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誰の責任か?当事者をはっきりさせる(再)

何か問題が生じたときに、とっさに誰の責任だと感じるでしょうか。

また、とっさに思いついた考えとは別に、あとから考えを変えることがあるでしょうか。
そのとき、どのくらい抵抗を感じますか?

このような反応の仕方の多くは、子どもの頃の自分の身の処し方に大きく影響を受けています。
そして、そのような対処の仕方が生まれてきたのには、家族環境が大きく影響していることは間違いないでしょう。

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投影法とばれる心理検査(人格検査)にPFスタディ(絵画・欲求不満テスト)というものがあるます。
ローゼンツァイクRosenzweig.Sによって考案された、欲求や怒りをどのように表現するかを測定する検査です。

この検査はマンガのように登場人物が描かれていて、それぞれに吹き出し(せりふが入る)がついています。

たとえば、子供用の検査では、小さな弟を従えた母親が「またおねしょをしたのね。小さい弟よりだめじゃない。」と問いかけており、検査を受ける子どもの役割は空白の吹き出しになっています。
この場面で、検査を受ける子どもは、自分なら何と答えるだろうという答えを記入するようになっているのです。

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この検査では、「攻撃の方向」と「反応の型」という2つの次元で、回答を分析し、その組み合わせで判定を行います。
「攻撃の方向」は、他罰的、自罰的、無罰的の3つに、「反応の型」は障害優位型、自我防衛型、要求固執型に分類します。


他罰的方向とは、欲求不満の原因をまわりの人や環境のせいにしようとします。これが高いと「投射」(自分の問題を他者の中に見る)という防衛機制を使いがちであり、相手からの非難を逆に相手に非難で返し、攻撃的になります。

自罰的な方向に向ける人は、欲求不満の原因は自分の責任であると考えます。その傾向が高くなれば、罪の意識を抱きがちであり、後悔することが多くなります。

無罰的な方向は、欲求不満の責任は誰にもなく、偶発的な出来事で回避できなかったのだと考えようとしますが、無理な妥協をしてしまい自分の本当の感情を「抑圧」する可能性があります。


次に、反応型についてです。
障害優位型は、自我の反応を表に出さないようにした、障害の指摘・強調にとどめた反応です。
自我防衛型は、逆にストレスを解消しようとして、自我を守るための感情を表に出します。
要求固執型は、障害優位型のように起きたことに注意を向けますが、さらにそれからどうやって解決すればいいかに重点を向けます。


細かいことを知る必要はありませんが、自分の場合、他罰的、自罰的、無罰的という攻撃を向ける方向に傾向があるかどうかなど、考えて見るときの尺度に役立てるといいでしょう。

さてここで、前回のバーバラ コロローソさんの本から、問題に対処する場面での親のタイプをみてみましょう。

三歳の子が、プラスチックのコップではなくグラスを使いたいと言い張り、それなら気をつけて使いなさいと口を酸っぱくして言い聞かせたのに、けっきょくそのグラスを落としてしまったとします。ガシャン!今やグラスは粉々になって、床一面に飛び散っています。



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レンガ壁タイプの親なら----「まったく不器用ね。いいこと、あなたにはこの先ずーっとプラスチックのコップしか使わせないわ。今すぐ台所から出ていきなさい!」。この言葉から子どもに伝わるメッセージは、「あなたは問題を抱えている」ではなく、「あなた自身が問題である」ということです。




この叱り方から子どもは、問題の責任はすべて自分にあり、弁解や解決の道は与えられないわけで、欲求不満を「自罰的」な方向に向けるしかありません。
しかし、一方では、親の反応の仕方を見ているわけですから、問題に対して相手を攻撃するやり方も同時に取り込むことになります。

これは自我防衛型の反応を育てることになるかもしれません。
「まったくあんたは不器用な人だね!」「二度と頼まないわ!」「さっさとどこか行ってしまえ!」

クラゲタイプの親ならーーー「ちょっとどいててね、いい子だから。気をつけないと手を切っちゃうわ。ママがいけなかったの。滑りやすいグラスを渡しちゃったから。みんなママのせいなのよ。さあ、別のグラスを使いましょうね。ミルクにココアも入れてあげるわ。あとはママが片づけるからね」。
この場合のメッセージは、「わたしが何でもやってあげる。あなたは自分では何もできないから。あなたが失敗したとしても、それはほかの誰かのせいよ」ということです。





失敗しても誰かのせいにするという「他罰的」な対処方法を直接的に教えられるわけです。
しかし、子どもにしてみれば、自分が問題の原因であったことも何となくわかっています。「どうして叱られないの?」「いっそ思いっきり叱ってくれた方がスッキリするのに」というように、なんとなく悪いことをした感情が残ってしまうかもしれません。

また、今回は怒られなかったけど、「ママがいけなかったの」なんていってるときは要注意、今度はまとめて怒られるかもしれない、と余計なことを考えるかもしれません(一貫性がないクラゲタイプなら)。

要求固執型の反応の仕方ではありますが、そこには無理な抑圧が潜んでいる可能性があります。
「ミルクにココアも入れてあげるわ」などといわれて、次も同じことを期待したら、「あなたは悪いことをしたのがわかってないのね」と逆襲されるかもしれません。
また、クラゲタイプの親は、自分がちゃんと叱ってやれなかったことの代償に、ココアを持ち出したのかもしれません。

背骨タイプの親ならーーー「あなたは問題を起こしたけど、自分で解決できるはずよ。さあ、急いで紙袋をとってらっしゃい」。三歳の子どもにグラスのかけらを拾わせるわけにはいきませんが、親がかけらを拾うあいだ紙袋を持たせることはできます。かけらを拾い終えたら、こぼれたミルクを拭くのを手伝わせてもいいでしょう。それから、プラスチックのコップを二つ渡して、こう聞くのです。「プラスチックのコップが二つあるけど、今日はどっちを使いたい?」。
子どもにはこんなメッセージが伝わります。
「あなたは問題を抱えている。でも、あなたにはそれを自分で解決する力があるはず。わたしがここにいるのは、助けるためでも罰するためでもない。力を貸し、はげまし、支えるためにいるのだ」





問題の原因が誰のせいかをはっきりさせますが、それを必要以上に責め立てないで、何が出来るかを考えさせます。
無罰的な方向と、責任を取るためには何をすればいいかを指示する要求固執型だといえるでしょうか。

しかし、解決志向だけになってしまって、抑圧しすぎないようには注意したいですね。
「わーたいへんだ」「ミルクだらけ!」「あぶないからガラスをさわってはだめよ」くらいは母親としては叫んでおきたいかもしれませんね。

【参考文献】
子どもに変化を起こす簡単な習慣―豊かで楽しいシンプル子育てのすすめ (PHP文庫)
著者: バーバラ コロローソ / PHP研究所 / 文庫 / 2003-11 /


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3つの家庭 『レンガ壁・クラゲ・背骨』(再) タオに生きる

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3つの家庭 『レンガ壁・クラゲ・背骨』(再)

今回は子育ての話題です。
次回と続けて読んでいただくといいかもしれません。

バーバラ コロローソさんは、子育てにおける家庭には3つのタイプがあると言います。

「レンガ壁タイプ」は、変えようのない枠組みが頑として出来上がっていて、しかもそれはすべて親の権限に委ねられています。子どもが自分の自主性を発揮する隙はありません。

「クラゲタイプ」は、その名前のように背骨になるはっきりした基準がありません。
レンガ壁タイプとは対照的に、すべて行き当たりばったりで、一貫性のないしつけになってしまいます。

「背骨タイプ」は、上記の2つのタイプに欠けている「背骨」がしっかりしています。「レンガ壁タイプ」は、変えようのない枠組みが頑として出来上がっていて、しかもそれはすべて親の権限に委ねられています。子どもが自分の自主性を発揮する隙はありません。



3つの家庭
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「レンガ壁タイプ」の問題は、親子の間で上下関係が一方的に存在するため、命令は有無を言わせないものとなり、そのような親に育てられた子どもは、自分自身で判断するという能力を育てられないままになってしまうことです。

単に命令する態度だけを受け継ぐのなら、まだ救いはありますが、自分で考える能力を奪われ、自分の要求を持つことは出来ないこと(やってはいけないこと)だと信じ込まされますから、大人になってからも自分の判断や感情を表現することが出来なくなります。

その時、その場面で自分の判断する力を押さえつけていますから、やれることは親が見せてきた、一方的な押しつけや、反抗に対して力で押さえつけようとするやりかたばかりになってしまいます。

このようなやり方でそだてられると、「考えるな」とか「感じるな」という禁止令を背負い込んでいくことになります。

この結果大人になっても、自分の考えや感じ方を人前で表現することを、無意識にさけるようになります。

たとえば、自分が意見を言えないのは、充分な知識がないからだと言い聞かせているかもしれません。

しかし、自分の禁止令に気がつかないと、いくら知識や情報を与えられても、なぜか自分の意見が思い浮かばないという状態になるかも知れません。

あるいは、自分は感情を表現しないタイプだとか、感受性が乏しいと思い込んでいるかもしれませんが、何かのきっかけで火が付いたような感情の表出が起こって、自分でも戸惑うかもしれません。

また、「レンガ壁タイプ」に育った子どもは、親のような一方的な力で押さえつけるやり方を嫌い、自分が親になったらそのようなやり方を子どもにはしないようにしようと思う場合もあります。

しかし、そこで親とは違った、自分のやり方、考えを持とうとしたときに、自分の中でそのモデルになるものが育っていなかったことに直面することになります。


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そのような経緯から出来上がった家庭は、「クラゲタイプ」になる可能性が在ります。

親は子どもに自分が受けたような、強制的な力関係を持たないようにしようと思いますが、その一方で子どもにどのように見本を示して良いのかわからないことが多いからです。


その結果、子どもに対しては自由にやらせてあげようとする一方で、急に親に教えられたような高圧的な禁止命令を与えたりすることになります。

子どもの自主性をはぐくむ場面と、圧力を掛けても矯正すべき場面を見分けて、やり方を変えるというモデルになる親像が、自分の中にないからです。

あるいは、自分自身もどう動いて良いかがわからないのかもしれません。

また、上記のタイプと重なる部分もあるかもしれませんが、「クラゲタイプ」には、自分の面倒を見たり、困難を処理するのに精一杯であるために、子どもへの対応が「クラゲ」のように背骨なしになってしまう場合もあります。

たとえば、自分の自尊心をうまく育てられなくて、子どものことを考えるだけの余裕が無かったり、アルコール依存や仕事依存のために家庭を顧みる余裕がもてないといった理由で、子どもを相手にしている時間を持つことが出来ません。

子どもにしてみれば、拠り所にするものを親から期待できないので、何でも自分で処理しなければならないと思うしかありません。
しかし、子どもには充分な判断力は期待できませんから、でたらめをやることになったり、また人を信用するという心を育てられません。

そんななかで、どうにか生きていくためには、表面上は大丈夫を装ったりしますが、いつも不安でたまらないでしょう。
嘘をついたりして、何とか人を利用する方法を編み出そうとするかもしれません。

当然「クラゲタイプ」の場合も、「レンガ壁タイプ」に育てられた子どもと同様に、自分や他人の面倒を見るというモデルが育ちませんし、自分を大切にすることや、自分に価値があると信じることが難しくなってしまいます。

「レンガ壁タイプ」や「クラゲタイプ」というのは、別にすべての面でそうなるというわけではないわけで、だれしも部分的には、自分にもそういう所があると思うことでしょう。

どれだけ、親から影響を受けたかは人それぞれ違いますが、親自身もやりたくてそうしたわけではないという点をわすれてはならないでしょう。

自分の側も、充分に育たなかった部分は、そのような事情もあって仕方がなかったんだと認識すれば、今度は自分で自分の中に、新しい親のモデルを作り上げていくという選択も出来るわけです。

「背骨タイプ」の特徴として、バーバラさんが上げていることを引用してみます。

●子どもを無条件に愛し、受け入れ、はげますことによって、子どもを尊重する。人生において大切な意味をもつ次のようなメッセージを日々与える。
「わたしはあなたを信頼している」
「あなたはちゃんと取り組めると思う」
「わたしはあなたの言葉を聞いている」
「あなたは大事にされている」
「あなたはわたしにとって大切な存在だ」
●子どものあるがままの姿を受け入れ、やる気をうながす。
●失敗しても、きちんと「次のチャンス」が与えられる。
●自分の感情を受け入れ、責任を持ってその感情を表現する方法を学ぶ。
●しっかりした自尊心を育み、トラブルや危険から身を守れるようになる。
●経験によって、他人の意見を尊重することを覚える。
●ルールは、はっきりとわかりやすく言葉にされる。
●子どもの尊厳を保ちながら、問題解決の方法を考えさせる。


「自分ならもっと他のやり方を知っているのに」と親が思っても、成功にしろ失敗にしろ自分自身で経験させなければ自分のものになりませんから、時には言葉を呑み込む必要も有るでしょう。

経験のある大人と違って、子どもははっきりしたルールを示されないと、自分で判断する力がないかもしれません。
「自分の役割を果たさなかったら、あした学校に行かせません」と言えば、子どもは朝になってもベッドから出ようとしないかも知れません。「出来なかった分は、学校から帰ったら遊びに行くまでに済ませること」というようにはっきり示さないとなりません。

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子どもの問題行動を叱るには、まず、何がいけない事だったのかをはっきりさせておくことが必要です。

親がただ、「なんてことをしてくれたんだ」と怖い顔をしていただけでは、子どもは何を問題にしているのかわかっていないかもしれません。

また、問題が明らかになった所で、子どもがどのようにそれに関わっていて、どの部分に自分が責任を負わなくてはいけなかったのかをはっきりさせる必要があります。


そうしないと、同じ事態が起きるたびに、自分が係わっていなくても、また叱られるのではないかと脅えるようになってしまうでしょう。

それと、子どもに解決能力があるようになったら、できるだけ解決する方法を考える事に参加させて上げるのが良いでしょう。

自分も後始末に参加出来ることで、子どもは自信を持つことができますし、失敗の記憶よりも自分の解決能力を発揮出来たことに夢中になるかもしれません。

逃げようのない無条件の非難で子どもの自尊心を傷つけることを避け、また、安易な賞罰で問題ある行動をやめさせるのは必要最低限に留めた方が良いでしょう。

アメで言うことを聞かせれば、次もアメがないと動かなくなるし、ムチで力任せに従わせていると、そのうち子どもが力を持ったら仕返しやるぞと思うかも知れません。

そして、では自分も「背骨タイプ」になろうと決心しても、自分の持っていないことまで急に出来る様になるわけではありません。

親だからというだけで、失敗や欠点を免れるわけではありませんから、まずは親自身が自分自身と折り合いをつけられるようになる必要があることは言うまでもないでしょう。


【参考文献】
子どもに変化を起こす簡単な習慣―豊かで楽しいシンプル子育てのすすめ (PHP文庫)
著者: バーバラ コロローソ / PHP研究所 / 文庫 / 2003-11 /



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感情と正直に向き合う

「この子は誰に似たのかしら? 何をしたいのか、わけがわからない!」
こんなことを思わずつぶやいてしまうお母さんもいらっしゃるかもしれません。

しかし、自分には理解できないと言っているのは、社会的に受け入れられやすい表向きの説明になれてしまって、自分でも本音の感情を隠してしまった結果なのかもしれません。

また、別の言い方をすれば、実はお母さん自身が自分では気づかずに取っていた行動を、お子さんなりに観察していて、それらを自分も取り込んでいったのかもしれないのです。

大人が、本音を隠して社会的に認められやすい行動ばかりを子どもに強要していると、いつかその嘘を見破った子どもは、いままで騙されていたと感じたり、親を軽蔑し始めるかもしれません。

児童と親1


では、子どもが自分の感情と正直に向き合える環境を家庭に作り上げるには、何を注意したらいいのか、まずは子ども自身がどのように感情と付き合っていくのかという方向を示してあげる必要があります。

☆「○○が悪い!私は悪くない」

あまり誰が悪いのかという点に注意を向けてしまうと、誰がその感情を作り出しているのかを曖昧にしてしまいます。
他の誰でもなく、自分の感情は自分の中から生じているものだと認めることは、本当の感情を受け入れる上で必要なことです。
大人になっても(と言うよりも大人になってしまうと)、自分が感情を害したときに、間髪入れずに相手のせいにしてしまう人がいます。
「感情とは、外側にいる誰かのせいで発生するもの」という図式が出来上がっているかのようです。

しかし、それを信じてしまうと、自分の感情を自分で責任を持つという考えが育ちません。
もしそうだとすると、自分はまわりの人次第で感情を操られてしまう存在になってしまうことになります。

自分の感情は、自分の中から出てきたもの。誰でもない自分がそれを感じているのだと認めることがまず必要なのです。


喧嘩する親子


☆「あんなひどいことをされたら、怒って当然! あいつをなんとかしろ!」

この言い分もわかるのですが、注意したいのは、悪者を作り上げることで、その他にも自分がいろんなことを感じていることを無視したり、隠したりしてしまうことです。

たとえば、この例では弟がひどいことを言ったので、頭に来た兄が怒りを何とかしてくれと言って、親に弟は罰を受けるべきだと言っているのかも知れません。
しかし、「弟が叱られたら自分の気がおさまる」という解決だけでなく、そこで自分がどんなことを感じたのかを認識しておくことも必要です。

ひどいことを言って笑われたことで、自分が惨めになり、悲しかったことを認めるのです。
もしかしたら、学校などでみんなに笑われた経験を思い出して、辛くてそんな感情は閉め出したいと思ったのかも知れません。
そこには、人からバカにされ自分が自信を失ってしまう事への恐れも隠れているでしょう。

だから、カッとなって自分は怒っているんだと言い聞かせ、生意気な弟をこらしめるという図式を仕立て上げたかった。
そうすれば、自分が惨めに感じたことを隠せるし、兄としての権威を保てると思ったのかも知れません。
また、兄として、弟にバカにされてしまうような自分を自分で許せないと感じたとしても、そんな感情は認めたくなくて隠してしまう可能性があります。

「実は他の感情を隠してしまっていないか?」を見直して、行方不明の感情を作り出すような習慣を作らないことです。押し込めてしまった感情は、大人になってからも付きまといます。

☆「人をバカにするようなことは言ってはいけない。だから僕は怒ったんだ!」

先程とダブる所もありますが、「?すべき」ことで自分の感情をすべて説明してしまうと、本当は何が自分を傷つけたのかがわからなくなる可能性があります。

実は、バカにされた内容は、「これだけは言われたくなかった」ことだったかもしれません。
普段から、自分でも気になっていて、もし言われたらどうしようと隠しておきたかった。
そもそも、自分で気にしていないことなら、何を言われようが怒ることもないわけです。

悪いのは、バカにした人間かもしれませんが、それがどのように自分を傷つけたのかを正直に認めておけば、自分の恐れていることが何かがはっきりします。
隠したりそれから逃げようとしなければ、明らかになってしまえば、それがいつまでも恐怖の原因で居続けることもなくなるわけです。

そして、その感情を持つことが、悪いことであるかのように思い込むことも無くなります。
その感情を思い出すたびに、いやな罪悪感を持つこともなくなるのです。

正直になにが自分の気分を害しているのかを認めることは、将来にゆがんだ形で感情のしこりを残すことも防止できます。


叱る母親


ところで、最初に戻って、親の感情への対処の仕方は、子どもが見ていて真似をするものだという点を考えましょう。

・感情を害されたら、その場で対処する。
「ずっとだまってたけど、このごろちっとも?を守っていないわね!」
こんなやり方を親がとっていれば、子どもも同じことを始めるのもすぐでしょう。

学校から帰ると、靴は脱ぎ散らかしっぱなし、ランドセルは放り出されて横になっている。
部屋は散らかし放題で、遊びに出かけるか、ゲームをすぐに始めて返事もろくにしない。
これらをひとつずつ、メモを取るかのように怒りをため込んでいき、そのうち何かのきっかけで一気に爆発させてしまう。
こうしたやり方は、人生のどこかで身につけた親の習慣であり、意識してやめようとしないと、延々と親から子へと受け継がれていきます。
このような対応の問題は、一気に爆発させた衝動的な怒りは、決して望ましい結果をもたらさない所にあります。
怒りをぶつけられた相手は、今まで何も言われなかったのに、急にまとめて責任を追及されてもどうして良いかわかりません。怒っている方は、「これだけ我慢したんだぞ」というつもりかも知れませんが、相手が自分が悪かった、後悔していると言って一方的に引き下がることを期待するのは現実的ではありません。

その都度、率直に自分が気分を害したことを表現していれば、こんなことにはならないわけですが、習慣的にそのパターンを繰り返している人は、なかなか気が付かないし、相手が悪いのだから仕方ないんだと主張して譲ろうとしないのです。

・相手に望むことを、率直にはっきりと伝える。
「何を叱られてるのか、わかっているわよね!」
こんな脅しで、相手をやり込めてしまっては、子どもはなにがいけなかったのかわからないままになるかもしれません。正体のわからない罪悪感を持たせることになってしまいます。
はっきりと、「靴はきちんと揃えておきなさい。」と伝えるのです。
また自分の気持ちも正直に示した方が良いでしょう。「お母さんは散らかった部屋は嫌いだから、この部屋を見ると怒りたくなるの」
「僕はこれくらいの方が落ち着く」と反論してくるかもしれませんが、それはそれで子どもも自分の考えを表現できているわけですし、率直な意見を交わして取り決めをすることにも発展できるでしょう。

・言葉と態度(行動)を一致させる
「きちんと宿題を終わらしてから遊ぶのよ」と寝転がってテレビを見ながら、おやつをほお張って言ったのでは説得力はありません。
子どもは「わかった」と言いながら同じように、いい加減なやり方をし、言葉のうえで合わせておけば良いんだなと思うでしょう。
怒るときは、怒った表情で内容を伝えましょう。
皮肉った言い方や、被害者のような顔で恨みがましく伝えるのは、言葉とは違ったメッセージを子どもに送っていることになります。

・相手の言い分も聞く用意があることを示す
叱っているのだから、言い訳は一切言わせないというのは、余程のことでなければ避けた方が良いでしょう。
聞いてみたら、子どもの言い分にも一理あるということがわかるかもしれません。
また、子どもは、正直に自分の考えを持ってもいいのだと信じられるようになります。
「お前は何もわかっていないのだから、自分で考えてはいけない」というメッセージが伝わるようなやり方は避けなければなりません。


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何か問題が生じたときに、とっさに誰の責任だと感じるでしょうか。

また、とっさに思いついた考えとは別に、あとから考えを変えることがあるでしょうか。
そのとき、どのくらい抵抗を感じますか?

