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許しについてもう一度

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先日「許しには天使が、恨みには悪魔が・・・」で許しの効用と、恨みの悲惨さについて取り上げましたが、
少し違った観点から、許しを取り上げて見たいと思います。

-------------
誰かが何かをして、仕方がないから許すのではない。
自分は彼より高貴な存在だから、許してあげる、のではない。
<赦し>とは、我慢することではない。
自己犠牲ではない。
それは真の<赦し>ではない。
真の<赦し>に犠牲はない。
真の<赦し>とは犠牲どころか、
自分は自由そのものであり、
完全そのものであると歓喜することである。

我慢する理由も存在しないところ
我慢される者も我慢する者も存在しないところ、
それが<赦し>である。
それが解放である。
それがそのままの自由である。

~"それ"は在る ヘルメス・J・シャンブ
-------------

ここでは、許しとは、解放でありそのままの自由であると述べています。
では何からの解放なのか、我慢するものが存在しないとはどういうことか、次のように考えてみればわかりやすいでしょう。

例えば、あなたがこんな許し方を考えたとしたらどうでしょう?

あなたのしたことについて、これとこれは許してあげます。しかしこの点は許すわけにいきません。

これは真の許しと言えるでしょうか?

許せない点を抱えているわけだから、真の許しではないわけですね。
言い換えれば、真の許しとは、100%の解放でなければならない。99%の許しなど許しではないのです。

それから、「これとこれは許してあげます」という表現に、我慢する人が存在してくるわけです。

許すものと、許されるものが存在するとき、それは真の許しではない。そこに本物の解放はないからです。

どんな人と人の関係も残っておらず、真の自由が得られていなければ許しとは言えないのです。

100%解放されてこそ、それが真の許しなのです。


真の<赦し>には、我慢も自己犠牲も存在しません。
100%自由な関係にならなければ、それは真の<赦し>ではないのです。

それでこそ、
『自分は自由そのものであり、
完全そのものであると歓喜することである。』
と言えるのです。


許しには天使が、恨みには悪魔がもれなくついてきます タオに生きる


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恩寵

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「あなたが、あなたを束縛している。
あなたが、世界を束縛している。
世界が、あなたを束縛しているのではない。

車が割り込んできて、あなたは思う。
『お前が悪い』と。
対象が人物であれ状況であれ、
あなたは、その対象に有罪判決を言い渡したことになる。
『お前は罪ある者だ』と。
この老人は前に行ったね、
<私>が言うことは、ただ一つの<私>が言うことだ、と」
「はい、言いました」
「したがって、その有罪判決はあなた自身が受け取ることになる。
あなたは、あなた自身に対して、
『お前には罪がある。この世界には罪がある』と宣言したのだ。
だからこそ、事象が起きた時、あなたは嫌な気分になる。
罪が存在することを、自分が決定したからだ。
自由はない、と自分が決定したからだ。
ゆえに、あなたがあなたを束縛している、というのである。
『この世界には罪と罰がある』とあなたが決定し、
あなたはそれを経験し続ける。
そう思い込んでいるがゆえに。
あなたは、『車が急に割り込んでこなければ、車が悪いとは思いません』
と反論するかもしれない。
だが、車が割り込んできたのはあなたのために世界がしたことだ。
あなたに、『善悪の観念があるから、それを解放しなさい』
と教えてくれているのである。
=========
車が急に割り込んできた時、
次のように考えるなら、あなたは救世主となるだろう。
『車は確かに急に割り込んできた、だが私はこれが何を意味するか知らない。
私には知ることができない。
もしかすれば、これが良い結果になるかもしれないし、悪い結果になるかもしれない。
でも、唯一言えることは、ただ車が前にやってきた、ことだけだ。
私は今、嫌な気分になった。
それはこの世に悪いものが存在する、という観念があり、
急に車が割り込んでくるのは悪いことだ、という観念があるからである。
確かに、急に割り込んでくることは危ないことだろう。
でも、その車が、その運転手が悪いものかどうかは、私に決めることは出来ない。
何か緊急の用事があったのかもしれないからだ。
それに、もし私に、割り込んでくる車の運転手はきっと悪いやつだ、
という観念がなかったら、
実際にこのような事象が起きることはなかったかもしれない。
私にそのような観念があるから、
それを教えるために世界がその事象を起こしたのなら、
この危ない状況をつくりだしたのは私自身ということになる。
責任は私にある。
私が悪いことをした、という責任ではなく、
私に、何かを決める自由がある、という責任である。
私は、このような危険な事象が起きないようにしたい。
よって、私は相手をもう裁かない。
私は、<赦し>を選択したい。
善悪が存在するという観念で事象を見る時、
嫌な気分になるのは、自分だけであるし、
もし私が、私自身を解放でき、また同時に世界を解放することが可能なら、
私はそれを選択したい。
だから、私はこの観念を手放す。
赦す。
私は真実を観たいし、
平和な世界を観たいから』

~"それ"は在る ヘルメス・J・シャンブ


仮に、このような別な見方をあなたが出来たとしても、一回では何もそれほど変わらないでしょう。
このような考えに慣れていなければ、自分がお人好しでバカを見るのではないかと、気になってくるかもしれません。

しかし、たとえ一回でも、考え方は変化を見せ始めました。
なぜか嫌な気分も一緒に起きていたことに、初めて気がつくかもしれません。
積み重なれば、それは大きな変化をあなたにもたらすでしょう。
そして、積み重ねというのは、思っているよりずっと早く経過するものです。

