筋書きであって、自分はもうそれに従う必要はないと宣言することです。

それから、注意したいのは、このような「許し」は、楽しい気持ちが似合っています。

深刻に、「過去の亡霊を退治する」というように振りかぶってしまうと、逆に罠にはまってしまいます。

悩むことの悪循環の原因、そのひとつは、深刻なまま解決を探してしまうことです。

深刻さは、悩みの原因のメンバーですらあります。

気楽な気持ちで、「なんだ、過去のパターンに引きずられただけじゃないか!」という感じで軽く扱うのが、うまく脱出するコツではないかと思います。

また、「自分には過去のトラウマがあるから、うまくいかないんだ」とか、「自分には特別な事情があるんだ」などと言い訳するのは、逆効果でしかありません。
大事なのは、いまの自分の決意なのです。

ルーシー(大声でさけぶ):
「ワァーン!」
バイオレット:
「ルーシー、いったいどうしたの?私に何かできて?」
ルーシー:
「いいの、バイオレット...シクシク。あなたには、どうしようもないわ...」
ルーシー(得意げに):
「私の問題は、根が深いの!」



女の子思案


ルーシーの最後の言葉は、「何もやっても自分の深刻な心の問題は解決できない」と宣言することにより、自分の生き方を変えることの不安や感情に向き合うことを避けることが出来るのです。
自分が変わろうと決心しない限り、ルーシーは変化を避け続けることになります。


おなじみの感情には、耳を貸さずに、有無を言わせず却下してしまうことです。
自分自身に、選択する許可を与えましょう。

「こんな気分なのに、そんなこと出来ないよ」と思わないことです。

決断するのに、1秒もかかりませんし、時間をかけてはいけません。
スイッチオフで終わり、それ以上でもそれ以下でもありません。

美しい夕陽など見ている暇はないと思うなら、
考え直してほしい。

夕陽を一番見なければならないのは、
その暇がないときだ。


『今日が楽しくなる魔法の言葉』
アーニー・J・ゼリンスキー / ダイヤモンド社 / 2003-09-20




「参考」
『いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント』
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02



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