このような反応の仕方の多くは、子どもの頃の自分の身の処し方に大きく影響を受けています。
そして、そのような対処の仕方が生まれてきたのには、家族環境が大きく影響していることは間違いないでしょう。

2つの感情


投影法とばれる心理検査(人格検査)にPFスタディ(絵画・欲求不満テスト)というものがあるます。
ローゼンツァイクRosenzweig.Sによって考案された、欲求や怒りをどのように表現するかを測定する検査です。

この検査はマンガのように登場人物が描かれていて、それぞれに吹き出し(せりふが入る)がついています。

たとえば、子供用の検査では、小さな弟を従えた母親が「またおねしょをしたのね。小さい弟よりだめじゃない。」と問いかけており、検査を受ける子どもの役割は空白の吹き出しになっています。
この場面で、検査を受ける子どもは、自分なら何と答えるだろうという答えを記入するようになっているのです。

男の子悩む   叱る母親


この検査では、「攻撃の方向」と「反応の型」という2つの次元で、回答を分析し、その組み合わせで判定を行います。
「攻撃の方向」は、他罰的、自罰的、無罰的の3つに、「反応の型」は障害優位型、自我防衛型、要求固執型に分類します。

他罰的方向とは、欲求不満の原因をまわりの人や環境のせいにしようとします。これが高いと「投射」(自分の問題を他者の中に見る)という防衛機制を使いがちであり、相手からの非難を逆に相手に非難で返し、攻撃的になります。

自罰的な方向に向ける人は、欲求不満の原因は自分の責任であると考えます。その傾向が高くなれば、罪の意識を抱きがちであり、後悔することが多くなります。

無罰的な方向は、欲求不満の責任は誰にもなく、偶発的な出来事で回避できなかったのだと考えようとしますが、無理な妥協をしてしまい自分の本当の感情を「抑圧」する可能性があります。

次に、反応型についてです。
障害優位型は、自我の反応を表に出さないようにした、障害の指摘・強調にとどめた反応です。
自我防衛型は、逆にストレスを解消しようとして、自我を守るための感情を表に出します。
要求固執型は、障害優位型のように起きたことに注意を向けますが、さらにそれからどうやって解決すればいいかに重点を向けます。

細かいことを知る必要はありませんが、自分の場合、他罰的、自罰的、無罰的という攻撃を向ける方向に傾向があるかどうかなど、考えて見るときの尺度に役立てるといいでしょう。

さてここで、前回のバーバラ コロローソさんの本から、問題に対処する場面での親のタイプをみてみましょう。

三歳の子が、プラスチックのコップではなくグラスを使いたいと言い張り、それなら気をつけて使いなさいと口を酸っぱくして言い聞かせたのに、けっきょくそのグラスを落としてしまったとします。ガシャン!今やグラスは粉々になって、床一面に飛び散っています。



ミルク


レンガ壁タイプの親なら----「まったく不器用ね。いいこと、あなたにはこの先ずーっとプラスチックのコップしか使わせないわ。今すぐ台所から出ていきなさい!」。この言葉から子どもに伝わるメッセージは、「あなたは問題を抱えている」ではなく、「あなた自身が問題である」ということです。


この叱り方から子どもは、問題の責任はすべて自分にあり、弁解や解決の道は与えられないわけで、欲求不満を「自罰的」な方向に向けるしかありません。
しかし、一方では、親の反応の仕方を見ているわけですから、問題に対して相手を攻撃するやり方も同時に取り込むことになります。

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しかし、解決志向だけになってしまって、抑圧しすぎないようには注意したいですね。
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3つの家庭 『レンガ壁・クラゲ・背骨』

バーバラ コロローソさんは、子育てにおける家庭には3つのタイプがあると言います。

「レンガ壁タイプ」は、変えようのない枠組みが頑として出来上がっていて、しかもそれはすべて親の権限に委ねられています。子どもが自分の自主性を発揮する隙はありません。

「クラゲタイプ」は、その名前のように背骨になるはっきりした基準がありません。
レンガ壁タイプとは対照的に、すべて行き当たりばったりで、一貫性のないしつけになってしまいます。

「背骨タイプ」は、上記の2つのタイプに欠けている「背骨」がしっかりしています。
「背骨」とは、子どもが自分のことを大事な存在であると確信できる拠り所を持たせてくれるものです。
「背骨」が育っていれば、自分も他人もそれぞれが大事な存在であることを認識しますから、どちらに対しても傷つける様な行動を取らずに、それぞれがかけがえのない存在であることを見いだします。

3つの家庭


「レンガ壁タイプ」の問題は、親子の間で上下関係が一方的に存在するため、命令は有無を言わせないものとなり、そのような親に育てられた子どもは、自分自身で判断するという能力を育てられないままになってしまうことです。
単に命令する態度だけを受け継ぐのなら、まだ救いはありますが、自分で考える能力を奪われ、自分の要求を持つことは出来ないこと(やってはいけないこと)だと信じ込まされますから、大人になってからも自分の判断や感情を表現することが出来なくなります。
その時、その場面で自分の判断する力を押さえつけていますから、やれることは親が見せてきた、一方的な押しつけや、反抗に対して力で押さえつけようとするやりかたばかりになってしまいます。

このようなやり方でそだてられると、「考えるな」とか「感じるな」という禁止令を背負い込んでいくことになります。

この結果大人になっても、自分の考えや感じ方を人前で表現することを、無意識にさけるようになります。
たとえば、自分が意見を言えないのは、充分な知識がないからだと言い聞かせているかもしれません。
しかし、自分の禁止令に気がつかないと、いくら知識や情報を与えられても、なぜか自分の意見が思い浮かばないという状態になるかも知れません。

あるいは、自分は感情を表現しないタイプだとか、感受性が乏しいと思い込んでいるかもしれませんが、何かのきっかけで火が付いたような感情の表出が起こって、自分でも戸惑うかもしれません。

また、「レンガ壁タイプ」に育った子どもは、親のような一方的な力で押さえつけるやり方を嫌い、自分が親になったらそのようなやり方を子どもにはしないようにしようと思う場合もあります。
しかし、そこで親とは違った、自分のやり方、考えを持とうとしたときに、自分の中でそのモデルになるものが育っていなかったことに直面することになります。

父親と娘


そのような経緯から出来上がった家庭は、「クラゲタイプ」になる可能性が在ります。
親は子どもに自分が受けたような、強制的な力関係を持たないようにしようと思いますが、その一方で子どもにどのように見本を示して良いのかわからないことが多いからです。
その結果、子どもに対しては自由にやらせてあげようとする一方で、急に親に教えられたような高圧的な禁止命令を与えたりすることになります。
子どもの自主性をはぐくむ場面と、圧力を掛けても矯正すべき場面を見分けて、やり方を変えるというモデルになる親像が、自分の中にないからです。
あるいは、自分自身もどう動いて良いかがわからないのかもしれません。

また、上記のタイプと重なる部分もあるかもしれませんが、「クラゲタイプ」には、自分の面倒を見たり、困難を処理するのに精一杯であるために、子どもへの対応が「クラゲ」のように背骨なしになってしまう場合もあります。
たとえば、自分の自尊心をうまく育てられなくて、子どものことを考えるだけの余裕が無かったり、アルコール依存や仕事依存のために家庭を顧みる余裕がもてないといった理由で、子どもを相手にしている時間を持つことが出来ません。
子どもにしてみれば、拠り所にするものを親から期待できないので、何でも自分で処理しなければならないと思うしかありません。
しかし、子どもには充分な判断力は期待できませんから、でたらめをやることになったり、また人を信用するという心を育てられません。
そんななかで、どうにか生きていくためには、表面上は大丈夫を装ったりしますが、いつも不安でたまらないでしょう。
嘘をついたりして、何とか人を利用する方法を編み出そうとするかもしれません。

当然「クラゲタイプ」の場合も、「レンガ壁タイプ」に育てられた子どもと同様に、自分や他人の面倒を見るというモデルが育ちませんし、自分を大切にすることや、自分に価値があると信じることが難しくなってしまいます。

「レンガ壁タイプ」や「クラゲタイプ」というのは、別にすべての面でそうなるというわけではないわけで、だれしも部分的には、自分にもそういう所があると思うことでしょう。
どれだけ、親から影響を受けたかは人それぞれ違いますが、親自身もやりたくてそうしたわけではないという点をわすれてはならないでしょう。

自分の側も、充分に育たなかった部分は、そのような事情もあって仕方がなかったんだと認識すれば、今度は自分で自分の中に、新しい親のモデルを作り上げていくという選択も出来るわけです。

「背骨タイプ」の特徴として、バーバラさんが上げていることを引用してみます。

●子どもを無条件に愛し、受け入れ、はげますことによって、子どもを尊重する。人生において大切な意味をもつ次のようなメッセージを日々与える。
「わたしはあなたを信頼している」
「あなたはちゃんと取り組めると思う」
「わたしはあなたの言葉を聞いている」
「あなたは大事にされている」
「あなたはわたしにとって大切な存在だ」
●子どものあるがままの姿を受け入れ、やる気をうながす。
●失敗しても、きちんと「次のチャンス」が与えられる。
●自分の感情を受け入れ、責任を持ってその感情を表現する方法を学ぶ。
●しっかりした自尊心を育み、トラブルや危険から身を守れるようになる。
●経験によって、他人の意見を尊重することを覚える。
●ルールは、はっきりとわかりやすく言葉にされる。
●子どもの尊厳を保ちながら、問題解決の方法を考えさせる。


「自分ならもっと他のやり方を知っているのに」と親が思っても、成功にしろ失敗にしろ自分自身で経験させなければ自分のものになりませんから、時には言葉を呑み込む必要も有るでしょう。

経験のある大人と違って、子どもははっきりしたルールを示されないと、自分で判断する力がないかもしれません。
「自分の役割を果たさなかったら、あした学校に行かせません」と言えば、子どもは朝になってもベッドから出ようとしないかも知れません。「出来なかった分は、学校から帰ったら遊びに行くまでに済ませること」というようにはっきり示さないとなりません。

児童と親1  児童と親2


子どもの問題行動を叱るには、まず、何がいけない事だったのかをはっきりさせておくことが必要です。
親がただ、「なんてことをしてくれたんだ」と怖い顔をしていただけでは、子どもは何を問題にしているのかわかっていないかもしれません。

また、問題が明らかになった所で、子どもがどのようにそれに関わっていて、どの部分に自分が責任を負わなくてはいけなかったのかをはっきりさせる必要があります。
そうしないと、同じ事態が起きるたびに、自分が係わっていなくても、また叱られるのではないかと脅えるようになってしまうでしょう。

それと、子どもに解決能力があるようになったら、できるだけ解決する方法を考える事に参加させて上げるのが良いでしょう。
自分も後始末に参加出来ることで、子どもは自信を持つことができますし、失敗の記憶よりも自分の解決能力を発揮出来たことに夢中になるかもしれません。

逃げようのない無条件の非難で子どもの自尊心を傷つけることを避け、また、安易な賞罰で問題ある行動をやめさせるのは必要最低限に留めた方が良いでしょう。
アメで言うことを聞かせれば、次もアメがないと動かなくなるし、ムチで力任せに従わせていると、そのうち子どもが力を持ったら仕返しやるぞと思うかも知れません。

そして、では自分も「背骨タイプ」になろうと決心しても、自分の持っていないことまで急に出来る様になるわけではありません。
親だからというだけで、失敗や欠点を免れるわけではありませんから、まずは親自身が自分自身と折り合いをつけられるようになる必要があることは言うまでもないでしょう。


【参考文献】
子どもに変化を起こす簡単な習慣―豊かで楽しいシンプル子育てのすすめ (PHP文庫)
著者: バーバラ コロローソ / PHP研究所 / 文庫 / 2003-11 /


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ゆきちゃんとひとちゃんの雪遊び(2)

前回は、ひとちゃんとゆきちゃんの雪遊びを巡る攻防をお伝えしましたが、真弓お母さんからこんなお話を伝えてもらいました。

ああ、そうそう、すっきりすると、ひとちゃんは甘えてくるんです。
「だめなときは怒ってーーーー怒ってくれないのはこまるーーーー」というひとちゃんです。
ちゃんとしなくちゃいけなくてもついついだらーってしてしまうことも自分でわかっているみたいで、そういうときにほうって置かれるのはこまるって内心では思っているみたいです。

もちろん、そういうときにちゃんとするように言うと、その場では言うことを聞かなかったりするんですよ。

でも、そのあとで、「あーもーわかった。お母さんもう、怒らないことにしよー。だって、怒るとお母さんの気分が悪いんだもーん」とかいうと、「えーやだやだやだー怒ってーーーー」っていうのです。面白いですよね^^
一方でゆきちゃんは私が怒ると、怒られたその内容よりも、「大好きなお母さんに怒られてしまった」ということにショックをうけて悲しくなっちゃう子です。

だからできるだけ、なにがいけなかったのかが上手に伝わるように気をつけています。
子供もみんなひとりひとり違いますね。


ひとちゃんの「怒ってくれないのはこまる」という言葉で、私が思ったのは、ひとちゃんの中で作られてきた「ちゃんとしなくちゃいけない」と言ったり、思ったりする自分です。

交流分析※という心理療法では、このような自我状態を親の自我状態という呼び方をします。
私たちの自我全体を分けてみると、「親 P(Parent)」「おとな A(Adult)」「子ども C(Child):」の3つの自我状態があると考えます。

次の図をご覧下さい。

PAC_ひとちゃん


ひとちゃんは、「ちゃんとしなきゃ」という親の自我状態からの自分へのメッセージを受けて、適応した子どもの自我状態から「だめなときは怒って」とお母さんに訴えます。
また、このとき、お母さんに甘えたい自然な子どもの自我状態からは、「こんなに頑張ってるよ!見てる?ほめてね。認めてね。」という言葉には出さない裏面交流と呼ばれるメッセージを送ります。

おねえちゃんだからということも有るでしょうが、妹のゆきちゃんの方ではまだ曖昧な親の自我状態からのメッセージにも対応した反応が出てきたわけです。

雪遊びのときも、ゆきちゃんに比べて思いは複雑でした。
「わたしはゆきちゃんが坂を上れなくてもへたくそなんて言わなかったよ。なのにゆきちゃんは転んだことを笑った。でもお姉ちゃんだから我慢したんだよ。...」

PAC_ゆきちゃん

ゆきちゃんの方は、お母さんに怒られると何が問題なのかわからなくても、悲しくなります。
お母さんが好きだから、怖い顔しないでね。

※交流分析(Transactional Analysis,TA)とは、1960,70年代にアメリカ西海岸でさまざまな心理療法が生まれてきた中の一つで、精神科医エリック・バーン(Eric Berne)が提唱した精神分析の流れを汲む心理療法。日本でも紹介され、エゴグラムという人格診断テストなどで、ご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。


さて、このように幼い子どもの心理状態は、親が注意深く観察すれば見えて来るようなシンプルさを持っていますが、思いが遂げられずにぐずぐずと心に残った感情のセットは、後々の対人関係にさまざまな影響をもたらします。

対人関係への構えが作られると、前回書いたように、相手が過去の似たパターンを思い起こさせると、とっさに構えてしまい、自動的な反応がそれに続いてしまうでしょう。

あとから、どうしてこんなことをしてしまうのだろう、と思うこともあるでしょう。

あまりにも信念を強化して構えを崩れないものにしてしまうと、一見信念の人にみえて強い人にも見えますが、パターンを外れたときの自然な反応がその分犠牲になってしまいます。

自分がどうすれば満足出来るのかが、自分でわからなくなってしまうので、常にゴール設定をしてがむしゃらに先を目指していないと、どうしていいのかわからないのです。

ライバル・ビジネスマン

子どもの頃の純真さに戻って、自分の意地を張っている姿を素直に見てみれば、どれほどばかばかしいことをやっているかが見えて来るかもしれません。

自分の利益を目指しているつもりでいるのに、自分を痛めつけることをしてしまうのは、それが見えなくなっているからでしょう。


もしあなたがあるところのものを受け入れたなら
あなたが不幸である可能性など何もない
私は何千という人々を観察してきた
探求者たち、探求者でない人たち
この世的な人、あの世的な人---
そして、毎日のように私は、
人々は本当のところ幸福でいることなどに興味がないということを
目のあたりにさせられる現象にゆきあたる
誰ひとりとして
幸福でいることに興味などないかに見える
というのも
彼らはどんなナンセンスにでも幸福を犠牲にする用意があるからだ
嫉妬のために、所有性のために
怒りのために、憎しみのために
どんなナンセンスのためにでも彼らは幸福を犠牲にする用意がある
ところが、彼らは、
怒りや所有性や嫉妬を幸福のために犠牲にする用意はない
だとしたら
どうして人々が幸福でいることに興味があるなどと言えよう?
彼らは不幸であることの方に興味があるのだ
彼らが何と言おうとそれは問題じゃない
私が見る限り彼らは絶えず不幸でいようとがんばっている
いかにして不幸でいるかの手練手管を見つけ出そうとがんばっている
これは本当に途方もない現象だ
不幸などというものが存在しない世界に
人間は大変な不幸をつくり出してしまっている
彼氏は本当に押しも押されもせぬ創作家だ


Tao永遠の大河〈2〉 404頁
―バグワン・シュリ・ラジニーシ老子を語る (1980年)
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ゆきちゃんとひとちゃんの雪遊び(1)

子どもたちの遊び方やけんかのしかたを見ていると、私たち大人がもっともらしい理屈をつけてやり合っている交流の仕方も、その起源をたどると、たわいない出来事だったのかもしれないと思えてくるのです。

理屈からだけ見ていると、なぜ自分がこんなことを感じたりやったりするのかが、なかなか見えてこないのですが、そんなときには、もともとどんな場面で身につけてきた行動パターンなのかを振り返って見るのが有効なことが多いのではないでしょうか。

そんな話を始める前に、ちょっとほほえましい姉妹の雪遊びのお話を紹介したいと思います。

このお話は、私がFacebookで仲良くしてもらっている真弓さんとそのお子さんたち、お姉ちゃんのひとちゃん、妹のゆきちゃんが近所の広場で雪遊びをする場面で始まります。

※真弓ママさんのサイトはこちらです。(Facebookのアカウントが必要なものもあります。)

なかよし◆書でおはよう◆2011.02.12

雪遊び(facebook)

「なかよし◆書でおはよう◆」の方は、真水 Shinsui's calligraphy works の中のページですが、真水さん(真弓さん)が書で心を動かされる言葉を毎日書かれているファンページです。こちらはfacebookのアカウントが無くてもご覧いただけますので、是非ご覧下さい。


雪遊び1


なんと御柱祭で木落としした坂が近所にあると言うことで、写真のような雪一面の広場で雪遊び。

そり遊びや3人で雪だるま作成。

『2時間近く遊んだあと二人がはじめたのは土手のぼり!

