努力とあるがまま2
まずは、前回の食事についての部分を振り返ってみましょう。
しかし多くの場合、過食してしまう人の食べ方は、一気に流し込むように食べてしまったり、あるいは何か他の事をしながら寂しいからといって惰性で口に運んでいたり、食事そのものに充実感を感じていないことが多いのです。
このような食べ方では、その時々で充分に食事を取ったという充実感を味わってはいないでしょう。
ですから、いくら食べても食事に対する満足感がないため、量的には沢山食べていても欲求の方は不満足なままで残ってしまうということが起きてしまうのです。
ここでいっている満足できない食事の特徴を挙げてみましょう。
1.本来の欲求(食べること)自体に全面的に入り込めていない。
2.習慣的に繰り返している。
3.毎回満足感がなく、やり残した感情が蓄積されていく。
4.何かの代償としてやらずにいられない思いがある。
つまり本物の欲求を充足しようとする行為ではなくて、代償行為のようになっていて、満足感が得られないという特徴があるのです。
人との交流においてこのような特徴をうまく表しているのが、エリック・バーンが交流分析で唱えているゲームの交流です。
交流分析におけるゲーム交流の本質とはこういうものです。
1.表面的にはもっともなやりとりをしているが、その裏側では実際の狙いである裏面交流が行われている。
2.ゲームの終了時には、両者あるいは片方の人がいやな感情を体験することになる。
3.通常参加者の両方が無意識にその役割を果たすことに加担している。
4.言葉で行われている交流内容は本質ではなく、裏面交流の結末こそがゲームの目的である。
たとえば、子どもが母親のことをこのように思い描き、人生に対して構えを持っているとします。
「いつも「勉強しなさい」とか、「?しなさい」「?してはいけません」とうるさく言ってくる。
僕はそれでいつも頭に来るんだ。他人とは自分を制約するやっかいな存在である。僕は被害者で、定期的にイライラさせられるのに耐えないといけないんだ。」
1.子どもはゲームやTVに夢中になって楽しんでいる。
母親:「今日は宿題やったの?」
子ども:「まだだけど後でやるよ。」
2.しかし、子どもはいっこうに宿題を終わらせることはない。
文句を言われることを予想しながら好きなことをやっていようとしているから、そのうちどっちつかずでイライラが貯まってきている。
この態度は、母親に向けては「宿題をやっていないことに文句を言ってみろよ」という秘密のメッセージを送っていることになる。
3.秘密のメッセージに母親が反応する。
母親:「どうしていつもやるって言いながら宿題をやらないの、ホントに口ばっかりで!」
4.最後に参加者はいやな感情という報酬を受け取る事になる。
子どもは、素直に宿題やらないことに罪悪感を持ちながら、責め立てる他人に怒りを感じる。
いつでも他人は自分を責め立てるという構えをより強化するかもしれない。
母親はどこまでゲームに関わっているかはこれだけではわかりません。
単にゲームに巻き込まれて妥当な批判をしただけなのかもしれませんが、多くの場合母親の方でも自分のゲームの中での役割を自分のものとしているものです。
たとえば、「人は言ったことを守ってくれない。期待してもいつも裏切られるからイライラする。このイライラが貯まってしまうと、いつかカミナリを落とさないといけなくなるのよ。」といった具合です。
客観的に見れば、わざわざいやな感情をもたらす交流を作り出すのは不合理な話です。
しかし人とのかかわりが他の方法で持てないのなら、今まで使い慣れたやり方で、いやな感情であっても交流を作ろうとしてしまうのがその理由なのです。
無視されてしまうよりは、たとえば怒りをぶつけていた方がまだましというわけです。
宿題というイベントについては、他の交流も考えられます。
母親:「今日は宿題やったの?」
子ども:「これからやろうと思ってるんだけど、あの先生宿題をいっぱい出すんだよ!」
母親:「そうなんだ。あんまりいっぱいあると手をつけるのがいやになっちゃうね。」
子ども:「しかたないけど、やるしかないか。」
子どもも成長してくると、なかなか細かいことまで話したがらないかもしれません。
また自分の意志でやろうとしているのに、先に言われると嫌がるかもしれません。
しかし、そういったことと人生に対する構えは、また別の問題です。
結果として、怒りや悲しみを感じたり、不安になったり罪悪感を抱くようなら、そこにはゲームが行われている可能性が強いと言えます。
きっかけは誰にも罪のないものだったとしても、ゲームを繰り返すことは、だんだんと自分の役割や構えを強固なものにしていきます。
ゲームは、満足感のない食事と同じようなものです。
本当に求めている相手からの反応は、いつまでも得られません
かわりの偽物のやりとりでは、いやな感情と充分に満たされない思いを得られるだけなのです。
そのために、まだ足りないという思いから、相手を見つけてはゲームを仕掛けるのです。
あるいは、よりゲームをエスカレートさせると、いつか満足出来るんじゃないかと勘違いしてしまうのです。
そうではなく、本当に自分が欲しいと思っているのは、どんな相手からの反応であるのかを素直に認めなければならないでしょう。
怒鳴り散らして一時的にエネルギーを発散しても一時的なガス抜きにしかなりませんが、本当の交流が持てたと感じられれば、ゲームの交流がいかにむなしいものかが見えてきて手放そうという気にもなるものです。
母親は「人はいったことを守ってくれない。期待しても(努力)いつも裏切られるからイライラする。自分ばかり我慢している(努力)のに、どうして誰もわかってくれないんだろう?」と思っているかも知れません。
ところが、ここで登場する「努力」は皮肉にもゲームを強化する方向に働いてしまいます。
努力すればするほど、イライラは貯まっていきます。
間違った方向の努力は、あなたをますます目的から遠ざけてしまいます。
こじれてしまった意地の張り合いは、努力を放棄するときに解決に向かいます。
自分からプライドを捨てて正しさを引っ込めれば、いつまでもこだわっていじけている人達を眺めながら、あなたは自分の欲しいものを手に入れることが出来ます。
プライドとは間違った方向の「努力」の象徴です。
失うほどあなたは自由になり、より本物のほしいものを探すことに目を向けることが出来ます。
ゲームを捨てられないと、あなたはゲームを仕掛ける人達に容易に飼い慣らされる存在になってしまいます。
そのとき、あなたは無意識に自分を「いじめて」くれる人を捜し求めているのです。
あなたが欲しいのは、ゲームのルールを守るような人間関係ではなく、ありのままのあなたを受け入れてくれる関係ではないのですか?
だとすれば、まずは自分がゲームを仕掛けない人にならないと、求める人にはいつまでも出会えないことになりますね。
ドラマを見ながら「どうして主人公はあんなことを言ってしまうんだ」とやきもきすることはないですか。
同じように、あなた自身の演じるドラマを外から観察したとしたらどう思うでしょうか。
慣れていたゲームをやめることは、自分自身からの抵抗があるし、いつも相手をしていた人からもやめないように圧力がかかります。
自分が先に折れるのは損じゃないかと感じたり、弱さを見せると相手に負けるんじゃないかと感じてしまうのは、まさにあなた自身がゲームの中に入り込んでいる為に起こってくる抵抗なのです。
自分が変えることができるのは自分だけです。
しかし自分が変われば、まわりの人を変えていく力にもなるのです。
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