ひとちゃんは何とか上までいけるけれど、ゆきちゃんは上ってはざーっとおなかですべり押してしまって、上れない。

雪遊び2


それが、ゆきちゃん、ぜんぜんあきらめない。何度も何度も挑戦するのです。もう槌が見えてきちゃうし、おなかは真っ黒では?と思いつつ、あんまりにも一生懸命なのでそのままみていました。』

ゆきちゃんは、軽く50回以上トライしたけどダメだったようですが、そのあと二人は急なので最初怖がっていたこの坂を、そりで滑ることになります。

最初に始めたのは妹のゆきちゃん。
※facebookのアカウントが必要ですが、こちらに動画があります。
http://www.facebook.com/video/video.php?v=198709080155912&saved

ゆきちゃんが、ものすごい勢いで公園の真ん中より向こうまで滑り降りていきますが、それを見てお姉ちゃんのひとちゃんもやってみると言い出します。

ちょっと怖いけど、「ここはお姉ちゃんも見せとかないと」と思ったかどうかは知りませんが、ひとちゃんもトライするのですが、こわいから安全に行こうとブレーキをかけながら滑るので、かえってうまくいかず、ひっくり返ってしまいます。

ひっくり返ったひとちゃんをみて、ゆきちゃんが、「ひとちゃん、へたくそーーー」といって笑いました。
そうしたら、ひとちゃんはそりを引っ張って土手を登りながらないています。
「帰る・・・・」
っていいます。」

「ゆきちゃーん、ひとちゃん、帰るってー。帰るよー。」
そういうと、ゆきちゃんはもうめいいっぱい遊んで満足した様子、何が起こったかも知らず「はーい♪」と。
ちょうどじーじが様子を見に来てくれていたのでゆきちゃんは後ろからじーじと帰ってきて、

私はひとちゃんと手をつないで帰ってきた。

「ひとちゃん、いやだったね。 ゆきちゃんにお母さん、言っておくからね。
でも、楽しかったね。いっぱいあそんだね。

ひとちゃんはゆきちゃんが坂を上手に登れなくても『へたくそ』なんていわなかったもんね。
ずっと応援していて偉かったよ。」

そんな話をしながら帰ってきました。



そり遊び


この後うちに帰ってから、ひとちゃんの悔しさは収まらなかったのでしょうか、ゆきちゃんが枕にしていたスリッパを抜き取ってゴツンと頭をぶつけたゆきちゃんが泣き出した様子。


「ひとちゃん、そういうことしちゃだめだよ。ひとちゃんがどうしていやだったのか悲しかったのか、それを伝えないと、ゆきちゃんはぜんぜんわかっていないよ。ただ仕返ししたらひとちゃんが悪い人になっちゃうよ。」

そういうと、ひとちゃんはまた泣き出す。

ゆきちゃんはわけがわからず泣き出す。



その後のお母さんとゆきちゃんの会話。

「あのね、ゆきちゃん。

ゆきちゃん、ひとちゃんがそりでうまく滑れなかったとき、「へたくそー」って言って笑ったでしょう?
ひとちゃんはそれがね、すごくすごく悲しかったんだよ。

だから、ひとちゃん、怒ってあんなことしたんだよ。」

そういい始めたらゆきちゃんはくしゃくしゃの顔になって「ごめんなさーーーーい」と泣き出しました。

「ひとちゃんはゆきちゃんが坂を上手に登れなくても、一度も「へたくそ」なんて笑わなかったでしょ?
ずっとがんばってーって応援してくれたでしょう?」

そういうと、

「はい。」とお返事しながらうなづいたゆきちゃん。



そして、いろいろあった後の夜のできごと。

9時過ぎ、めざめたひとちゃんも一緒にイチゴを食べていると、並んでテーブルに座っていた私とばーばの間にゆきちゃんがとことこときて、

あのね、ゆきちゃんはひとちゃんのいもうとだけど、
けんかをするけど、なかのいいともだちです^^


とニコニコ顔でゆきちゃん。

「ともだちじゃなくてかぞくでしょー」とひとちゃんは言ったけれど、なんだかとっても素敵な言葉だった。



ゆきちゃんはなかのいいともだち


以上、雪遊びとその後のなかなおりのエピソードをはしょって紹介させてもらいました。

兄弟姉妹、割と多いのではと思うのは、下の子の怖いもの知らずの大胆さに対して、上の子は私はお姉ちゃんだからという抑制を効かせるのだけれど、それでいて負けたくない悔しい気持ちの葛藤。

お姉ちゃんの気持ちも知らずに得意がっていたら、「なんだかおねえちゃんが怒ってる見たいだな」、よくわからないけど、どうすればいいのかな。

「へたくそー」って言われたのがカチンと来てるおねえちゃん、つい仕返しをしてしまったけど。
やっぱり私はおねえちゃん、がまんしないといけなかったのかな。

そんな二人も、お母さんからうまく自分たちの気持ちを説明してもらって、おねえちゃんといもうとの関係の他に、「なかのいいともだちです」という言葉が生まれたようです。



お母さんのナイスフォローで事なきを得た二人でしたが、いつも、こんなにうまく収まるとは限りません。

悔しさがおさまらないままになってしまうと、何かあったら意地悪してやろうという気持ちが残ってしまいます。
意地悪をする側の見方を持っていると、他の人も自分の失敗を見張っているように見えてきます。
ほんとは意地悪なんかしたくないのに、でも「わるい」ことは許せないという気持ちは、消えてくれません。

「ほんとは意地悪なんかしたくない」と素直な気持ちがある一方で、「わるいひとは許せない」とか「じぶんばかりわるい子にされたくない」といった気持ちは、そんなの気にしてないよと言ってみても消え去ってはくれないのです。

これらは、自然な素直な気持ちと、作り出された学習した感情の違いがあるのですが、いつのまにか区別するのが難しくなってしまいます。

そして、おさまらない感情と似たような状況は、結びついて記憶に残り、大人になってからも再現され続けます。

人間の脳の働きは、わざとあるていど曖昧にファジーに反応するようになっているようです。

あまりにも正確に状況を記憶して、その反応の仕方をセットしていると、似たような状況が起きても、少し違うようだなと思って反応しないことになってしまいます。

でも、そもそも記憶して学習するのは、未然に危険を避けたり、効率のいいやり方を身につけることにありますから、あまり正確に状況を規定してしまうとかえって役に立たないのです。

そんな理由から、このような余裕を持った曖昧さを許す反応の仕方が、出来てきたのではないかと考えられています。

しかし、そのことは良い面に働く場合も多いのですが、たとえば、客観的にみると怒りを感じる必要は無いとわかっているのに、なんとなく心がざわついてアラームを鳴らし始めるといったことも起きてしまいます。

別に、どのような出来事が自分の反応パターンを作ったのかを正確に突きとめる必要まではないでしょうが、自分がわけもなく反応してしまいやすい状況というのを知っておけば、今度はファジーさの悪い面が働き出すのを食い止めるために使うことが出来るでしょう。

素直な感情や反応のしかたと、学習して作られた反応のしかた、どちらも同じ自分だと見てしまうと、混乱した自分はどうすればいいのかわからなくなってしまいます。

これが、第三者から見れば、わざわざ自分を不幸にするような行動をとっていると見えるのに、本人はそれしか選択が見えないという状況を作り出すことにもつながるのです。

続きは次回に。



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探偵になってみよう ?悲観傾向と立ち向かう子供向けプログラム

悲観的な考え方に陥りやすい人は、自分の悲観的な考えや思いに対して、それが本当なのかを確かめたり変えたりする能力を封印してしまっていると言えます。
悲観的な思いが最初に浮かんでくると、それをよく確かめないまま鵜呑みにしてしまうのです。

だれでも客観的に問題を調べる気になれば、悲観傾向をくい止めることができるはずなのです。
しかし悲観傾向の強い人は、そうは思わず、最初に思い浮かんだ考え方が、唯一の真実であるかのように無条件に思ってしまいがちです。

実は、私たちははっきり意識していなくても、一日中いろんな思考を思い浮かべて自分につぶやきかけているのです。

そして、それらの考えの中には、不安や悲しみを引き起こしたり、怒りを感じさせたりするものもあります。
それらを無意識に起こるままにしていれば、自分が悲観的な方向に引きずられてしまっていることに気づけないままでいる可能性があるわけです。

機嫌の悪い女の子


このようなつぶやきは自分で捕まえることもできるし、それに反論することさえできるのだ、とわかってくれば新しい対処の仕方を身につけることができます。

他人から指摘されたことであれば反論したり、否定したりするのは誰にとってもやり易いく、子どもにもそのような能力はあります。

問題は、自分自身が自分を非難している時なのです。
このような場合でも、事実を検討しなおして、その非難が正しいかどうかを判断出来ればいいのですが、これが難しいのです。
多くの場合、それが妥当な指摘かどうかなど判断しないまま、思い浮かんだ途端にその指摘が客観的な事実であるかのように思ってしまうのです。

これに対処するには、自分自身に対するつぶやきを早い段階で捕まえて、自動的にそれを事実だと思い込まないように訓練する必要があります。

このようなつぶやきを捉え、自分を振り返ることを子どもにも理解できるように作られたプログラムがあります(以前もこのブログで紹介した心のワクチンというプログラムです)。

では、そのプログラムの中から紹介しておきましょう。
自分の非難感情を捉えて、それらを正確に判断できる「探偵」になりなさいと教えるプログラムです。

物語形式になっていますが、長文になるので、あらすじとポイントになる部分の抜粋にさせていただきます。

尾行する探偵


10歳の女の子が主人公です。
女の子は、あたらしい赤い自転車を買ってもらったばかりです。
そのピカピカの赤い自転車で学校まで行き、自転車置き場に自転車を止めておいたのですが、授業が終わってもどってきたときには、なんとその自転車が無くなっていたのです。

意気消沈する女の子のところに2人の探偵、ヘムロック・ジョーンズとシャーロック・ホームズが時間を置いて登場します。

ヘムロック・ジョーンズ
「犯人は、ダニーだ。なに、その名前が最初に思い浮かんだのがその理由だ。ダニーに間違いない。」

シャーロック・ホームズ
「ヘムロック・ジョーンズは間違っている。本物の探偵は、最初に頭に思い浮かんだ人間を犯人だと言ったりしないものだ。」
「良い探偵は判断を下す前に、証拠を集め、正しい判断ができるように調査するものだ。」

調査に出かけた探偵ホームズは、やがて正しい犯人を見つけて報告しに現れます。
その調査の過程も説明してくれました。
理由を示しながら、ひとりずつ犯人の候補を消去していきます。
そして、真の犯人にたどり着いた過程と、その理由も説明してくれたのです。

それからベティを調べてみようと思った。証拠を探してみると、いくつか手がかりが見つかった。まず、自転車置き場で、リボンが見つかったのだが、そのリボンにBというイニシャルが書いてあった。それでベティの家に行ってみると、母親が、ベティは学校からごほうびにもらった、新品のピカピカ光る赤い自転車に乗っているといった。...


子供たちは、このプログラムによって、2人の探偵を紹介され、それらの探偵が自分の中にもいるのだということを理解するのです。

すぐに悲観的な判断に陥ってしまう自分は、ヘムロック・ジョーンズのように最初に思い浮かんだことを信じてしまう間抜けな探偵のやることなんだ。

そして、事実を調べた上で冷静な判断のできる本物のシャーロック・ホームズも自分の中にはいるのだとわかってくるというわけです。

それほど目新しいことがあるわけではないのですが、このプログラムが有効であることは、その実績で証明されているようです。
その効果は、プログラムを使った時だけにとどまらず、その後も効果が続き、徐々に効果は高まっていくという結果が出ているそうです。

【参考文献】
『つよい子を育てるこころのワクチン―メゲない、キレない、ウツにならないABC思考法』

著者: マーティン・セリグマン リサ・ジェイコックス カレン・レイビック ジェーン・ギラム
Martin E.P. Seligman Lisa Jaycox Karen Reivich Jane Gillham [訳]枝廣 淳子
ダイヤモンド社 / 2003-09



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2つの関わり方/取っ手のないドア

あなたがまだ2,3歳で、ものごとの良い悪いが充分に判断できなかったころを想像してみて下さい。

あなたは、いい気分で家の中を探索しながら遊んでいます。
いろんな珍しい物が目に入って夢中になっていますが、触っていい物、悪い物の区別は付きませんし、大人の目で見た場合のやって良いこと悪いことの判断がつききません。

昨日まで部屋の中で走り回っていても、お父さんもお母さんも怒らなかったし喜んでるみたいだった。
だけど今日は同じことをしていたのにいきなり大きな声で叱られてしまった。
あなたはつかまえられて、叩かれてしまった。
「ストーブをつけたのだから、あぶないでしょ!やけどするよ」
いままでは同じことをやっても叱られなかったのに、喜んでくれたのに、急に恐ろしいことが起きてしまった。
あなたは、状況を理解できないまま、いつも無邪気に遊んでいることは安全ではない場合があることを思い知ります。。
やさしいお母さん、お父さんも、急に人が変わったようになることにショックをうけ、この怖かった出来事を言葉や説明の出来ない感情体験として刻み込んでしまいます。

大人になってからも、どのようなきっかけかはわかりませんが、このようなよく説明出来ない不安や恐怖感が
よみがえってくることがあります。
たとえば、調子よく楽しんで夢中になっているときにふと浮かんでくる不安感、「あまり無邪気に遊んでいると怖いことが起きるかもしれない」というようなものかもしれません。

言葉で説明出来ないような感情だけが刻み込まれた記憶は、思い出そうとしてもハッキリせず、漠然とした不安や恐怖の感情が身体に再現されるのです。

このような言葉で説明出来ない感情は、扱いに困ってしまいます。
できればそんな感情は自分には存在しないことにしてしまおうと考えるかもしれません。
あるいは、自分が抱いている感情ではないよ、相手がそう思っているんだよと他人になすりつけてしまおうとします。
しかし、やっかいでも存在を無視することは、あとあと余計に事態をこじらせることにつながります。

笑う赤ちゃん  泣く赤ちゃん


そのような感情が潜んでいる一方で、私たちが普段意識する感情については、自分でもつきあい方がわかっていることが多いでしょう。
たとえば、今この文章を見ている方の多くは、パソコンの画面で文章を読んでいることでしょう。
パソコンの操作がよく解らないときは、間違ったキーを押して壊してしまわないかと怖がったりしたのではないでしょうか。
画面が急に変化して、何かとんでもないことをしてしまったのではないかと、冷や汗を流したりしたかもしれません。
しかし、操作を覚えてしまったことに対しては、もはや使えるのが当たり前になっていますから、かつての恐怖はどこかに消えてしまっています。
あるいは、新しいアプリケーションを導入しても、今度は前のように使い方を覚えていけば何とかなるものだと余裕を持って取り組めるようになってきます。

つきあい方がわかっているかどうかで、身近になっている感情と、正体がつかめず恐怖を覚える感情が存在するのです。

言葉で説明出来ない感情の傷は、存在には気づいてもつかみ所がありません。
取っ手のないドアのようなものです。
取っ手のついたドアなら、容易にドアを開くことが出来ますから、すぐに中を見ることも出来ます。
しかし、取っ手のないドアは、目の前にドアが見えている(感情の存在には気づいている)ので、同じように簡単に開けられそうですが、やってみると手がかりが何もないので開けようがないのです。

廊下


しかしこのドアもあなたの家の一部です。
そんなドアは存在しないことにしようと思わないで、たとえ今は開けられなくても存在を認めなければなりません。
無視しようと思っても、何度もその前を通りすぎなければなりません。
放置してしまわないで、汚れていたら綺麗にしてあげることです。

あなたが、このドアは封印するといって開かずの扉にしてしまうと、誰かがそれを聞きつけて利用しようとするかもしれません。
あなたはそんなドアはないと言い張りますが、ないのならどうしてそんなに隠そうとするのだろうと考える人が出てくるのです。
どんな事情があるのかは知らなくても、隠しておいて欲しいのなら私の言うことを聞いていなさいと脅迫めいた働きかけをする人が現れます。
あなたは脅しに乗っていいなりになってしまうかもしれません。

隠そうとしないで、自分自身でその存在を認めることです。
それ以外の方法は、いずれ事態をこじれさせてよりやっかいな存在にしてしまうことになります。

自分にはこんな弱みがあると認めてしまえば、それにつけ込んでくる人(実際にはあなたが作りだしているだけかもしれません)は一気にいなくなってしまい、あなたは平和な日常に戻れるのです。

「私は高所恐怖症です」と認めた人は、その恐怖自体は消え去らなくても、つきあい方を覚えたわけですから以前ほど問題ではなくなります。
自分の恐怖が何かわからない間は、例えばエレベーターに乗っていて、なぜ段々不安な気持ちになるんだろうと恐怖に陥ってしまったでしょう。
「高所恐怖症」ということを知り、自ら認めてしまえば、恐怖症は残るにしても大抵の問題は消えてしまいます。

自分で存在を認められない感情があると、人にそれを知られまいとして入り組んだ嘘を作り上げてそれをこじらせてしまいます。
そのうちに、自分でも自分の感情がわからなくなってしまうのです。

自分には、そんな欲求はないと信じたい人は、まわりの人を巻き込んで欲求を見たそうとするかも知れません。
たとえば、自分は欲しくないけど、みんなが欲しいんなら一緒に参加してもいいよと言ってみる。
さらに進めば、まわりの人は私にそれを与えるべきだとという状況を作り上げようとするかも知れません。
「仕方ないでしょ、こんな状況なら私がそれを要求しても。」

逃げる


もう一つ重要なことは、隠したり逃げたりすることは、その行為自体が恐怖心を作りだしてしまうという点です。
隠すくらいだから、何らかの恐れを元々感じているのでしょうが、それを否定したりそれから逃げようとすることは、おおもとの問題以上にあなたを苦しめる可能性が高いのです。

あなたが逃げずにその存在を認め、あまり見せたくはないけど隠すのをやめたとき、消えることはない傷であってもそれ以上にあなたを悩ませる存在ではなくなっていくでしょう。

仕方がないけど、このやっかいな感情が自分には付きまとうようだから、諦めて一緒に暮らしていこうと考える時、一気に問題は解決するでしょう。

いつでも自分は合理的に考えて行動していると勘違いしないことです。
何でもやり方を見つければ自分で解決できると思い込まないことです。

解決可能なことには、何とかしようと取り組むのがいいでしょう。
どうにもならない相手とは、知らない振りをするのではなく、和解して付き合っていこうと思うことです。
2つの関わり方、
はたして今目の前にある感情はどちらが適切なのか、うまく選び分けるのがいいでしょう。


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罪悪感によるコントロール

罪悪感というのは、誰もが根深く影響されている感情の一つです。
しかし私たちのほとんどは、罪悪感について曖昧に理解しているために、ついつい不要な後ろめたさを感じながら、それが仕方のないことだと思って犠牲になったままでいるのです。

罪悪感というのは、本来は、実際に自分が誰かを精神的あるいは肉体的に抑圧したり、傷つけたりした場合に感じるものです。
あなたの行為によって、誰かが能力を発揮したり、自由に表現したりすることを制限したり、あるいは喜びを奪ってしまうようなことになったとき、あなたはそれに対して罪悪感を感じるでしょう。

このような本当の罪悪感というのは必要なものです。なぜならそれを何とも感じないとすれば、他の人を傷つけることを何とも思わない人になってしまうからです。

女の子腕組み


しかし、このような本物の罪悪感とは別に、誰かに押しつけられてしまった「無実の罪悪感」とでも言うものが存在します。
それはとても日常的に使われているので、区別ができなければ本物の罪悪感と同じようにあなたを苦しめることになります。

たとえば、このような母子の何気ない会話。
「楽しそうでいいわね。お母さんは家にいてやることがいっぱいあるから、自分だけで楽しんできなさい。いいんだよお母さんは慣れているから、家で我慢して用事をやっているわ。」
このように言われれば、子どもは、楽しいはずのイベントに後ろめたさを感じながら出かけなければならないのです。

子どもは、別に何も母親を抑圧するような行為をしているわけではありません。
本来なら思いっきり楽しみに期待をふくらませて、出かけていい場面なのです。
このようなときに子どもが感じているのが、責任のない罪悪感、無実の罪悪感なのです。

そして、たとえ無実の罪悪感であっても、その人を苦しめる点では自分に責任のある罪悪感とかわりはありません。

男の子悩む

では、なぜこのような責任のない罪悪感を感じてしまうことになるのでしょうか。

それは、人間関係というものの基盤に存在する精神的な依存によるものです。
つまり、「こんなことを言ったり、やったりしたら、相手から悪く思われたり、嫌われたりしないだろうか?」という思いです。
「人から悪く思われる」ような行為を自分がしてしまうことが、本物の罪悪感の時の他人への抑圧行為のかわりに存在しているというわけなのです。

あなたは自分が言ったことややったことが原因で、相手の表情にかすかに浮かぶ不快感を見逃しません。
これを見たあなたが自分自身に対して下す評価が、あなたに責任の持てない無実の罪悪感を抱かせることになるのです。

そして、あなたはこのような無実の罪悪感を感じるのと同時に、その裏返しとして、相手をコントロールしたいときにこの無実の罪悪感を利用しようとしてしまいます。

誰かがあなたのやり方を批判したり、あるいはそもそも相手のことを善く思っていない時、あなたは自分を正当化するために相手に罪悪感を感じさせることでコントロールしようとするのです。
相手がその行為に罪悪感を感じれば、あなたの正当性を主張することが出来るかのように感じてしまうわけです。

このような意識的、無意識的な罪悪感による他人のコントロールは、日常的に行われていますから、あなたもそこら中でその犠牲になっているのではないでしょうか。

はっきり後ろめたさを感じる場合もあれば、なんとなく気が重いなという感じを持ってはいても、何が起きているのか気がつかない場合もあるでしょう。

機嫌が悪い男の子

そして、親子関係とか特定の人との関係では、それが毎日のように繰り返されるために、当事者は毎回うつを感じることを繰り返すことになります。
それは、その人の性格そのものにも影響を与えてしまいます。

このような不当な罪悪感から逃れるためには、まずは罪悪感を感じたときの自分の感情をよく観察してみることです。
そして、それがあなたが誰かを押さえつけたために起きた本来の罪悪感であるのか、それとも誰かの意向によって自分が押さえつけられている為に起きた罪悪感なのかを区別することです。

また、それと共に「自分の感情に責任を持てるのはその人自身にしか出来ないものだ」という原則を思い出すことです。
「あなたのおかげで、わたしはこんな気持ちにさせられた。」という脅しには乗らないことです。
その人が自分でそのような感情を持たないことを選択しない限り、あなたにはどうしようもありません。
あなたが脅しに乗って相手に従ったとしても、相手はすぐに同じ状況をまた作り出して、あなたに罪悪感を迫ってきます。

相手は、このやり方で相手をコントロールすれば、自分の不安感を何とか出来ると信じていて、それ以外の方法に気づかないために同じことを繰り返しているのです。
自分の不安感を本当におさめるためには、原因となっている自分の不安と向き合うしかありませんが、それを恐れ避けようとするために、誤魔化す方法として罪悪感で他人をコントロールしようとしているのです。

そして同じことは、あなた自身もついついやっていることかもしれません。
どちらにしても、不当な罪悪感への脅しは拒否すると決心することや、自分からもそのような方法で相手をコントロールすることをやめようと決心することです。

相手がその方法の常習者であるほど、あなたの拒絶に対する抵抗があるかも知れません。
しかし、まずはあなたがそれを拒否することを繰り返し選択して、あなた自身が不要な罪悪感から解放されることが肝心です。
そして、あなた自身がそれから解放されるのを見て、相手も自分の無駄なやり方を考え直すときが来るかもしれません。
相手にそれが出来なくても、あなたがそれに罪悪感を感じてはいけません。
それは相手の人が、自分自身で選択することだからです。あなたが強要することではありません。
「そんな冷たいことはできないわ。」と思わせるのは、このような罪悪感そのものなのです。

「罪悪感によるコントロール」という手段に関して、あなたは加害者にも、被害者にもならないと決心すれば、やがてあなたのまわりからそのような方法をとる人もいなくなってくるでしょう。


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過干渉、過保護、過剰適応

子育てについては、親や祖父母からの過干渉、過保護が問題にされることがあります。

過保護と言う言葉からは、子どもを甘やかし過ぎるという印象を持たれるかもしれませんが、成長の過程の必要な段階で子どもが甘えられないでいることは、これもまた別の問題を起こします。

まずは、子どもはいつも自分を守ってくれる存在がそばにいることで、自分が安心してやっていけるという自信を持たなければなりません。
つまり、自分はここにいていいんだ、自分がただいることを喜んでくれる親が身近にいてくれると感じられるだけ、甘えられる期間をもつことも必要なわけです。

この段階で、そのままの自分を受け入れることにつまづきを生じなければ、自分が存在していいことや、いらない人間ではないということを確信することが出来ます。
これが大人になってからも、無条件に自分を受け入れられるかどうかに関わってくるわけです。

おもちゃで遊ぶ子ども


ところが、子どものためにやっているように見えていながら、問題を作ってしまうのが、過干渉、過保護というものです。
これは、子どもが自分でやろうとすることを、親や祖父母といった身近な存在が先取りしてしまい、子どものかわりにお膳立てしてしまうということです。

これを続けられると、子どもは自分の頭で考えたり、悩んだり試してみたりすることが出来ません。
子どもが自分の手でやってみて、失敗したりうまくいったりを繰り返して、達成感を感じたり自信も生まれてくるわけですが、それを親が先取りして手を出してしまうことがその機会を奪ってしまうのです。

子どもだから失敗しそうで心配だし、危なっかしいからと言ってかわりに手出ししないで、そういったことを最小限にとどめなければなりません。

子どもにしてみれば、ちょっと自信ないけど試して見ようかなとようやく勇気を出してやろうとした時に、親がやってあげるよと言って横取りしてしまうと自分の経験を積み重ねることが出来なくなります。

また、自分の自発的なやる気を見せるたびに、お前には無理だからお母さんにまかせなさいといわれてしまうと、自分では考えたり行動しない方がいいんだと決めてしまう可能性があるのです。
これが、子どもが自分の考えを使わずに、親の考えにかわりをまかせてしまうという共生関係をまねいてしまいます。

このような過干渉で育てられた子どもは、自分で何かをやり遂げたという感覚を持てないため、親がそばにいないと極端に自信のない臆病な子どもになってしまいます。
そして学校や社会に出てきた途端に、いきなり自分で考えたり行動しろと言われるわけですから、どうしていいのかわからなくなってしまいます。

自分で考えるなと言われ続けてきたわけですから、何か問題が生じても自分で責任を持たず、すべてまわりのせいにしてしまうようになるのも、この過程を考えれてみれば当然なのかもしれません。

褒める父子     悩む女の子


ところで、もうひとつの「過剰適応」というのは子どもの側のありかたです。

最初の方で述べたように、幼い頃に自分がそのまま存在することにたいして、充分な信頼感をそだてられた人にとっては、他人からの賞賛や承認がたまたま得られなかったとしても、ぐらつかないで自分を受け入れていることが出来ます。

ところが、これが充分に育ってこなかった子どもは、自分の存在価値に対して不安を感じていますから、それを埋め合わせるために、他の人からの承認や賞賛の言葉を頼りにするようになります。

そういった子どもは、ほめられている間は、自信を持って行動できますが、軽く扱われたり、叱られたりすると途端に自信を失ってしまうのです。
そしてまた、親や大人が喜びそうなことに焦点を合わせようと無理していますから、自分の考えをはっきり言ったり、反論したりすることが出来なくなってしまいます。
これが「過剰適応」と呼ばれる状態です。

このような子どもは、見たところ聞き分けがよくていい子に映ります。
親にとっても、この子は兄弟の中でも手のかからない子どもだと思っているかもしれません。

しかし、「過剰適応」している子どもにとっては、いつも自分の存在価値を確かめるために、誰かの賞賛を探し求めていなければならず、それが受けられなかったらどうしようという不安がつきまとっているのです。
大人から見ておとなしくていい子に見えても、本人はとても苦しい状態にあるわけです。

このような子どもは、やはり自発的な行動を控えてしまい、大人の顔色をうかがうことになってしまいます。

大人が認めてくれるような結果を出して褒めてもらおうという意識が強いですから、学校の成績とか能力面での向上心は強くなるかも知れません。頑張り屋さんである可能性も高いでしょう。

しかし、自分を認めさせるために、それなりの評価を受けられるだけの能力を示せているうちはよくても、いつでも自分だけがいい結果を出せるわけではありませんから、いずれ限界を感じるときが来てしまいます。

まわりからの評価の獲得にうまくいかなくなったときに、自分への承認の根拠を失うわけですから、そこでどれだけ無条件に自分を認めることを取り戻せるかが重要になってくるわけです。

それがうまくいかないと、子どもであればおとなしかったのに急に切れてしまうようになったとか、大人であれば深刻なうつ病を発症する原因となったりもするわけです。

大人になっても、成果を上げることに異常に執着する人の場合、成果を重視する社会にあっては方向が一致しているので評価を受けるかもしれません。
しかしその根底に自分を受け入れられないことへの恐怖が潜んでいるとすれば、いずれ限界を感じたときに深刻な問題を引き起こす可能性があるといえるでしょう。

どこかで立ち止まって、条件付きの承認ではなく、自分への無条件の承認を育てることを考えた方がいいのかもしれません。


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子ども時代の遊びと現在の自分

子ども時代の遊び方を振り返って見ると、大人になってからのその人の行動や個性についても、さまざまなことが見えてくるものです。

遊びは子どもにとっては、単なる娯楽や楽しみだけではなく、成長するためにも欠かせない精神的、身体的な活動です。
そして子どもの頃の遊び方の中にも、すでに行動的で活発な表現をするのか、あるいは受け身な観察者になるのかといった傾向も現れてきます。

自発的で自然な表現で無邪気に遊ぶ場合もあれば、適応した面が強く現れて楽しみよりも相手に勝つことがもっと重要だと考えるかもしれません。

屋外で遊ぶ子ども


また遊びの中に、将来の予行演習として、自分の得意な役割というものも作り上げていきます。
その顕著なものは、ままごと遊びでの役割ですね。

あるいは、テレビやアニメの登場人物を演じてみたりします。
正義の味方になるか、悪役になるのか、主人公になろうとするか、好みの脇役を演じたがるのか、いろいろな個性が見えてくるものです。

当然そのような傾向は、その子どもの将来の職業にも影響を及ぼしてくるでしょう。
また、そのモデルとなるのは、両親の仕事や日頃の行動かもしれません。

子どもが、プレーヤーになって実際に行動することを好むのか、それとも観客として想像の中で自分が活躍するのを見ているかでも違いが出てきます。
それは大人になってからも、社交的な場面で自分が主役になろうとするか、取り巻きとして集団を眺めている方が楽だと感じるか、といったかたちで現れてくる可能性が高いでしょう。

子どもがどこで遊びたがるのか、あるいはどこで遊ぶように育てられたかというのも、結構重要な影響をもたらすものです。
つまり、外で友だちと一緒になって身体を動かすことが多いか、家にいてひとりで遊んだり家族とだけ関わって遊ぶのかという違いは、大人になってからもどちらを好むかに現れてきます。

そのような違いが出てくるのには、いろいろな要因が関係してくるでしょう。
たまたま外で遊びたがる友だちに恵まれていれば、外で遊ぶことが多くなったりするでしょうし、親の過ごし方を見て、それをまねるうちに好みが作られてくるかもしれません。

家庭で遊ぶ子ども


また、親のしつけや感じ方が、直接子どもの遊び場所についての制約をもたらす場合もあります。

家の中で子どもが騒ぐのが嫌いな親は、子どもに「家の中で遊んではいけない」と言うメッセージを送ってしまいます。

「外で遊んできなさい。家の中は遊ぶ所じゃないよ。」
「部屋を散らかすと怒るよ。」
「家の中で騒ぐんじゃありません」
「静かにしてないと、お父さんが怒りますよ。」

このような子ども時代を過ごしたとすると、大人になってからも、なんとなく外に出ないと息抜きが出来ないと感じるようになるかも知れません。

夫婦の間でも、やすらげる場所が正反対だと、一方が外に遊びに出かけたり旅行したがるのに対して、もう一方は家でのんびりすることを好むことになり、どちらかが犠牲になって我慢することになるかもしれません。

このような自分でも意識しにくい禁止令が働いていると、本人はなぜかそれを実行することに抵抗を感じてしまうのです。
そんなとき、相手が家の中に居たがったり、外に行きたがるのかがわかっていないと、単に自分勝手に決めてしまうことが許せないと感じてしまいます。

また遊ぶことが出来ないという大人も存在します。

「そうやって遊んでばかりいると、ろくな大人になれないよ!」
「勉強が終わらないうちは、遊びは禁止」
「遊んでるのは時間の無駄」
「おまえには遊ぶ時間などない」

このような「遊び」に対する罪悪感を植え付けられていると、大人になってからも出来るだけ遊びの時間が無いような仕事を選んでしまうかもしれません。
そして仕事の中に遊びが入ることを嫌ったり、だれかが無駄な時間つぶしをしているのをみるといやな気分になってしまいます。

おもちゃで遊ぶ子ども


それから、遊びかどうかはともかく、子どもらしい無邪気さで騒いだり、動き回っている子どもをみるといらついてしまう親もいます。
その親自身も、やはり子どもの頃に同様のことの禁止を経験しているのかもしれません。
この場合も、大人になってからも、ふざけたり、大きな声ではしゃいだりすることに抵抗を感じてしまうという可能性があります。

しかし、このような子ども時代の経験があったとしても、それは変えられないものではありません。
自分の無意識の抵抗がどこから来ているものかを感じ取って、それを変えようと決心することも出来るわけです。

それは、自分の中に存在して禁止を命じているのは、いまはそこに実際に存在する人間ではないことを理解し、自分自身に許可を与えることです。
頭ではどんな行動も取り得るとわかっていながら、実際に動けなくさせているのが誰なのか、そして、そこにダメだと言ってくる人が実際にいるわけではないことを理解するのです。

子どもの頃は出来なかったいろんなことを、大人のあなたは今は難なくやっています。
それと同じように、何となくあなたを動けなくしているその禁止令も、あなた自身が決意して許可を与えればいいだけだということを理解します。
そうすれば、いまここで自分がどう行動するかの選択肢は拡がります。
いままで、自分には縁のないことだと考えていた選択にも可能性が生まれるのです。


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もしわたしが宇宙だったら

課外授業 ようこそ先輩「生命の起源を旅しよう」という番組を見ました。
NHK 課外授業ようこそ先輩 | これまでの放送 長沼毅

小学生を対象とした体験学習という形式の授業内容です。

途中からしか見ていませんが、そこでは、転がっている石ころを拾ってきて、この中に生命はいるだろうかということで、石を粉になるまで砕いてシャーレの培養液に入れます。
時間をおくと、石の中にいた無数の微生物がシャーレの中で活動を始めていました。

どんな辺境でも逞しく生きる「生命」、こんな石ころの中にも生命が存在する、「生命ははびこる」と長沼さんは言います。

そして、ではこの生命というものが地球上にいなかったらどうなるだろうか?
生命がいようといまいと、やはり太陽は東から昇り、宇宙という存在もそれに関わりなく活動し続けるだろう。

種と双葉


では、なぜ生命がこの地球上にいるのだろう、自分がこの宇宙を作った母なる存在だったらどう思うだろうか?
宇宙の創造主になったとしたら、あなたは生命をこの星に存在させようと思っただろうか?

こんな風に話が進んで、子どもたちに作文を書かせます。

「もしわたしが宇宙だったら」

子どもたちは、宇宙の気持ちになって生命の存在意義について、どのように考えるかを作文に書きます。
記憶に頼っていますが、大体こんな内容の文章が紹介されます。

「人がいれば苦しいことも、楽しいことも両方ある。でも人がいなければ、そんな楽しいことも苦しいことも何も存在しなくなる。わたしは生命を作り出すだろうと思います。」

長沼さんは、こんなことを言います。
人生は苦しいことが9割で、楽しいことは1割もないかもしれないとお釈迦さんは言っています。
それでも、大人たちは苦しいと嘆いているばかりでなく、楽しそうにしていますね。
それが知恵というものです。
知恵があれば、苦しいことはあっても楽しく生きられる。

「人はいろいろな争いを起こす存在。僕はこんな生命なら、いない方がいいかもしれないと思います。」

長沼さんは、いいます。
争いを起こす存在は問題です。でもそれでも宇宙は生命を作ってしまいました。
宇宙は生命を作り出さなかった方がよかったのかな?

「やっぱり生命には滅んで欲しくない」と男の子。

もうひとりの女の子は、「もし宇宙に生命というものがなかったら、そこは何にもない。誰もなにも感じないさみしいところ。宇宙が生命を作り出してくれたことに感謝します。私がこの世界に生まれたことを嬉しく思います。」

長沼さんは感激して「素晴らしい。」と一言。

こんないろんなことを考えさせる課外授業でした。

「もしわたしが宇宙だったら」、あなたは生命を作り出したいと思うでしょうか。
生命には、どのように生きていて欲しいと思うでしょうか。

宇宙1


そして、このような身近な生活から遠く離れた位置から眺めてみたら、あなたは自分の生命としての存在をどう思うでしょうか。

「人間と自然の共存」という視点もありますが、まだどこか人間を特別視した見方なのかもしれません。
人間も宇宙のその長い長い変遷の中では、ほんの一瞬にしか登場していない存在なのでしょう。
人間がどんな存在になろうと、宇宙全体から見れば取るに足らない一ヶ所のうごめきでしかないのです。

そんな中で、私たちが思い悩んで人と争っている姿など取るに足らないものです。
たとえば、あなたが他の人よりももっと優秀な人間でありたい、競争に勝ちたいと宇宙に願ったとして、宇宙の創造者はどう思うでしょう。
どうせどの人間も同じことを願っているから、誰かの願いだけかなえるわけにはいかないと思うのでしょうか。
それとも、気まぐれに格差を作り出して遊んでみようと思うのでしょうか。

いずれにしても、そんな違いは、ほんの一瞬に起こる出来事に過ぎないし、生命全体の視点に立てば、そんな一つの生命の願いなど、いちいち扱う対象ではないのかもしれません。

そのような視点に立って考えるなら、私たちが悩んでいることなど、身のほどをわきまえない悪あがきにしか見えません。
宇宙からみれば、そんなことで悩んでしまう生命を作った覚えはない、そんなことで騒いでいるようなら、ちょっとしたバグに過ぎないと言うでしょう。
本来の設計では、生命はそんなことで左右されるようなものには造っていないのであって、人間が勝手に勘違いしているだけだと。

気象災害

台風が来たって朝には静かになっている
大雨が続いても1日で終わるだろう
このように天地の働きでさえいつまでも続くものではない。
人が考えてやっていることなど長続きするわけがない。
老死道徳経 第二十三章



あなたの悩みなど、宇宙の視点からはそもそも問題にもならないもの。
あなたが宇宙なら、もうすこし勘違いしない生命だけにしておこうと思い直すでしょうか。


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親声/いらだちを誘うひと言

親の親切きわまりない問いかけに対し、子どもがいらだちの返事を返す。
よく見かける光景ではないかと思います。

カウンセラーの伊藤友宜先生は、「親声」という言葉を提案されています。
「親声」とは、語尾に?がついたように音程が上がる言い方です。

たとえば、

「亮太。↑ ごはんできてるよ。↑ 食べる?↑ いらないの?↑ 返事ぐらいしなさいよ。どう?↑」


と言った具合です。
親としては、親切にもYES/NOだけで答えられる質問をしているつもりです。
しかしそこには、親の意向に従って「はい」と答えなさいという強制が潜んでいるのです。

こどもは、意識してか無意識でかはわかりませんが、このような親から型にはめられてしまうことに反発して、ついいらだった答えを返さざるをえません。

「うっせえなぁ。ごはんなんかどうでもいいよ」


このような子どもを誘導してしまおうとする問いかけは、その多くは無意識のうちに行われ、こんなに気を使って言ってるのに、なんでこんな答えしかできないのかしら?と思ってしまうのです。

喧嘩する親子


先日の「質問という名の押しつけ(http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-472.html)」と同じようなことをしていて、そこに「親声」を使ってさらにいらだちを誘うことになるのです。

伊藤先生は、これに対して語尾を平板に、あるいは少し下がるくらいに伝えられれば、そこに親の意向を感じられずに伝達のみが行えるのであって、こどもも不要ないら立ちを引き起こさずに済むのだということを言われています。
つまり、こんなようにです。

「亮太↓。ごはんができた↓。おつゆ、さめないうちにおあがり↓」


子どもがすぐにいらだつようなときは、「親声」を排除して、クールに感情を交えずに伝えると言うことです。

親が断定したり、考えにしたがわせることは、もちろん子どもの年齢によっても対応が変わってくることでしょう。

子どもが自分で考えられないうちは、親の方でやってはいけないこと、やるべきことを強制的にでも教え込む必要があるでしょう。

しかし、子どもが自分で考える年齢になったとき、同じように親が代わりに考え、代わりに答えを出し続ければ、子どもはそれにしたがうことに抵抗を始めます。
だまってしたがうことは、自分を無くしてしまい、呑み込まれてしまうような危機感を抱くようになってくるわけです。

そこでは、どう反論していいかはっきりわからないいらだちを感じながらも、とりあえず反発しておかないと身を守れないと感じてしまうのです。
もしそれを感じないまま大人になるのでは、後々別の問題を抱えることになってしまいます。

親子会話

実は、こうあるべきだと子どもに言い聞かせようとする親自身も、その内容に自信がないのかもしれません。
それは、答のないことに対して、無理やり答えがある筈だと決めて、信じようとしているからです。

なにか理想の完成像があって、そこに向けて努力したり成長するのが、人のあるべき姿だという信念があります。

私自身はそのようなものに根拠が在るとは考えない方ですが、あいかわらずそのような成功哲学とでもいうものは強い人気と信仰が存在するようです。

そのようなものが存在するのかどうかはともかく、誰であろうとそのような強い確信が維持できない時はあるはずです。
もっといえば、答えのでないことに無理やり答えを仮定しているのですから、いつまで経っても不安の消えない葛藤を続けるしかないわけです。

親はそのような自分のいらだちを、子どもにぶつけるようなことはしてはならないでしょう。

子どもが「なんでそんなことがはっきり言い切れるんだ!」と反論したとき、親は答えられないなら、それを正直に認めるべきだと思います。

何ものかになること、ひとかどの人になることを、親も理想とし、子どもにもそうなって欲しいと思うのはいいとしても、答えられないことは答えられないと認めなければなりません。

子どもが、そんな疑問を考える年になったのなら、答えを強要するやり方をやめて、おなじ対等な人間として子どもと一緒にその問題を考えてみる。
そんな親子関係が出来ればと思うのです。

それには、親自身が自分のことを知らなければなりません。
自分に対して、あるべきだと信じる答えを、強要し続けるのをやめることがまず必要になるでしょう。

それは、おそらく終わりのない問いかけになるかもしれません。
答えがないことが不安で、それを否定したくなるでしょう。
しかしあるべきだと信じたいことを無理やり抱えこんだ結果、すぐに破綻しては、また葛藤を繰り返すようなやり方よりは、ずっと実りの期待できるものだと思うのです。

親自身が自信の持てないことを強要しようとするときほど、「親声」をもたらしてしまうような気がするのです。

参考
プロカウンセラーが明かす 子どもの個性を伸ばす魔法の聞き方
伊藤 友宣 青春出版社 / 2003-12-10





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質問という名の押しつけ

「なぜ?」という質問は、時として相手をコントロールしてしまおうとする問いかけになってしまうことがあります。

たとえば、母親が学校の先生から連絡を受けて、子どもが宿題を提出していないことを知ります。
「先生から連絡があったよ。なぜ宿題を忘れたの?」

子どもにしてみれば、宿題を出せなかったことで罪悪感を感じていますから、質問と言うより尋問や叱責の前触れと思って構えてしまいます。

いっそのこと「宿題を出さなかったそうね、お母さんはあなたに宿題をちゃんとやるようになってもらいたいの。」とでも言ってもらった方がスッキリするでしょう。

「なぜ宿題を忘れたの?」と聞かれて、素直に宿題が出来なかった理由をいっても、結局「そんなんじゃダメじゃない!」と返されることがわかってくると、子どもは何と答えていいのか困ってしまうのです。

喧嘩する親子


また問いかけと言う形を使いながら、相手をコントロールして自分の都合のいい答えを引き出そうとするのは、「質問という名の押しつけ」になってしまうかも知れません。

「今日は何時から勉強するの?」

こどもは今日は勉強する気などなかったかもしれませんが、このような質問をされては、最初から勉強しないという選択肢を排除されてしまうことになります。

「どうせお母さんのせいだよね?」

よく意味がわからない言い方ですが、こんな言い方をされては、母親の意見に従っておかないと何を言われるかわかりません(笑)。
あまり多用したのでは、子どもは自分の意志を表現しなくなってしまうかもしれません。


「なぜそんなやり方をしてるの?」
「こんなことをして、どういうつもりなの?」

こんな質問のしかたでは、受け取る側は罪悪感を感じなくてはなりません。
もっと具体的に自分の考えを伝えてもらう方がお互いやりやすいはずですよね。

「わたしはそのやりかたはちょっと嫌いなの。他のやり方ではだめ? たとえば...」
というように、自分の考えをはっきり示してくれる方が一般的には受け入れ易いものでしょう。

意見を交わすビジネスマン

ところで、このような表現をする人は、相手に喧嘩を売っているように勘違いされるかもしれませんが、実際には自分を受容したり自信が持てないため、気持ちや意見をはっきり表すのをためらった結果、このような質問形式で意志を表そうとしている人もいるのです。

自分の考えをはっきり表現することに抵抗を持っている人は、そのせいで曖昧な表現になったり、相手にあずけるような質問形式をとってしまうのですが、皮肉なことに相手はそれを押しつけだと感じたり、はっきりしないことに対してイライラしてしまったりするわけです。

そのような傾向がある人は、「自分も相手も大切にする」方向で表現することを意識した方がいいかもしれません。

自分の意見を最初から否定してしまわないで、素直に表現すれば他の人の意見と同様あなたの意見も価値があり受け入れられるものだと発見できるはずです。

そして相手に誤解されやすいあいまいな表現は避けた方が、他の人とのコミュニケーションも円滑になっていくものだということにも気づいていくものです。

普段はそのような表現はしない人でも、自分の弱い部分に関しては遠回しになったり、あいまいに相手任せで逃げる表現をしてしまうかもしれません。

しかし、素直に自分の意見を表す方が、結局は円滑に意見交換できる場合の方が多いはずです。
ちょっと意識してみてはいかがでしょうか。


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心配性2/行動できない

心配というのは、いいにせよ悪いにせよ結果が出てしまえば、本来は消え去るものでしょう。
しかし心配性の人は、ひとつ片づいた瞬間に次の心配事を作り出してしまうようです。

そんな心配性の人の中でも、行動を起こすことに抵抗を感じて動けなくなってしまうタイプがあります。

心配性だから動けないという言い方も出来ますが、実は自分から行動を起こすこと自体に問題を抱えているのかもしれません。

行動できない人の原因のひとつには、決断するのが恐ろしいというのがあります。

結果が怖くて決断を下せないので様子を見て先延ばしにするのですが、その結果行動を起こさないでいても後悔するし、仕方なく動いた場合でもうまくいかないんじゃないかと考えてしまうのです。

ためいき3


行動しようとするのをストップさせるもの、そこには何か元になる原因があるのかもしれません。

「思いつきでしゃべらずに、話す前に考えなさい」
「いい加減なことをして後悔するのは自分だからね」
「本当にそれで大丈夫なの?」
「何事も慎重に準備してからやりなさい」
「あわてる乞食はもらいが少ない」
「どんなときも気を許しちゃダメだよ」
「本当に必要なときだけ実行しなさい」
「調子に乗ってるんじゃないよ」

このようなメッセージは子どもの安全を願っての言い回しなのでしょうが、条件によっては後々私たちの行動を起こす決断を鈍らせる働きをしてしまいます。

このくらい言っておかないと何をするかわからないと親は心配なのかもしれませんし、そういわないといけないタイプの子どもだっているでしょう。

しかし親が心配性だとちょっとしたことにも、このような言葉が反射的に出てくる場合もあるわけで、何かにつけてこのようなメッセージを聞いていれば子どもは行動する代わりに心配することを覚えてしまうかもしれません。

「思い切ってやってごらん」というべきときにも、「よく考えなさい」と言ってしまうのです。

叱られる1


心配することが行動の代償行為になってしまうのは、ちょっと行き過ぎた反応の仕方です。

行動することにはリスクが伴いますが、リスクを適切にとらえて判断することと、過剰に怖がって動かないことは異なります。

それに行動しないという選択にもリスクはあるということも知っておく必要があります。

取り越し苦労というのは、勝手に自分で未来を予測して、それも悪いことが起こる方を予想してしまうわけです。

ですが、やっている本人にとっては、公平に未来を予測しているつもりになっています。

行動に移すことをためらいがちな人は、行動の代わりにこのゆがんだ未来予測に熱中してしまうのです。

またそのような人は、一生懸命未来を予測して完璧な仕事をやろうとしているのに、なぜいい加減な予測で行動してしまう人がいるのだろうと考えて、逆に心配しない人を非難したくなったりします。

ですが取り越し苦労というのは、どう考えてもエネルギーの使い方を間違えています。

行動に移した方がいろんな選択肢が増えて、思いもしなかった展開も待っているものです。

少ない可能性で、しかも悪い方の予測を採用していてもよりよい結果に向かえるとは思えません。

それに「取り越し苦労」がまちがったやり方である証拠とでもいえるのは、その人の心身にも悪影響を与えるだろうということです。

心配性ではなかなか活動的になれませんし、心配ばかりしていると落ち込んできたり身体の調子も悪くなりがちです。

メンタル


「杞憂(きゆう)」という言葉がありますが、これは天が崩れ落ちてきはしないかと心配した人の故事からきた言葉ですね。

「取り越し苦労」というのは、このようなたぐいの話です。

自分の心配はもっと現実的だといわれるかもしれませんが、いくら身近な予測でも未来は完全に予測できないことにかわりありません。

生活に障害を来すようだと、今ならパニック障害や強迫性の障害だと診断されるかもしれませんが、強迫的な心配は早めに解決しておきたいものです。

行動することは、やってもやらなくても100%満足する結果にはならないものです。

予測ばかりして様子を見ているだけでは何も変わらないだけでなく、新しい機会をどんどん失い続けます。

もちろん場合によっては、あえて行動しない選択の方が正しい場合もあります。

しかし、やらなかったことを後悔するようなら、あなたのやるべきことは「取り越し苦労」ではなく行動することにあります。

自分が行動しない理由が根拠のない心配からくるものに思えてきたら、目をつむってでも行動してみることです。

あなたは本当は行動しないでいることに自分でもいら立ちを覚えているのかもしれません。

しかしそれでも行動しないことが、さらに予測をより悪いものに見せ、より恐ろしいものに変えてしまうのです。

今度自分が「取り越し苦労」を始めたと気がついたら、その心配することでどんな情報や結論が導き出されたかを確認してみましょう。

それが何の役にも立っていないことがわかったら、小さなことでもいいですから保証のない不完全な行動を1つ実行してみましょう。

それもあくまで結果を予測しないでやることです。
その時の自分を評価したり分析したりせず、ただ行動してみます。

実験のつもりで、どんな結果になってもいいと思って行動し、しばらく我慢してそれを続けてみるのです。

そしてそれが続けられたら、結果が良くても悪くても、新しい行動に踏み切れたことで自分を褒めてあげることです。

どのようなことに目を向けるかも大事ですね。

悲観的な人が考えがちなのは、
・今は実現不可能なことを何とか出来ないか考えてしまう。
・過去の失敗をあれこれ思い起こして後悔する。
・失敗の原因を変えようのないことに対して探し求めてしまう。

これらを方向転換してみましょう。
・今すぐ実現可能なことだけに目を向ける。
・過去にうまくいったことを思い出して今に生かせないかを考えて見る。
・失敗の原因として自分に変えられることだけをチェックしたら、あとは成り行きにまかせてしまう。


なぜと考えないで、ただただ行動してみる。

時にはこれが最高の解決を切り開いてくれます。



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人生脚本 - 交流分析

交流分析でいう脚本(Script)とは、幼い頃に外的な出来事にどうのように反応し解釈したかを元にして、結論づけてしまった個人の人生プランのことを言います。

このような脚本が作られるのは、子供は非常に幼く、何が起こっているかを理解する判断力が充分でなかったり、両親の影響をきわめて強くまともに受け取ってしまう立場にあるためです。

執筆女性


エリック・バーンは人が従いやすい脚本パターンとして以下のようなものをあげています。

1.「決して(?してはいけない)」
この脚本パターンを持つ人は、普通のことは行えても、自分が一番望んでいることは決して行ったり思ったりしてはいけないと考えてしまいます。
自分の一番の望みは無意識に考えることさえ避けてしまいます。

こどもにとって自分が一番やりたいことを禁じられた経験が強く刻まれてしまったのかもしれません(例えそれが危険なことだから親が禁止したとしても)。
あるいは、親自身が自分を自由に表現することを禁止されて育ったことが関係するかもしれません。

2.「いつも(?していなさい)」
この脚本は1とは正反対に、いつも同じことをやり続けなければならないというものです。
いつでも働いていないといけない、一ヶ所に落ち着かずにいつも引っ越しをしてしまうなど、同じことを繰り返してしまうパターンです。

3.「?までは」「?の前に」
「宿題を終わらせたら遊んでいいよ」といわれた子供のように、特定の時期が来るまでは報酬が得られないとか、何かを終わらせるまではお預けという脚本です。

このような人は、仕事熱心な人かもしれません。
しかしひとつの区切りが来ると、ほっとする暇もなく次のゴールが目の前に立ちふさがるのです。

4.「?の後では」
この脚本は、特定の出来事やその区切りが付いたときに、後にやっかいなことが待っているというものです。
特定の年齢になったら、後はいいことが待っていないと思い込んだり、楽しんだ後には苦労が待っていると信じてしまいます。

結婚するまではハッピーだが、結婚後はつらい人生が待っていると信じる人もいるでしょう。

5.「繰り返し繰り返し」「ほとんどもうちょっとで(できたのに)」
この脚本では、けっして成功したり、完結することがありません。
仕事が終わろうとしていると何故か追加の作業が発生するのです。

「成功」というゴール寸前で自分から積み上げたものを壊してしまうかも知れません。

6.「終わりのない」
この脚本では、ある時期が過ぎた後に何が待っているのかがわかりません。
そのかわり、先が知らされないのに、後になってこれはもっと早くやっておくべきだったと後悔しなければならないのです。

子育てが終わって子供が家を出てしまってから、自分がこれから先どうすればいいか焦り出したり、定年退職後の人生で何をしていいのかわからないといった場合もあるかもしれません。。


「決して(?してはいけない)」や「終わりのない」という脚本は、常に「もっと努力する」ことを要求されます。

脚本は自主的に選択を許さないところに問題はありますが、表面的にはメリットがないわけではありません。

このような脚本はワーカホリックを生み出すかもしれませんが、一方でそのような脚本を持たない人から見れば、仕事の区切りがつくやいなや次の仕事のことを考えているその態度を尊敬の目で見るかも知れません。

問題は、常に駆り立てられて潰されてしまわないように、その人が自分を解放出来るかどうかにかかっています。
「これだけやったらOK」という許可を自分に与えられるようにすることが必要です。

「いつも(?していなさい)」や「?までは」の脚本では、「完全であれ」ということが要求されがちです。
「完全であれ」という要求は、何をやっても満足出来ず、自分の判断に常に疑いを持つことになってしまいます。

このような要求には、「自分自身であってもいい」という許可を与えられることが必要です。

「?の後では」や「ほとんど」の脚本では、自分自身のことを考えずに相手を「喜ばせろ」という要求が伴いがちです。

このような要求に対しては、自分自身のことを考えて、自分を大切にしてもいいという許可を与えられることが必要です。

「いつも(?していなさい)」の脚本は、いつも「強くあれ」とか「急げ」という要求が含まれるかもしれません。

「強くあれ」という要求は、自分の弱さや自分らしさを表現することを押さえつけます。
また、自分自身の欲求を素直に満たすことに困難を感じるものです。
自分をオープンにしたり、自分の欲求を満たしてもいいよという許可が必要です。

OKお母さん


いつも仕事がある程度のところまで進んでいながら、もう一歩で何故かそこから立ち去ろうとしている自分に気づいたら、自分に「成功する」ことを禁じているのかもしれません。

何故そんな不合理な行動が無意識に行われてしまうのか、それに気づかせるという意味では、このような「人生脚本」という考え方が新しい視点を与えてくれるかもしれません。

しかし、どのような脚本を持っていたとしても、肝心なのは本来の自分は脚本にかかわらず存在することに気づくこと、そして自分自身を取り戻す決心をすることです。

人は非合理的な行動をするものであることを認識して、そのような強制に従わずに、あくまで本来の自分の存在と接点を保とうとすることです。

また「存在すること」「自分の感覚をもち、それに気づくこと」「感じること」「考えること」「自分自身であること」「成功すること」などを自分に許すことが、こうした脚本や何となく聞こえてくる強制的な要求に対抗するための手がかりになります。

またついでに付け加えると、このような知識も、自分は脚本にはめられているとか、自分は犠牲者だからという姿勢をとってしまうのでは逆効果です。

それは新たに「犠牲者」のゲームを演じることであり、あなたを解放するためには足かせになりかねないということに注意する必要があります。


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意地悪な人 - エゴグラム

意地悪な人というか、他人の弱点を突くのが得意で、相手に痛手を与えてしまう人がいるものです。

もちろんそんなタイプにもいろいろあるでしょうが、典型的なパターンと標的にされる人との関係などを見てみたいと思います。

ジョン・M・デュセイ「エゴグラム―ひと目でわかる性格の自己診断」のゼストの症例をベースに書かせてもらいます。

「エゴグラム―ひと目でわかる性格の自己診断」 ジョン・M・デュセイ / 創元社 / 1983 /



内容に入る前に「エゴグラム」や「交流分析」について、必要な知識を紹介しておきます。

エゴグラム - Wikipedia


エゴグラムとは、エリック・バーンの交流分析をもとに弟子のジョン.M.デュセイが考案した分析法である。

バーンの交流分析では親らしさのP(Parent)、大人らしさのA(Adult)、子供らしさのC(Child) の3要素が用いられたが、デュセイはPをさらに批評的な親であるCP(Critical Parent)と養育的な親であるNP(Nurturing Parent)に、Cをさらに自由奔放な子供であるFC/NC(Free Child/Natural Child)と従順な子供であるAC(Adapted Child)に細分化し5つの要素で分析する(後述)。

それぞれの要素は必ずしも高いほうがよく低いほうがよいというわけではなく、あくまでもその人の性格や人との関わり方などを表したものであり人の優劣を表すものではないが、一般にそれぞれの要素が中庸または強くかつバランスがよいのが理想的であるとされる。

日本では東大式エゴグラム(TEG)によりグラフで表示することが考案されたことで自己分析法として広く一般に知られることとなったが、国際的には 3要素で分析することが今でも一般的である。

5つの自我状態

* 親の心(P)は親などの影響を受けて形成され、CPとNPに分けられる。

CP(厳格な親の心)・・・信念に従って行動しようとする父親のような心。自分の価値観や考え方を譲らず、批判的である。
NP(保護的な親の心)・・・思いやりをもって他者のために世話をする母親のような心。優しく、受容的である。

* 大人の心(A)は科学的な思考・行動の自我状態。

A(合理的な大人の心)・・・事実に基づいて検討・判断する大人の心。冷静で客観的である。

* 子供の心は(C)子供の自由な感情・環境へ反応の自我状態で、FCとACに分けられる。

FC(自由な子供の心)・・・自分の欲求・感情に従って行動する自由な子供のような心。明るく、無邪気である。
(NC)(自然な子供の心)・・・FC(フリーチャイルド)の別名、ナチュラルチャイルド=自然のままの子どもの意。
AC(従順な子供の心)・・・自分の感情を抑えて他人に良く思われようとする従順な子供の心。

エゴグラムを用いた自己分析

自己分析方法としては東大式エゴグラム(TEG)やその応用が有名である。質問紙法で、50程度の質問に答えていき最後にそれを集計し点数化したものをCP、NP、A、FC、ACの順に点数を基に点を打っていき、グラフにする。グラフから各自我状態の強弱・性格の傾向を知ることができる。点数が高い自我状態はその自我状態の傾向が強いということであり、低いものはその傾向が弱いということである。(例えばNPが高い場合は優しくて思いやりが強い、低い場合は思いやりに欠け、冷たいというように判断できる。)

普通、子供の頃はCPやNPが低くFCやACが高いため右上がりになり、年を重ねるとCPやNPが高くなりFCやACが低くなるため次第に右下がりとなる。

一般に、日本人ではNPが最も高い山型でCPA>FC>ACとなるへの字型が最も多くかつ理想的とされ、欧米では Aが最も高い山型が最も多くかつ理想的であるとされる。



それではデュセイが紹介している「ゼスト」の症例に入ります。

ゼストの問題は、孤独であり不幸や絶望感を漂わせていて、ひとりぼっちになると飲み過ぎ、ひとりアパートで飲み過ごすけれど誰ひとり彼のアパートには訪ねてきません。

エゴグラム(ゼスト)自我状態

ゼストのエゴグラムは、FC(自由な子供)が最も高く、次にAC(従順な子供)が続きます。
その次に来るのはCP(厳格な親)とA(合理的な大人)であり、他と比べてNP(保護的な親)が非常に低くなっています。

ゼストの幼少期の家庭環境は、父親はゼストが幼い頃に家庭を捨てて出て行ってしまい、母親は彼女自身の問題から人との親密さを持つことに問題を持ちます。

機会あるごとにゼストは妹をいじめていて、彼女の叫び声やかんしゃくを楽しんでいました。

母親との関係では普段親しさを見せない彼女に対し、ゼストが悪ふざけをしているときには注目を集められることを知ってそれを利用していました。

ゼストはグループセラピーの場では、参加者の何人かに意地悪を見せます。
ターゲットになった他の患者は、痛い所を突かれて逃げ出したり、パニックになってしまいます。

いじめゲーム

ゼストの「いじめゲーム」は、表面的には他の人も認める様な客観的な事実を指摘する、A(合理的な大人)同士の会話を取っていますが、その裏側での実質的な交流は、彼のFC(自由な子供)から相手のAC(従順な子供)へ向かいます。

つまり、子どもの直感的ないじわるさで、相手の怖がっている部分を責め立てるというものです。

グループセラピーの他のメンバーは、ターゲットになった人達の弱点を含む問題点には気づいていましたが、まだそれを指摘して直面させるのは時期尚早と感じていたわけです。

その点で、ゼストは極端に低いNP(保護的な親)ゆえに、相手に対する思いやりや保護しようとする心が乏しいわけで、容赦なく相手を責め立てていくわけです。

表向きは「だって本当のことじゃないか」とAの会話に見せかけるわけです。

ところで、ターゲットにされたいじめられる側の弱みは、主にAC(従順な子供)にあります。

暴かれたくない弱みを隠して、発見されることを恐れていますが、子どもの直感的ないじわるさでゼストはいち早くそれを見抜いて、自分の得意な「いじめゲーム」を始めてしまうわけです。

「いじめゲーム」を行う人は相手のの特徴を探し出すよりも弱点を見つけ出すことに長け、それに固執します。

それが、ゼストが望んでいる孤独から解放されること、つまり親密な関係を結ぶことから遠ざけてしまっているわけです。

治療では、ゼストはNP(保護的な親)を強めることになりますが、彼の高いFC(自由な子供)(自由な子供)はがんこに意地悪行為を繰り返します。

しかし、病棟の患者や職員からの慰めや保証を受けている自分に気づくようになるにつれ、自分自身で他の自我状態を前面に打ち出せることや、FC(自由な子供)を制御できることを見いだしていきます。

「意地悪な人」は別に彼のようなパターンだけとは限らないでしょうが、子どもの直感的ないじわるさがその一端にあることが多いのかも知れません。

それに加えて、相手を気づかうNP(保護的な親)の欠如は、容赦のない暴き立てを生み出すわけです。

おこる男の子3     泣いている女の子


一方で、いじめの標的にされる人は、主にAC(従順な子供)に弱点を抱えています。
その弱点である自分の肯定できない部分を、いじわるな人は容赦なく責めてきます。

そのような人にとっては、このグループの場合のように、まだ直面できる段階にないとして時期が来るまで保護されることが必要な場合もあります。

隠したり、あるいは意識的、無意識的に直面することを避けることで自分が壊れるのを防いでいるのかも知れません。

しかし、そのままでは自分を肯定できないままの状態ですから、いずれにしてもその人は自分の弱点に直面するときが必要になります。

そうしないで、自分の弱点を隠している限り、誰かに暴かれてパニックを起こす危険を持ち続けることになるわけです。

いったん自分の弱みを認めてしまえば、「私はいまはこのような弱点を抱えていますが、徐々に克服するつもりです。あなたの指摘は正しいかも知れませんが、今は充分には対応できていませんから、必要以上に指摘されることを拒否します。」という態度を取ることも可能になってきます。

そして、本人が弱点を認めてしまうと、意地悪な子どもはもはや相手がうろたえないと分かって、急に興味を失います。

いじめ甲斐がないと分かれば、つまらなくなって標的にすることをやめてしまうわけで、いじめの対象になっていた人はその意味でも解放されることになるのです。


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いやな気分を粉砕する(論理療法2)

前回に続いて論理療法のご紹介と、最後に子どもの叱り方の例文を挙げておきます。
例文については「ずっと、何だって、僕が悪いんだ(論理療法1)」も参照して下さい。


まずセリグマン等がABC思考法と呼んでいる、論理療法の基本理論を見てみましょう。

人の悩みは出来事そのものではなく出来事の受け取り方によって生み出されるものであり、受け取り方を変えれば悩みはなくなるというのが基本的なスタンスである。そして、それはABC理論とイラショナル・ビリーフに集約される。
ABC理論

A:Activating event(出来事)
B:Belief(信念、固定観念)
C:Consequence(結果)

出来事があって、結果があるのではなく、間にビリーフによる解釈があるという考え方である。とくに不合理な考えによる解釈をイラショナル・ビリーフと呼び、それを粉砕することを目的とする。

D:Dispute(論駁)
E:Effect(効果)

ABCのあとにの二つを加えて、ABCDE理論と呼ぶこともある。

イラショナル・ビリーフ

「失敗してはならない」「すべての人に愛されなければならない」「世の中は公正でなければならない」などという思いを持っていると、それらが満たされなかったときに悩むことになる。イラショナル・ビリーフは以下のような特徴がある。

* 事実に基づいていない
* 論理的必然性がない
* 気持ちを惨めにさせる

イラショナル・ビリーフは願望(?ねばならない、?であって欲しい)と事実を混同することから起こっている。このような混同を論理的に否定し、ラショナル・ビリーフ(合理的信条)へと変えてゆくのが論理療法の役割である(「文章記述を書き換える」という表現をする)。ラショナルビリーフは

* 事実に基づいている
* 論理性がある
* 人生を幸福にする

ラショナル・ビリーフの例は「失敗しないほうがいいが人間だから失敗することもある。失敗から学ぶべきである」「人に愛される・愛されないとは関係なしに具体的になにかをするべきである。その結果人が愛してくれればありがたいし、愛されなくとももともとである」などである。

端的に言ってしまえば、「?ねばらならない(must)」ではなく、よりマイルドであると言われる「?であるにこしたことはない(should)」という文章記述の書き換えである。

論理療法 - Wikipedia



次に具体的なABCDEの例として、セリグマンが「大人のための悲観志向撃退の練習」で取り上げているものを見てみましょう。

【A(うまくいかない状況)】
新任教師の私は、中学二年生のクラスを農場に連れて行って農業を学ばせようと、ずいぶん時間をかけて準備をした。反対するベテラン教師もいたけど、私は子どもたちに何か特別なことをしてあげたかった。農場に到着すると、生徒たちはてんでに勝手なふるまいを始めた。牛にチューインガムをやろうとした子もいたし、干し草の山にかくれて女の子が二人、たばこを吸っているところを見つけた。もう少しで火事になるところだったわ。男の子たちのグループは卵を盗もうとしていた。

【B(考えや思い)】
なんてひどい状況でしょう!私ったら、本当にばかな世間知らずなんだわ。校長はきっとカンカンに怒るでしょう。これからは規則どおりにやるわ。今後はこのような”青空教室”はナシよ。

【C(結果)】
私はとてもきまりが悪かった。月曜日になっても学校へ行きたくなかった。心のなかで、最悪の事態が次から次へと起こることを想像するのをとめることができなかった。

【D(反論)】
私は大げさに考えすぎている。確かに、何人かの生徒にはお手上げだったわ。でも、ほとんどの生徒たちはちゃんとしていたし、とっても楽しんで、たくさんのことを学んだじゃない。あの実地見学を計画したのは、私に創造性があったからよ(代わりの考え方)。
やってみるのはばかげたことではなかったわ。私のような若い教師こそが、ちがいを生み出すことになるのよ(代わりの考え方)。それに、なぜ校長が怒らなきゃいけないの?私は大きな問題になる前に、すべてを抑えることができたじゃない(証拠)。校長は、次回はお目付役をもっとたくさん連れていきなさいというかもしれないけど、それだけの話だわ(脱破局化)。今回の件についての短いメモを書いて、次回はこのようにやり方を変えます、と校長に伝えようかしら(対応計画)。

【E(元気づけ)】
気分がだいぶ明るくなった。学校へ行って、その見学旅行について話すことも恐ろしくなくなった。確かに、もっとスムーズにいかなかったのはがっかりだったけれども、だからといって、恐れて新しいチャレンジをやめることはなかった。



遠足2


セリグマンはこの後、自分自身の例で練習してみましょうということで、反論の質問ポイントを上げています。

1.その考えが正しいという証拠は何か? それが正しくないという証拠は何か?
2.この状況を別の見方で見るとどのようになるだろうか?
3.起こりうる最悪のことは何だろうか? その確率は?
4.起こりうる最善のことは何だろうか? その確率は?
5.最も起こるであろう結果は何だろうか?
6.自分の対応計画はどのようなものか? とくに最も起こりうる結果に対しての計画は?


以上引用が多くなりましたが、「論理療法」という心理療法は、現在よく用いられている「認知行動療法」の先駆けとなる流れを作りました。

この療法は、それまでの時間のかかる精神分析から、短期間で効果を挙げたいと工夫された背景もあり、理論も単純ですぐに理解でき個人で利用することでも充分役に立つ思考方法を提供してくれます。

どう考えていいか分からなくなったときなど、自分の考えを整理してみるのに利用すれば、非常に効果的だと思います。

特に、自分のB(おもいこみ)に気づくことは、どういう考え方を取るにせよ重要であると考えられます。

また、気分に浸ること、考えること、行動することはそれぞれが密接に結びついていて、実際にはどれかが単独で行われるものではないということに気づかせてくれる理論でもあります。

ただBをどのように扱うかは、いろいろ意見の分かれる所でしょう。
エリスの著作をみると、やはりエリス(あるいは文化的な背景)の影響がないとは言えないでしょう。
非論理的(イラショナル)な思考から脱却したあと、どこに行き着くかも重要であり、そのあたりは論理療法では多分にプラグマティックというか実用的な利益を重視するものです。

もちろん論理療法にしたがって方向転換することが、どうにもならない落ち込みから救ってくれることは充分考えられます。
必要に応じてうまく使っていけば、普段の生活にもすぐに生かせる思考方法となるでしょう。



最後に前回の続きとして、子どもを叱る場合に悲観的な見方に導かない着眼点を載せておきます。

叱る母親


《就学前の子どもを叱る》
◎永続的な叱り方(悲観的)
「トミー、どうしたっていうのよ?あんたは本当にいやな子なんだから」
◎変えられる叱り方(楽観的)
「トミー、きょうのあなたの行動は本当によくなかったわね」

◎永続的な叱り方(悲観的)
「私が留守の間、あなたは泣きっぱなしだったとお姉ちゃんがいっていたわ。本当に神経質な子どもなんだから」
◎変えられる叱り方(楽観的)
「私が留守の間、あなたは泣きっぱなしだったとお姉ちゃんがいっていたわ。私からはなれているのがとってもつらいのね」

◎永続的な叱り方(悲観的)
「おもちゃを片づけなさいといったでしょ。どうしていつも、私のいうことを聞かないの?」
◎変えられる叱り方(楽観的)
「おもちゃを片づけなさいといったでしょ。なぜいわれたことをしなかったの?」


◎全面的な叱り方(悲観的)
「あなたは悪い子ね」
◎限定的な叱り方(楽観的)
「あなたは妹をいじめすぎるわよ」

◎全面的な叱り方(悲観的)
「あなた、スポーツに関してはお母さんの血をうけついでいるのね。私はスポーツ、まるでだめなのよ」
◎限定的な叱り方(楽観的)
「ボールから目をはなさないようにしなくちゃ」

◎全面的な叱り方(悲観的)
「彼女はほかの子どもと遊びたがったことが一度もないの。とても恥ずかしがりやでね」
◎限定的な叱り方(楽観的)
「彼女は、子どもたちのグループに入っていくのに苦労するんです」


◎内へ向かわせる全面的な叱り方
「あなたは運動、だめね」
◎内へ向かわせる限定的な叱り方
「もっとボールを見なくちゃ」

◎内へ向かわせる全面的な叱り方
「あなたたちって、本当に自分勝手なんだから」
◎内へ向かわせる限定的な叱り方
「あなたたちは、もっとみんなで使うようにしなくちゃいけません」

◎内へ向かわせる全面的な叱り方
「この部屋はまるで豚小屋じゃないの!本当にだらしないんだから!」
◎内へ向かわせる限定的な叱り方
「この部屋はまるで豚小屋じゃないの!散らかしたら片づけなくてはいけません」



「引用」
「つよい子を育てるこころのワクチン―メゲない、キレない、ウツにならないABC思考法」
マーティン セリグマン他 ダイヤモンド社 / 2003-09



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ずっと、何だって、僕が悪いんだ(論理療法1)

チャーリー・ブラウン:
ボクに妹ができたら、人生がすっかり変わるかもしれないって思ったけど、やっぱり、変わらなかった。

チャーリー・ブラウン:
みんなボクをきらってる...だれもボクのことを本当に好いてはくれない。
相変わらずそのことで落ち込むんだ...

ライナス:
かわいそうなチャーリー・ブラウン...

ライナス:
世界中のすべてのチャーリー・ブラウンのなかで、
彼こそ最もチャーリー・ブラウン的だな!

「いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント」
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02


いつも自己否定から落ち込む習慣のあるチャーリー・ブラウンですが、「本当にボクが悪いの?」という問いかけをしなければなりません。

すべてが「ボクが悪い」のだと考え続ければ、ウツへ一直線に突き進むことになります。

男の子悩む


ゆとり教育の弊害が話題に上る日本ですが、似たようなことはアメリカでもあったようです。
A.エリス等が始めた論理療法という心理療法がありますが、この考えに基づいて子どものウツなどの治療にあたっているマーティン セリグマン等の著書から引用してみます。 

また、以下では子ども達向けの例文を示していますので、お子さんのいらっしゃる方は一緒になって考えてあげたらいいかも知れません。

 アメリカではずっと前から「子どもに自尊心をもたせる運動」ともいえるものがつづいています。教室には「あなたは特別な子どもです」というスローガンが満ちあふれ、多くの教師や親たちが、子どもの自尊心を高めようと努力をしているのです。「自尊心こそ、すべての行動の基礎である」と考えているからです。
 そのために能力別クラス編成は廃止されました。下のレベルにいる子どもたちが自尊心を失うといけないからです。IQテストも中止です。得点の低い子が自信を失うと困るからです。みんながいい成績になりました。悪い成績をつけられた子どもは、いい気持ちがしないでしょうから。教室でも、習熟度の低い子どもたちに合わせて教えることになりました。学ぶのに時間がかかる子どもたちを傷つけないためです。競争はよくないものとなりました。
 しかし実際には、アメリカの子どもたちはかつてないほど、抑うつ的になり、悲観志向を強めています。うつ病はいまではまるで風邪のように、どこにでも見られるものとなり、中学生にも広がっているのです。

中略

 うつとは無力感と挫折の病気です。自分は無力で目標を達成できないと思うと、うつに陥ります。「自分」こそが大切なのだと信じるほど、「自分」の目標や成功、楽しみこそが重要なのだと思うほど、失敗したときの打撃は手痛いものになります。
 本来、自尊心をもつということは、課題を克服したり、努力が実ったり、フラストレーションや退屈に負けなかったり、勝利を収めることの結果や、副次効果として出てくるものなのです。現実世界のなかで「うまくやる」ことをとび越えて、自尊心をもてというのは、手段と目的を取りちがえていることにほかなりません。
「自尊心をもてる、もてない」ということは、成功と失敗の”原因”ではなく、”結果”なのだとすれば、自尊心をただもちなさいといいつづけても意味のないことです。必要なのは「うまくやる」方法を教えることなのです。


セリグマン等は、「非理性的な思い込み」が悲観的な感情による結論に導いてしまうのだとして、注意すべき3つの要素を挙げています。

それらは、「時間的広がり」「影響がおよぶ範囲」「自分化」の3つです。
この3つを分かりやすく言えば、タイトルにあるように「ずっと、何だって、僕が悪いんだ」ということなのです。

順番に見ていきましょう。

◆「時間的広がり」(一時的かずっとか?)

ウツになりがちな人は、うまくいかない状況が起きたときに、それが永遠に続くものだと考えがちです。

「いつもこういうことが起きてしまうに決まっているんだ。」
「この困ったことは、これからずっと続いて行くに違いない」

永続的に続くという考えを「今回限りの一時的な出来事に過ぎない」と切り替えて考えられるようになれば、ウツになるのを防止できるといえます。

《うまくいかない状況》
◎永続的(悲観的)「この学校で、私と友だちになってくれる人はひとりもいないだろう」

◎一時的(楽観的)「新しい学校に転校したんだから、友だちができるまでには時間がかかるもの」

◎永続的(悲観的)「うちの母親ほど意地の悪い親は、世界にいない」

◎一時的(楽観的)「お母さんはこれまでになくきげんが悪い」


◎永続的(悲観的)「トニーは私を大きらいになって、もう二度と私とは出かけないだろう」

◎一時的(楽観的)「きょうはトニーは私にカンカンに怒っているから、私とは出かけないだろう」


また逆に、いいことが起きたときには、その原因を今回限りだと考えてしまうことはウツにつながりやすく、ウツになりにくい人は原因は「永続的」なものだととらえるようです。

《いい状況》

◎一時的(悲観的)「今回は一生懸命勉強したから、このテストで一番になれた」

◎永続的(楽観的)「一番になれたのは、僕が努力家で、この教科をよく勉強しているからだ」


◎一時的(悲観的)「安全パトロールのキャプテンに選出されたのは、みんなが僕によくしてやろうと思ったからだ」

◎永続的(楽観的)「安全パトロールのキャプテンに選出されたのは、みんなが僕のことを好きだからだ」


◎一時的(悲観的)「パパが私といっしょにいてくれたのは、最近、パパのきげんがいいからだ」

◎永続的(楽観的)「パパは私といっしょにいるのが大好きなんだ」


自分の成功が「永続的」な原因だと考えられる人は、一度うまくいけば次回からもずっとうまくいくだろうと考えることが出来るのです。

それに対して、いいことは「一時的」と思ってしまう人はうまくいったのはまぐれかなんかだと思ってしまいがちなのです。

父親と娘1


◆「影響がおよぶ範囲」(限定的か全面的か)

なにかできごとが起きたときに、その影響が自分の人生のあらゆる所に影響してしまうだろうと考えてしまうのが、全面的ということです。

起きたことは、その事柄だけに言えることだと考えられれば、限定的に考えていることになります。

《悪いできごと》
◎全面的(悲観的)「教師なんて不公平なものだ」

◎限定的(楽観的)「カーマイン先生は不公平だ」


◎全面的(悲観的)「僕は、スポーツはすべて苦手だ」

◎限定的(楽観的)「僕は、フットボールは苦手だ」


◎全面的(悲観的)「だれも私を好きじゃない」

◎限定的(楽観的)「ジョンは私を好きではない」


《うれしいできごと》
◎限定的(悲観的)「僕は、数学はできる」

◎全面的(楽観的)「僕は頭がいい」


◎限定的(悲観的)「エリカがパーティに招いてくれたのは、彼女が僕のことを好きだからだ」

◎全面的(楽観的)「エリカがパーティに招いてくれたのは、僕がみんなに好かれているからだ」


◎限定的(悲観的)「僕は歌がじょうずだから、主役を演じることになった」

◎全面的(楽観的)「僕にはいろいろな才能があるから、主役を演じることになった」



泣いている女の子

◆「自分化」(「何のせい」と考えるか)

うまくいかない状況の時に、自分を責めるか、他人や状況を責めるかという二通りがあります。

失敗するたびに自分のせいにしてしまう人は、自分に対してあまり自信を持てず、やましさや恥ずかしい感情を抱きがちです。

責任回避はいけませんが、自動的に自分が悪いと判断してしまう習慣がある場合は、自分を正確に見ることを覚える必要があります。

いったん自分のせいでないと判断したなら、憂鬱にならずに自分は堂々としていればいいわけです。

もし自分にも責任があると考えられるなら、自分を全面的に責めるのではなく、一時的で限定的な非難、つまり自分の行動を責めるという切り分けをすることも出来るのです。


◎自分のすべてを非難する(悲観的?永続的、全面的、内へ向かう)
「テストで40点を取ったのは、僕がばかだからだ」

◎自分の行動を非難する(楽天的?一時的、限定的、内へ向かう)
「テストで40点を取ったのは、一生懸命に勉強しなかったからだ」


◎自分のすべてを非難する(悲観的?永続的、全面的、内へ向かう)
「体育のサッカーのチーム分けで、また最後までのこってしまった。だれも僕を好きではないんだ」

◎自分の行動を非難する(楽天的?一時的、限定的、内へ向かう)
「体育のサッカーのチーム分けで、また最後までのこってしまった。僕はサッカーはへただからなあ!」


◎自分のすべてを非難する(悲観的?永続的、全面的、内へ向かう)
「僕は悪い子だから、自宅謹慎になってしまった」

◎自分の行動を非難する(楽天的?一時的、限定的、内へ向かう)
「僕は人をぶったから、自宅謹慎になってしまった」



結果の非難

子どもを叱る場合にも、このような点を踏まえて批判の仕方を考えればいいでしょう。
子どもは、批判された対象だけではなく、もちろんその批判の仕方も自分のものとして吸収してしまいます。

「きょうは一生懸命やらなかったね」と言えば、一時的で子どものすべてを否定することにはつながりませんが、「おまえは怠け者だ」と言ってしまうと永続的に自分はダメな子どもだと考えるようになってしまいます。


まずは、自分自身に対して「永続的な」「全面的な」「自分のすべて」への非難をしていないかをチェックしてみることです。

やってしまう前に防止するのは、最初はなかなか難しいものです。

自分が憂鬱になったり、怒りや悲しい感じになったりしているのに気づいたら、その前に何を考えていたかを思い出してみましょう。

どんな文章を自分に使っていたでしょうか?

「いつだってこうなんだ」「これが運命なんだ」「いつもこんな気分になるものなんだ」

「何をやってもダメなんだよ」「みんなそう思っているんだ」「ずっといいことなんか起こらないよ」

「僕は悪い子なんだ」「なまけ者だからついサボってしまうに決まっている」「だれも私なんか気にかけてくれないに決まっている」

「いまはうまくいっていても、きっと悪いことが待っているんだ」

そして、そのような思い込みに反論してみましょう。
「一時的な」「限定的な」「自分の行為」に対する問題に過ぎないんだということをです。

そんなことで、気分が変わるだろうかと疑わずに、騙されたと思ってやってみましょう。

慢性的なゆううつを引きずらないという機会を、少しずつ積み重ねていけば、これは避けようのないことだと思い込んでいたことも、実は今までの習慣に過ぎなかったんだと発見できる日も遠くないでしょう。

最後に付け加えますが、意外と見落としがちなのは、相手が自分と違う意見を主張したから、ここは訂正しておくべきだと考えて、自分の考えを認めさせようとしてしまうことです。

この結果、お互いが水掛け論になってしまって、結果的に話し合う前より落ち込んだ気分になってしまうというのもありがちなのです。

ときには、いまは議論しないで時期を待とうと考えてみる選択も考えられるのです。
これは、事態の先送りではありません。

自分がいつも嫌な気分に陥ると経験で知りながら、無意識にそのような行動を習慣的に繰り返していることもあるのです。

こんな時、表面的には「人はいつでも理解し合っているべきだ」といった理由を思い浮かべているのですが、話し合っても物別れになることを予想しているのです。

いってみれば、いつも自分へ言い聞かせている文章を、相手を巻き込んで証明してしまうことになるのです。

もちろん、ちゃんと分かっていて、自分の折れる所は折れるから相手との関係を改善しようと思っているのなら話は別ですよ。


「引用」
「つよい子を育てるこころのワクチン―メゲない、キレない、ウツにならないABC思考法」
マーティン セリグマン他 ダイヤモンド社 / 2003-09




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自分に許可を与える

チャーリー・ブラウン

「朝、今日もマヌケなことを、絶対やりそうだって思いながら、目が覚めることってあるよね」

「そこで、朝ごはんを食べに、キッチンへ行って...」

「パンケーキを食べてるんじゃないってことをうっかり忘れて、コーンフレークにパンケーキのシロップをかけちゃうんだ...」

「とにかくマヌケなことが、ひとつ終了すれば、一応ホッとする!」



お手上げの子供


チャーリー・ブラウンとは逆に、自分になにか素晴らしいことが起きそうな期待がある、そう思った瞬間、ついついそれを躊躇してしまっていることはないでしょうか。

「あまりいいことが起こると、そのあと悪いことが待っているんじゃないか」とか、妙に疑いを感じてみたりします。

あるいは、そこまで行かなくても、チャーリー・ブラウンのように、間抜けな失敗をしてしまうことで、何かこんなものだと落ち着いてしまう。

あまりいい気分になると、悪いことが起きる様な気がしてしまう。

これらは、別に根拠があってそのように考えているわけではなく、自分の気分の習性といったものがもたらすものです。

例えば、子どもの頃、家の中で夢中になってはしゃいでいると、「うるさい!」だとか「危ないから、やめなさい!」など突然、親から叱られることを経験していないでしょうか。

親の様子を見ていて、「これ以上やると叱られそうだな」と予想している場合はいいのですが、親の気分はこどもには責任を持てませんから、突然カミナリを落とされたりしてしまうのは、防御しようがありません。

このような、状況と気分、感情がセットになっていて、それが呼び覚まされると、大人になってからも、こんなにうまくいって喜んでいると、何か起こるのではないかと思わせてしまうのです。

このような、子どもの頃に身につけてしまった、おなじみの感情(その多くは不快な感情である)は、ふとしたきっかけで蘇って、いまここでの現実をそのまま見るかわりに、その感情とセットとなっている状況を再現しようとします。

エリック・バーンは、このような感情をラケットと呼んで、その状況を作り出すような、現実の替わりに行う人とのやりとりをゲームと呼んでいます。
ここでは、それについては、深く触れませんが、興味のある方は、「交流分析」、「ゲーム」などを調べて見るといいでしょう。

次にラケットとは、「今?ここ」を考えるA(Adult)の思考よりも、子供のころに形成した脚本による行動である。そしてこの行動は、ラケット感情(幼い頃に感じ慣れた感情)を体験し、現状起こっていることを内部的に正当化するために、(1)実際の問題の解決というより、脚本に行動をあわせるために環境を操作する、(2)埋め込まれているゴールは、問題を解決するためにはさほど良く働かない、といえる。

ラケットは、子供の頃に経験した感情による行動を取り、一般的に、それらは苦しいと感じているにも関わらず、意識の外で起こるものであり、また誰かのせいで発生したと思われている。そして、その報酬は、子供の頃からの脚本である「人々はいつもボクを失望させる」という証明になり続け、いっそうその考えを強くしていくのである。 つまりラケットとゲームとは、ある環境で得たラケット感情を正当化するために使われる装置であり、結果、子供の頃の脚本はより強固なものになるといえる。
交流分析 - Wikipedia


要するに、私たちは、いまここでの、変わりつつある現実を、ありのままに見て反応する普通の行動以外にも、過去の記憶に縛られて、おなじみの感情と状況を再現してしまうような行動を、無意識のうちに行ってしまうのです。

その結果、待っている現実は、「やっぱり私は○○な状況に陥ってしまうんだ」ということを証明することになり、慣れ親しんだいやな感情に浸ることになってしまいます。

チャーリー・ブラウンは、このことを意識していたようですが、「とにかくマヌケなことが、ひとつ終了すれば、一応ホッとする!」という結末を向かえるのです。

うつむく


しかし、肝心なことは、脚本にしろ、過去の記憶にしろ、今存在するものではないので、これらにとらわれずに、現在の出来事に沿って行動することを取り戻した方がいいわけです。

それには、このような自動的な感情のセットに自分で気づくことが、必要になります。

その気になれば、「自分がどういう感情でいることが多いか」を知るのは難しくないはずです。

現実でなく、代理の偽物の交流を選ぶのをやめて、自分の今の判断を信じてもいいのだという許可を与えることで、本物の感情や行動を取り戻せます。

「今日もマヌケなことを、絶対やりそう」というのは、過去の筋書きであって、自分はもうそれに従う必要はないと宣言することです。

それから、注意したいのは、このような「許し」は、楽しい気持ちが似合っています。

深刻に、「過去の亡霊を退治する」というように振りかぶってしまうと、逆に罠にはまってしまいます。

悩むことの悪循環の原因、そのひとつは、深刻なまま解決を探してしまうことです。

深刻さは、悩みの原因のメンバーですらあります。

気楽な気持ちで、「なんだ、過去のパターンに引きずられただけじゃないか!」という感じで軽く扱うのが、うまく脱出するコツではないかと思います。

また、「自分には過去のトラウマがあるから、うまくいかないんだ」とか、「自分には特別な事情があるんだ」などと言い訳するのは、逆効果でしかありません。
大事なのは、いまの自分の決意なのです。

ルーシー(大声でさけぶ):
「ワァーン!」
バイオレット:
「ルーシー、いったいどうしたの?私に何かできて?」
ルーシー:
「いいの、バイオレット...シクシク。あなたには、どうしようもないわ...」
ルーシー(得意げに):
「私の問題は、根が深いの!」



女の子思案


ルーシーの最後の言葉は、「何もやっても自分の深刻な心の問題は解決できない」と宣言することにより、自分の生き方を変えることの不安や感情に向き合うことを避けることが出来るのです。
自分が変わろうと決心しない限り、ルーシーは変化を避け続けることになります。


おなじみの感情には、耳を貸さずに、有無を言わせず却下してしまうことです。
自分自身に、選択する許可を与えましょう。

「こんな気分なのに、そんなこと出来ないよ」と思わないことです。

決断するのに、1秒もかかりませんし、時間をかけてはいけません。
スイッチオフで終わり、それ以上でもそれ以下でもありません。

美しい夕陽など見ている暇はないと思うなら、
考え直してほしい。

夕陽を一番見なければならないのは、
その暇がないときだ。


『今日が楽しくなる魔法の言葉』
アーニー・J・ゼリンスキー / ダイヤモンド社 / 2003-09-20




「参考」
『いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント』
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02



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A君と宿題と1週間(受相応)

月曜日、A君は、きょう学校で宿題を出されてしまった。
今週中に15ページの宿題をやらないといけない。
今までの経験から、1日で5ページが限度だろうと思う。

月曜日、A君は15ページの宿題のことを、考えるだけで憂鬱になり、「何でこんなにいっぱいやらないといけないんだ!」と嘆いて1日目が過ぎ去った。

火曜日、A君は怒っていた。「先生はこんなに宿題を出すべきではない。」「宿題なんか出さなくても、学校でだけ勉強すればいいじゃないか」「おかげで、今週はずっと憂鬱なままだろう。」「せっかく手に入った新しいゲームもやっている時間が無いではないか!」

おこる男の子2


水曜日、A君はなんとか宿題をやらずに済ませる方法はないかと考えた。自分でやらないとすれば、誰かにやってもらうしかない。そうだ、お父さんを何とか誤魔化してやってもらう事にしようと考えた。
A君は、お父さんが帰ってくると、機嫌が良さそうだったし、宿題がわからないのだと話した。
お父さんは、わからないのなら教えてやるが、どれがわからないのかと聞いてきた。
A君は、全部わからないと答えた。
お父さんは、A君が問題を見てもいないようなのに気づいて、まず1問目をやってから聞きなさいと答えた。
A君は、まだ1問もやりたくないと思っていたので、適当な答えを書いてお父さんに見せた。
お父さんは、A君がいい加減にやっていることにすぐに気づいたので、これをいつまでにやるのかと、質問を変えてきた。
今週いっぱいだと答えると、お父さんは、では明日から1日5問ずつやれば土曜日には終わるから、日曜日はゆっくり出来るだろうと答えた。

パソコン父子


木曜日、A君はゲームのことを考えると、やりたくて堪らなかったが、自分でやる以外に道はなさそうなので、お父さんに言われたように1日5問ずつやっていくことにした。
観念してやり出してみると、5問はすぐに終わってしまった。
こんなことなら、もっと早くやっておけばよかったと思いながら、あと2問をついでにやってしまった。

金曜日、A君は残りの宿題に取りかかった。
とりあえず5問だけやったら、休もうと考えてやりだすと、昨日同様すぐに5問も終わったので、あと2問も終わらせた。

土曜日、A君は残り1問だと思うと気が楽だった。
すぐに宿題を完成させると、なにかこの1週間で新しいことに気づいたような気がしていた。

日曜日、A君は今日は堂々とゲームがやれるぞ、と思ったのだが、なにか昨日思ったことが気にかかっていた。

ゲームを後回しにして、1週間を振り返ってみようと思った。

月曜日、自分の不幸を呪って、嘆いて1日を過ごした。

火曜日、他の人に怒ることで、なおさら怒りが増していったことを思い出した。

水曜日、なんとか宿題から逃げることを考えたが、逃げようとするたびに、自分に嘘をついていくことになるのを思い出し、情けなく思った。

そして木金土と、逃げることを諦めて、観念した途端に、苦しいと思っていた宿題もやってしまえば、どうってことがなかったことに気づいた。

ここまでを振り返ると、何か楽しくなってきた。
なんとなく、ゲームをやっているよりも楽しいことが、見つかったような気がしたのだった。

喜ぶ男の子

受相応 第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ラージャグリハの、
カランダカニヴァーパに、止まっておられた。
そこに、比丘衆が集まると、このように説いた。

「比丘達よ、まだ、仏の法を認めない者は、
苦を感じると、声を上げ叫び、心を取り乱す。
彼らは、身で受けて感じて、心で受けて感じる。」

「あたかも、矢に打たれて、苦しむ人々を、
再び別の矢で射て、更に苦しめるようである。
彼らは、身で受けて苦しみ、心で受けて苦しむ。」

「同様に、苦しめられると、怒りが生じる。
その怒りで、苦しみが増えて、怒りが生じる。
彼らは、苦を感じて苦しみ、苦を怒って苦しむ。」

「同様に、苦しめられると、逃げが生じる。
その逃げで、苦しみが増えて、逃げが生じる。
彼らは、楽を求めて苦しみ、楽を失って苦しむ。」

「比丘達よ、また、仏の法を見とめる者は、
苦に怒ることもなく、苦を避けることもなく、
楽を求めず、楽を捨てて、苦を越えるのである。」

受相応(ヴェダナー・サンユッタ)
仏典 http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/ju1.htm より




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他人の欠点

ルーシーが女の子にリストを渡して去っていく。

[チャーリー・ブラウン]
 またかよ!

[チャーリー・ブラウン]
 いったい、いつになったら 他人の欠点リストなんか 渡して歩くのをやめるんだ?

[ルーシー]
 私、崇高な理想をもっているのよ。チャーリー・ブラウン...

[ルーシー]
 この世の中を 自分にとって 住みやすいところにしたいの!

「いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント」
 エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02



お手上げの子供

最後のルーシーのセリフ「この世の中を 自分にとって 住みやすいところにしたいの!」。

「他の人の為を思って、欠点を教えてあげてるのよ!」ではなく、自分の為の行動という自覚がある分、まだ救いがある。崇高な理想なのだから(笑)。

しかし、どちらにしても、他人を変えてしまおうと考えている試みは、成功しそうにはない。
自分自身を変えるのも大変なことなのに、他人からお節介にも欠点を指摘されて、それで変わる人がいるとは思いにくい。

それはともかく、この2つのセリフについて、考えてみようと思う。

「他の人の為を思って、欠点を教えてあげてるのよ!」

こういう言葉を発した人が、本当に人がそれで変わると思っているのかは疑わしい。

口でそういっているのとは裏腹に、むしろ、他人の欠点を指摘することによって、何らかのメリットが自分にあると考えているという方が近いのだろう。

それは、普段から自分自身を批判していることを、他人に向けたくなったのかも知れない。
あるいは、他人をおとしめることで、自分の惨めさを緩和したくなったのかも知れない。

いわれた相手に目を向ければ、欠点を指摘されたときの反応は、3種類ぐらいに分かれるだろう。

まず最初は、最も多い反応かと思うのだが、批判じみた気配を感じただけで、身構えて反撃体勢をとろうとするというもの。

いきなり批判されれば、反射的に反発するのが普通であり、途中で相手の意見などまともに聞かなくなってしまうだろう。

反撃するか、失礼な人間だから無視しようとするか、あるいは聞くに値しないと判断して、まともにかかわろうとはしない。

2つ目の反応は、「また自分のダメな所を見透かされてしまった」と思ってしまうというもの。

これは、普段から自分に対する評価が低いため、批判めいた言葉を聞いただけで、きっとあたっているに違いないと思い込んでしまう。

例えそれが、客観的に見れば問題にならない程度のことであっても、自信のなさから自分の至らなさを悔いてしまうことになる。

もっとも被害を受けることになるタイプである。
しかし、実はこのタイプが逆に批評家側も演じやすいとも言えるのだが。

もう一つの反応は、冷静にその指摘を受けとるというもの。

しかし、これが出来るためには、その人は自分自身に対する信頼を持っていなければならないだろう。

少しぐらい批判を受けても、自分の大部分は大丈夫であるという信頼感を、自分に対して持っている。

だから、他の人からの批判も、余裕を持って妥当性を検討するだけの余裕が持てるのだ。

これはしかし、自分が正しいという確信とは、違うものだろう。

正しさを頼ったり、自分が正しいと言って欲しい気持ちがあるうちは、正しさの基準を崩されると、自己への信頼そのものも崩壊してしまう。

外部に依存しない、内面からの無条件の信頼のような気がする。

ところで、このような3つの反応は、ある人がどれかひとつの反応だけをするわけではなくて、その人がとりやすい反応の傾向はあっても、対象によってどの反応になるかは変わってくるものである。

自分が普段から、触れられたくなかったり、隠しておきたい部分に触れられれば、ネガティブな反応が飛び出してきやすいものだろう。

女の子腕組み

「この世の中を 自分にとって 住みやすいところにしたいの!」

ルーシーが「願う」ような、ほかの人達の「悔い改め」が本当に起きたとしたら、ルーシーは住みやすくなるのだろうか?

おそらく、それはいつまでたっても叶わない望みである。

なぜなら、他の人がルーシーの望む人間になってしまっても、ルーシーの不満は解消されず、「本気で変わると思わなかったわ。でもね、あなたには、まだこういう問題があるの! そっちも変えないと、まだだめよ。」とでも言ってしまうことだろう。

問題はルーシーの内部にあるからである。

ルーシーに見えてくる他の人の欠点とは、ほとんどはルーシー自身の問題に他ならないからである。

そして、自分の中に適応するパターンを見つけたとき、多くの場合、そのペアとなる親の側の感じ方、行動の仕方も取り入れていると言われます。

親の行動を嫌って、決して自分はそうはならないと決心しながら、気がつくと親と同じ態度を、こどもや他人にとっている自分に気づくこともあるのではないでしょうか。

これは自分の内部でも、この親子ペアがやりとりを繰り返していることも意味しています。

適応の3パターン


いずれにしても、他の人の欠点を指摘して廻るのは、むなしい試みに終わってしまう。

他の人はまず変わらないものだし、そのとき気分がよくなったように感じても、自分自身は、だませないわけだから、そのようなダブルスタンダードは、自分自身を複雑なやりきれなさに追い込んでしまうことになる。

他人を変えたいという執着があるのなら、何よりも先に捨ててしまうことをお勧めする。

1つ捨てれば、10くらい自分が軽くなるだろう。
9つ得をする。



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痛みによって得ているもの

痛みは嫌なもので、それを避けようといろいろなことをします。

しかし一方で、心身共に痛みを感じることであっても、ネガティブな行為をやり続けるという、矛盾したことをやるのも人間の心理のようです。

自分に対する価値評価が低い場合、自分が無価値であることを証明するかのような行動を取るということが、指摘されています。

それは、かつては結果的に、自分の無価値さを感じさせた出来事だったのかも知れません。

しかし、それによってネガティブであっても他者との接触が得られることを覚え、その行動パターンを自分で取り入れたということがありそうです。

そこでは、やっぱり自分には価値がないんだ、ということを確認してしまうのです。

注射を待つこども達


しかしこの自己評価の低さ以外にも、なにかしら見返りを感じさせるもののために、自分を傷つける様な行動を取る場合があります。

・「けがや病気をすれば、ひとは自分のことを気づかってくれ、同情してくれる

愛情を獲得するために、けがや病気を引き起こすこどもがいます。
これは必ずしも意識的な選択ではありません。
ずる休みのための病気のフリではなく、愛情が欲しいときに本当に病気になったり、けがをしたりするのです。
このやり方が定着すれば、一生続くパターンになります。

・「かんしゃくをおこすことで、わがままを通す

思うようにならないと、怒り狂うことでわがままを通すことを覚えます。
これは、おとなでも怒りを表すことで、物事が自分の都合のいい方に変えられると考えたりします。
これも、病気やけがではないですが、代償は支払うことになります。

・「悪いことをして、注意を引こうとする

注意されたり、非難されたりすることであっても、全く無視されるよりはましだというわけです。
人の目を引くためには、問題を起こし続けます。

おこる男の子     病気のこども


本当に必要なものは、人から受け取る愛情ですが、それを得る手段がわからないうちは、不完全で傷つきながらでも何もないよりはいいのです。

その見返りとは、注目、同情、保護、受容、承認であり、あるいは逃避の手段や口実です。

また、それによって他人を支配したり、操作できることや、自分の中に閉じこもることであったりします。

大人になって巧妙になってくると、責任逃れや、危険を冒さないためのいいわけ、自分を正当化する手段であったり、自分に価値があると見せかけることに利用したりもします。

方向が間違っているとしても、少なくとも「それに対して一生懸命取り組んでいる」と無理に納得しようとします。

「苦しさが自分を成長させる」ということをいいわけにするかもしれません。

このようなネガティブな行動は、当然苦痛を伴うものであり、だからといって本当に求めている愛情や承認が得られるわけではありません。

正直に考えて、本当に望むものを得たいなら、まわりの人に対して、直接愛情や承認を求める行動を取るしかありません。
それは、単に「こんにちは」とか「よろしく」と自分から言うことから始まったりします。

あいさつ

それが、しかし難しく思えるのは、リスクを伴うからです。
相手は、意図的であるか、他の理由からであるかはわかりませんが、あなたの働きかけを拒絶したり、無視する可能性はあるわけです。

いままで、直接求めても得られないと疑心暗鬼になっていますから、それよりはゆがんだ形でも今まで慣れ親しんだ方法をとろうとするわけです。

まずは、自分が傷つきながらそういう行動を取っていることを、自分で認めて、認識しないといけません。

「苦しさが自分を成長させる」などと言っていると、傷は大きくなっていきます。

それはいつか、取り戻せないところまで、被害を大きくしてしまいます。

いままでの経験を信じようとするのかも知れませんが、そう思いながらも、どこかにやり方が違うのではないかと感じている部分があるはずです。

自分を傷つける行動をしていることを、正面から直視することがどうしても必要になります。

そして、自分が欲しがっているものは、直接的な注目や同情、愛情であることを正直に認める必要があります。

直接得られる愛情は受け入れていいのだということ、ゆがめられた注目はもとめないということ、これを決断する必要があります。

この2つを見分けることを続けていれば、にせものの承認は必要ないことがわかりますし、直接的な承認以外なら、なくても充分満たされることがわかってきて、いままでの思い込みを溶かしてくれます。

気づかないまま、以前のパターンを繰り返すこともあるでしょうが、にせものは受け取らないと決心すれば、それにつれて真性の親密さというものも増えて来るものです。

ちょうど、意地を張ってすねていたこどもが、徐々に仲間に溶け込んでいくようなものです。





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すきなものノート
適応の3パターン





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適応の3パターン

こどものころの適応パターンというのは、大人になってからも気づかずに使っていることが多いものです。

こどもは自発的な行動を自由にとれる場合もありますが、親と接する中で、苦痛を避ける方法と、承認を得るための方法を見つけ出していくことになります。

親から与えられる笑顔や、自分をうれしがらしてくれる反応は、自分が正しいことをしていることや、承認されていることを意味するのだと受け取ることができるでしょう。

また、親の冷たい反応や、怒った表情からは、間違ったことをしたという苦痛と、失跡という観念を受け取ることになります。

こどもが「?ねばならない」を学んでいくのは、このように、ほめられたり叱られたりすることを通じてであるわけです。

そして、このような自分を適応させる必要を感じたときの反応の仕方に、3つのパターンがあるという考え方を、交流分析を参考に書いてみようと思います。

こどもたちは、うまく合理的に適応した場合には、ものや感情を分け合う、順番を待つ、礼儀正しくするなどの社交性を身につけることに成功します。

またそれが、同時に自分の要求を満たすための方法にもなることを学ぶわけです。

ガッツポーズ男の子

しかし、必要以上に禁止的であったり、混乱してしまうメッセージを受け取れば、自分の衝動は抑えてしまわざるを得ないと感じてしまいます。
そして、いろいろな親からのメッセージは、必ずしもうまくいく適応方法に導いてくれるとはかぎりません。

適応の3つのパターンとは、以下のようなものです。

・服従する。
・自分の殻にとじこもる。
・ぐずぐずと引き延ばし工作をする。


・服従する
聞き返すこともせずに、黙って服従することは、その方が簡単でもあるし、自分の考えを主張して喧嘩になるよりは、ずっと平和にことを終わらせることが出来ると発見するわけです。

しかし、これは必ずしも快く承諾して、したがっているわけではない場合が多いので、これにともなってすねることを覚えたり、したがった後で他人を責めているという場合も多いわけです。

いったんは服従しながらも、あとあと不機嫌になり、すね続けるというパターンです。

・自分の殻にとじこもる。
恐怖心などから、自閉的になってしまうこどももいます。
どう考えても自分の周りの世界は、自分の手には負えないと感じたこどもは、引きこもることでしか適応できないと判断してしまうわけです。

病気になることで、ほかの人達から離れていようとしたり、自分の部屋に閉じこもって自分の中の空想の世界に逃避しようとするかも知れません。

物語やアニメのヒーローを空想して、いつか助けに来てくれると考えたり、自分がいつかそうなることを願っているかもしれません。

先日の「すきなものノート」の女の子(日本テレビ ドラマ「Mother」)は、
「きらいなもののことを考えちゃだめなの。すきなもののことをずっとずっと考えるの。」
といいます。

また、現実の母親の虐待の仕打ちを他人には何もないように隠しながら、すきなものノートには、
「石けんのコマーシャルのおかあさん。」
と書いてあります。

Mother(日テレサイト)

・ぐずぐずと引き延ばし工作をする。
あえてやらないでいることで、何とか切り抜けられた体験を持つこどもは、「引き延ばし」を行うことが適応のパターンとなります。

「ちょっと待ってね」と調子よく答えることは、面と向かって反抗しているわけではないし、すぐにやらないことへのいいわけで、時間稼ぎが出来るわけです。
うまくいけば、親は言ったことを忘れてしまうか、自分でやってしまうかもしれません。

「このテレビが終わったらやるよ。」と答えた後、次に見に行くと、「もう一つだけ」「次のCMまで」といったように、のらりくらりとかわそうとします。

先延ばしを使いたくなる状況には、次のような理由が有るかも知れません。
・親からの命令が沢山ありすぎる。
・さっさとやってしまうと、次の用事を言い渡される。
・あまり完璧にやってのけると、友達や兄弟から嫉妬されるかもしれない。
・いくらやっても、親が満足してくれない。
・いつまでもぐずぐずやっていれば、誰かがしびれを切らしてやってくれるかもしれない。

父親と娘1     父親と娘2

大人になってからも、このような適応パターンは繰り返されます。

大人になれば、もっと言葉は流ちょうになり、洗練され、また政治的な言い回しにもなるので、一見どのパターンなのかわからないかも知れません。

しかし、最終的にどこに行き着こうとしているかを見てみれば、結局どれかのパターンを用いていることがわかるでしょう。

こどものころには、
・自分はすぐに同意して従っていただろうか?
・自分の中に引きこもってしまっただろうか?
・引き延ばし工作を使うことがよくあっただろうか?
・自分がどのパターンを使うことが多かったかを思いだしてみる。
・大人になった今でも使っていると感じるものはあるだろうか?

それを使うことが、どのような感情や行動と結びついていたかは、人によって異なります。

・それは自分の役に立っているか?
・それを使うと自分が混乱してしまうと感じるか?
・それを使うと自分の能力を抑圧してしまうように感じるか?
・それを使うことは、自分や他人に破壊的に働くだろうか?

自分のよく使うパターンが発見されたら、その反対の行動を取るとどう感じるかを想像してみます。

・もし他の人の意見にすぐに同意するようなら、それを断ったとしたら何が起こるだろうか?
・もし自分から他の人を避けていることが多いようなら、自分から出て行って、みんなの中に入ってみたらどう感じるだろうか?
・もし引き延ばしをよく使うとわかったら、それをやめて、さっさと決心して行動することを何度か試して見たら、どうなるだろうか?

そして、自分の中に適応するパターンを見つけたとき、多くの場合、そのペアとなる親の側の感じ方、行動の仕方も取り入れていると言われます。

親の行動を嫌って、決して自分はそうはならないと決心しながら、気がつくと親と同じ態度を、こどもや他人にとっている自分に気づくこともあるのではないでしょうか。

これは自分の内部でも、この親子ペアがやりとりを繰り返していることも意味しています。

客観的に見て、問題を多く生み出すようなパターンが自分の中にあると感じたら、それはパターンをやめる大きなきっかけにも出来るでしょう。

また他の人の中にそれを見いだすことが(おそらくこちらの方が易しい)、自分への発見につながるかもしれません。

意見を交わすビジネスマン

あまり簡単に承諾する相手には、安心せずに、よく確認した方がいいかもしれません。
引き延ばしを無意識に使う人には、「なんで最初からできないと言ってくれないんだ」と思わされるかも知れません。

しかし、多くの場合、これらは大人対大人のやりとりになっていないためであって、相手はわざとそうしているとは限らないとのです。

参考:
「自己実現への道―交流分析(TA)の理論と応用」
ミュリエル・ジェイムズ / D.ジョングウォード / 社会思想社 / 1976-01



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すきなものノート
気分というやっかいなもの





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すきなものノート

先日ドラマ(Mother 日本テレビ)を見ていて、小学生の女の子が、先生に「すきなものノート」というのを見せる場面があったが、何かいろいろ考えさせられるものがあったので書いてみたい。

小学生の怜南が、教諭を引き受けたばかりの鈴原奈緒(松雪泰子)に、「すきなものノート」を見せる場面だが、

「先生にいいもの見せてあげる。わたしの宝物。」

「すきなものノート。」

「回る椅子。・・・ネコと目が合うこと。・・・雪をふんずける音。・・・クリームソーダ。」

「石けんのコマーシャルのおかあさん。」

「すきなものを書くの。きらいなものを書いちゃだめだよ。」

「きらいなもののことを考えちゃだめなの。すきなもののことをずっとずっと考えるの。」


ランドセル女の子


怜南は、小学生といっても、どこか現実的な、さめた言動をしたり、無理に笑顔を作って大人びた態度を見せるなど、周りの子ども達や先生からも「不思議な子」と認識されている。

父親が早くに亡くなって母子家庭で育っていて、少し変わった所があると聞かされていた鈴原奈緒は、怜南が母親から虐待されていることを知り、その後ドラマとしては思わぬ展開を見せていくのだが、そのあたりの話はここまでで止めておく。

母親からは虐待されているが、周りの先生などにはそれを隠し、お母さんは大好きだよと言って何も問題などないように振る舞う。

栄養失調で発育が遅れていることなども明らかになる。

実はうちに帰ると、母親が同棲している男性がいるのだが、母親は、子どもが邪魔になると500円玉を渡すのが合図になっていて、怜南は家を出て1人で食事をしに行く。

そこで出会った鈴原奈緒との会話のひとつが、先程の会話である。

怜南の「きらいなもののことを考えちゃだめなの。すきなもののことをずっとずっと考えるの。」という言葉。

自分が生きていくためには、抵抗できない現実には目を向けずに、かろうじて「すきなもののことをずっとずっと考える」ことで自分を保っているかのようである。

「すきなもの」は考えてもいいが、「きらいなもの」や「ほしいもの」は考えてはいけないとでもいった感じであろう。

母親や同居する男性からは虐待を受け、他人にはそれを隠さなければ生きられないという、どうしようもない環境にありながらも、この子の救いは「きらいなもののことを考えちゃだめなの。すきなもののことをずっとずっと考えるの。」という言葉である。

「すきなものノート」を読みかえすことである。

本を読む女の子


これが「ほしいものノート」では、とても耐えられない。

「すきなものノート」と「ほしいものノート」を比べたとき、今の世の中では「ほしいものノート」を作って、何かを追い求めることにこそ生きがいがあるかのようである。

しかし、何かを追い求めて、持っていないものを手に入れないと満足しないものなのだろうか。

今持っているもので満足するというのは、それではあまり価値を感じないとでも言うようである。

実は、欲しいものというのは、まだ手の中にはない。
手に入るかどうかは、まだわからない。

今好きなものは、すでに手の中にある。

未来は、魅力的ではあるが、あてにならない友達である。
過去は、色あせてはいるが、堅実な友達である。
そして今いない友達とは、話すことは出来ない。


希望を持っていてこそ生きがいがあるとも言えるが、
「すきなものノート」と「ほしいものノート」、
こうして2つを比べてみれば、どちらが幸せにしてくれるかという、見方が変わってこないだろうか。

いま持っていないものをあこがれずに、「すきなものノート」でいまの楽しみを充分に味わうことは、決してそれほど捨てたものではないはずである。
そして、それしかないときには、一番頼りになるものである。

「あてにならない未来が実現したら、その時は」という思いは、目の前の現実を見えなくしてしまう。

「回る椅子。・・・ネコと目が合うこと。・・・雪をふんずける音。・・・クリームソーダ。」
そんな楽しみを、いま自分は味わっているだろうか。

「すきなものノート」を読み返してみる時間がとれているだろうか。


Mother(日テレサイト)

※写真は、日本テレビ ドラマ「Mother」とは関係ありません。


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「それじゃ一体何がしたいの?」という罠

わたしたちは、朝起きた途端に、今日一日のスケジュールを思い浮かべます。

まるで、何もない時間を作ることが、罪悪ででもあるかのようです。

そしてやるべきことというのは、そのほとんどが社会的な自分の役割でしめられています。

よき社会人として、よき家庭の一員としての役割を果たすことが、自分のすべきことの全てになっているのです。

かくして、わたしたちは毎日、自分のやりたいことは断念していい人間であろうとします。

炊事する女性

誰でも、いい人だと思われたい、人の役に立つ人間でありたいと考えるわけで、何かもわからない欲求が浮かんだとしても、そんなことは封じ込められてしまいます。

「自分はいいことをしているのだ」という裏付けがあるので、表面的にはまったくそこに問題を感じていません。

今日も自分の役割を充分果たせたという満足感だけが、その慰めになるのです。

確かにその満足感は、わたしたちを落ち着かせますが、その影で何かものたりないものを感じているのです。

毎日決まったことを続けて、飽き飽きしていても、不満を感じた途端に「それじゃあ一体何がしたいの?」という問いかけをされると、なにも思い浮かばないことがほとんどでしょう。

それは問いかけに問題があるのです。

「自分はいいことをしているのだ」という自負心があるときに、それをやらずに何をしたいのかを問いかけても、反論できるほどの確信のある答えは出てきません。

結果の非難

何もでてこないから、「何もないのならやるべきことをやっていればいいんだ」と思うことで現実的に適応してしまうことになるのです。

実はわたしたちが、まず欲しいのは「放っておかれる時間」なのです。

何も条件を付けられずに、何をするかの説明も求められずに、ただ束縛されずに自分の思うことができる時間が必要なのです。

たとえ何をするかが思い浮かんでいなくても、何もしないままで許されるような、開放された自分を持ちたいのです。

「それじゃあ一体何がしたいの?」という脅しのもとでは、あなたの創造性はこころを閉ざしてしまいます。

明確な説明を要求される社会的な存在ではなく、目の前の遊びに夢中になっている幼児のような存在でいられる時間を与えて欲しいのです。

そういう時間を与えられて初めて、あなたの自由な自分が扉を開けて顔を出す事が出来るのです。

そこには、あなたが普段これでいいと言い聞かせている日常に、覆い隠されていた自分がいるはずです。

それが表に出られないために、わたしたちは何か物足りなさを感じながらも、これでいいんだと言い聞かせて毎日を送っているのです。

幼児が遊びを邪魔されて怒るように、「放っておいて」といえる時間を持ちましょう。

まわりの人にそれを明確に言えないのなら、自分で自由な時間を見つけて、少なくとも自分自身は、自分を縛らないようにしてみましょう。

「放っておかれたから、なにをしてもいいんだよ」
「なにをしているか、人にも自分にも説明しなくていいんだよ」
「その後の時間になにをしなくてはいけないかなんて、気にしないでいいんだよ」
「なにも思い浮かばなかったら、なにか思いつくまでボーとしていてもいいんだよ」
「いまここ、この時間だけはだれも邪魔しに来ないからね」


どうぞご自由に

そんな時間を、一日の中に設けてみましょう。

それは、無駄な時間では決してありません。
無駄だと言っているのは、「自分はいいことをしているのだ」と言い聞かせようとする自分なのです。

そして、そのような時間を作ることは、やるべきことをやる時間が来たら、今までよりもずっとスムーズにあなたを切り替えてくれるはずです。


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創造的な子どもをとりもどそう

あなたは、ときどき子どもの頃に思い浮かべた夢のような自分の姿を思い出すかも知れません。

だれにも言っていないけれど、ひそかにあこがれていた才能や職業といったもののことです。
きびしい現実や誰かに馬鹿にされる心配がなければ、自由に想像をふくらませていたはずの夢の世界です。

大人になるにつれ、そんなことは現実離れしていると言い聞かせて、むりやり封印してしまったあこがれを、ここで思い出してみましょう。

捨ててしまった夢を思い出して、かつての自分が好きだったことを思い出しましょう。
それは思っていたよりも、ずっと力強く、創造的なものかも知れません。

以下にあげた項目について、自由に連想して、心に浮かんでくることを書きとめてみましょう。

メモ用紙に書いてもいいですが、できればメールソフトを開いて、あなたのアドレス宛のメールとして書いてみてはいかがでしょう。

現在のあなたから、夢を抱きながらそれをあきらめてしまった、かつてのあなたに宛てた励ましのメッセージを書いてみるのです。

     メール受け取り


それでは、チェック項目をあげてみましょう。

◇子どもの頃大好きだった漫画は何だったでしょう。
◇子どもの頃大好きだったおもちゃは何だったでしょう。
◇子どもの頃あこがれたヒーロー、ヒロインは誰だったでしょう。
◇子どもの頃よく遊んだゲームはなんだったでしょう。
◇子どもの頃みた映画で感動したものを覚えていますか。

     ヒーロー子ども

◇自分自身のための時間を、毎日どのくらい充てているでしょうか。
◇過去を思い出して、怖くなる夢はありますか。
◇過去を思い出して、すぐに打ち消したくなる思い出はありますか。
◇そのころはやらなかったけれど、今ならやってみたいことはありますか。
◇もうすこし今の仕事に余裕ができたら、やってみたいことはありますか。
◇いまはもうやりたくないけれど、若いときならやってみたかったことはありますか。
◇いまでも好きな楽器は何ですか。
◇もし余裕があったら、自分に買ってあげたいと思うもの(趣味の道具とか)はありますか。
◇いま自分の楽しみにどのくらいのお金を使っているでしょうか。それは今の自分にふさわしいでしょうか。
◇ひとには言わないけれど、ひそかに好きな本はありますか。
◇ひとには言わないけれど、ひそかにあこがれている仕事はありますか。

     ヒロイン

◇もし子どもの頃の夢の通りになっていたら、どんな自分になっていたでしょう。
◇もし人から馬鹿にされたり、おかしい人だと思われなかったら、やっていたこと、作っていたもの、書いていた文章はあるでしょうか。
◇あなたの両親が、理想だと思っていたのはどんな仕事でしたか。
◇この作業をしながら、いままで感じなかったような不思議な感覚が浮かんだら、手がかりになる言葉を残しておきましょう。
◇あなたは自分のことをどのくらい信頼していたでしょう、いまはどうですか。
◇あなたは自分では、どのくらい両親の影響を受けたと思いますか。
◇あなたが両親やまわりの人からいわれて、断念した夢を思い出しますか。
◇いまでも元気になれる音楽はありますか。
◇いまでも元気になれる物語はありますか。
◇だれも批判しなかったら、こんな服装をしてみたいと思うものがありますか。
◇夢が叶ったら、こんな家に住みたいと思うイメージがありますか。
◇いまでもやり直せるなら、やりたいことがありますか。

     楽団

◇自分の夢だったことを、いま現実にかなえている誰かがいますか。
◇あなたの夢の達成度は何パーセントくらいでしょう。その達成度は満足出来る数字ですか。
◇いまでもあきらめきれない夢はありますか。その夢は、実現の可能性はありますか。実現の妨げになっているのはどんなことでしょうか。
◇こどものころ誰かに笑われて、あきらめてしまった夢があったら思い出してみましょう。笑った人は、いまの自分から見ても正しかったでしょうか。それとも、いまの自分なら反論できるでしょうか。
◇ここまでやってきて、何か思い浮かんだことはありますか。
◇本当はこんなことが好きだったんだ、といった発見はありましたか。
◇十年若ければ、やってみたいことはありますか。
◇タイムマシンであのときに戻ってやり直したいと思うのはいつでしょう。


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とげがささっちゃった!

ライナス
 イテッ!

ライナス
 とげがささっちゃった!

ルーシー
 どうかしたの?

ライナス
 指にとげがささっちゃった...

         男の子びっくり

ルーシー
 あらそう!それは何かの罰があたったのよ!

ルーシー
 最近どんな悪いことしたの?

ライナス
 悪いことなんて何もしてないよ!

ルーシー
 とげがささってるんでしょ?
 それが不幸の兆候なのよ。そうでしょ?
 悪いコだったから罰せられて不幸になるのよ!

      女の子思案

チャーリー・ブラウン
 ちょっと待ってよ...

ルーシー
 あんたに何がわかるのチャーリー・ブラウン
 これは兆候よ!ハッキリとした天罰の兆候なのよ!
 ライナスはとっても悪いことをしたんだわ。
 それで彼は不幸な目にあうのよ!

        男の子待って!

ルーシー
 私、こういうことはよく知ってるのよ!
 私は何でも...

ライナス
 あっ、抜けた!
 とげがたった今抜けちゃったよ!

ライナス:
 かくて今日の神学の講義は終わりね。

※画像はピーナッツとは関係ありません。




もっともらしい説明も、現実の前には役に立たないものです。

真剣に考えようと、軽く考えようと、起きることをすべて予測することはできません。

とげが刺さったらその痛みを感じ、

とげが抜けたら素直に喜ぶとき、

そこには説明はいらないのです。


参考
いいことから始めようスヌーピーと仲間たちからの生きるヒント
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02




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誰の責任なの?

ペパーミント・パティ
 あのね、チャック...
 学校がはじまったその日に
 校長室によばれたの...
 それってあなたのせいよ、チャック

               女性電話
チャーリー・ブラウン
 えっボクのせいだって?
 ボクのせいにどうしてなるんだい?
 どうしていつも、何でもかんでも
 ボクのせいだっていうの?

パティ:
 あなた、私の友達でしょ
 そうじゃない、チャック?

パティ:
 あなたはもっといい影響を
 私に与えてくれるべき
 だったのよ!

※画像はピーナッツとは関係ありません。


自分を責めてしまう傾向が強い人がいます。
またその裏返しで、自分の欠点を認めるのが怖いので、誰かの犠牲者になってしまおうと考える場合もあります。

「誰の責任なの?」というのは、第3者が客観的に判断すれば結論は出るかも知れませんが、それで納得する人もいれば、信じ難く感じる人もいるわけです。

それに対する反応の仕方は1つや2つでは捉えられないでしょう。

◆完璧な正しさを追求する人は、他の人以上に正しさを主張したり、自己弁護しようとします。

◆正義を主張するのは同じですが、自分の力を主張することに関心がある人もいます。

◆他の人の反応が何よりも大事な人は、正しさよりも他の人に合わせることが優先され、自分を見失うこともあります。

◆誰の責任かの追求よりも、自分のユニークさをアピールすることに関心が強い人もいます。

◆責任の所在は自分では確信していても、他の人に主張したくない人もいる一方で、自分の判断に自信が持てなくて主張できない人もいます。

◆責任の所在なんかどうでもいいから、もっと楽しいことを考えようよと言う人もいます。

◆責任の所在の追求よりも、もめごとをさけ、穏やかに終わらせることに関心が向いている人もいます。

そして、このような関心の方向の違いに加えて、その人の現在の自己を肯定する度合いが高いか低いかでも、その現れ方が変わってくるのです。

ここで理解すべきなのは、誰が一番正しいかと言うことではなく、次の点でしょう。

・自分の正しさは多分に自分のとらわれに引きずられたものであること。
・他のタイプの人の正しさのありかたは、自分には見えにくいものであること。


相手の行動が理解できないとき、その人の主張は非常に理不尽なものに思えるものです。

しかしこのような様々なタイプがあることを理解すれば、相手がなぜそれを主張するのか、あるいはしないのかということも見えてくるわけです。

その結果、他人への不必要な怒りを感じなくても済むかもしれません。
そして、それと平行して自分の偏りというのも意識できるようにもなるのです。

参考
いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02



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