しかし、あなたはこのような文章を読んでも、何も変化を起こさないかもしれません。
何のことだか、他人ごとか、バカバカしい考えにしか思えないかもしれません。

変化が起きるか、起きないかは、あなたには決められません。それは恩寵です。
あなたがこの事を気にとめるか、ただ読み捨ててしまうことになるか、あなたには決められません。
あなたは、読んでみて関心を持たなかっただけだ、と言うかもしれませんが、それがまだあなたには、機会とならなかったということかもしれません。

きっかけになるかどうかは、あなたにはわからない。それは恩寵です。

あなたに変化があったかどうか、確かめて見たければ、明日にでももう一度、この文章を読んでみることです。
そうすれば、自分に変化が起きていたか、何も起きなかったか、はっきりするでしょう。



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もし目の前に幽霊が出てきたら、ただ無視しなさい

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「もし自分の前に幽霊が現れた時、どのように対処するか、
その話を<私>は聴いたことがあるかね?」
「いえ、知りません。聴いたことがありません」
ある御方はいささか遊びふざけるように、楽しそうに話を続けた。
「そうか。そうか。そうか。
このような話がある。
『もし目の前に幽霊が出てきたら、ただ無視しなさい』と。
これが何を意味するかわかるかね?」
「いえ、よくわかりませんが・・・」
「幽霊自身は、自分がまだこの世に存在していると思っているがゆえに、
この世界に留まっているのである。
この世界にいるから、そう思うのではなく、
そう思っているから、この世界にいるのである。
無視されれば、自分は存在していないのかもしれない、
もう死んでしまったのかもしれない、と幽霊は考えるだろう。
そしてその事実をうけいれていくだろう」
「なるほど、そうですね」
「だから、無視してあげるのだ。
あなたは存在していないよ、と教えてあげるのだよ」
「そんな話ははじめて聴きました」
「だが、この話には、まだ考えるべき重要な点がある。
幽霊を見た人は、幽霊が存在するという観念があるから、幽霊を見たのだ。
なぜなら、幽霊は、幽霊を見た人の世界の登場人物に過ぎないのだから。
幽霊を見た人は、『自分には幽霊が存在する、という観念があるのだ』
とその事象によって気づくべきである。
そしてどうするか。
無視するのである。
それは、存在しないのだから。
もはや、それを意識して、その観念を強化せず、
ただただ無視をして現実世界を見るのである。
ただただ無関心により、観念を解除するのである。
それにより、自身も、また相手である幽霊も、共に解放することができるのである。
共に、真実に帰るのである。
この一例は、とてつもない真実を含んでいる。」
なぜなら、これこそが、イエスが教えている内容そのものだからだ。
これが真の<赦し>だからだ。
これが、世界を救う唯一の方法だからだ。
観念を強化せず、無視して、ただ<在る>。
だが無視は、冷酷非礼な無視ではないよ。
愛なのだ。
愛ゆえに、愛だけを見ることなのだ。
愛だけを見続けること。
愛だけを選択し続けること。
真実だけを見続けること。
真実だけを選択し続けること。
これが聖なる無視、聖なる無関心と呼ばれているものである。
これが、最大の教えである」
「師よ、なんと素晴らしいお話でしょう。
師よ、わかりました。わかってきました。
ということは、思考もまた同じだと言うことですね?」
「そうだ、そうだ。
素晴らしい。
どのようにすれば、思考活動は止まっていくのかー。
それはまさに、どのようにすれば世界から解放されるか、だ。」

思考を止めようと躍起になれば、止めようとする思考に意識を向けることになり、
思考はますます強化されるだろう。
だから、止めようとしないことだ。
止める必要さえない。
だから否定もせず、受け入れもせず、ただ真実を観る、これだけだ。
解放してあげなさい。
<私>を解放すれば、世界が解放される。
世界を解放すれば、<私>もまた解放されるのだ。
ただ、<私>を、<本当の私>ではないと認識することによって、
思考や想念、観念を<本当の私>ではないと認識することによって、
思考や想念、観念は現れては消えていく幻想であり、
それが存在しなくても<自分>は存在している。
その存在そのものは永遠に消えることなく、
よってそれだけが真実だ、と認識することによって。
それらの認識により、
<真我>のみに意識を向け続けることによって。
ただ<在る>に意識を向け続けることによって。
そして、これらは全て同じことなのだ。
これらは実現の方法ではなく、自然そのもの、あるがままの状態のことなのだ。
自然、無為、あるがままでいることが、方法なのだ。
これが方法なき方法である。
~「”それ”は在る」 ヘルメス・J・シャンブ


「そしてどうするか。
無視するのである。
それは、存在しないのだから。
もはや、それを意識して、その観念を強化せず、
ただただ無視をして現実世界を見るのである。
ただただ無関心により、観念を解除するのである。」

観念を無視する、つまり私の思考を無視して、右から左へ受け流す。
これが、自分を解放する、方法なき方法だと言っています。

しかし、ただただ無視をして現実世界を見ることは、言葉にすれば簡単でも、最初はとんでもなく難しく、不可能なことのように思えるでしょう。

私の観念、私の思考とは、今まで<私>が、それを目標に、それを拠り所にして生きてきた全てのような存在です。
それをそう簡単に捨て去るなんて!

人によっては、全財産をどぶに捨てるような感じがするでしょう。
また別の人は、思考をなしにするとは、自分自身を殺すことのように感じるかもしれません。思考こそが、その観念こそが<私=自我>そのものだったのですから。

とても簡単な事だとはいえません。
受け入れることがまず大変です。
そして、思考に気づくことにも訓練が必要です。
なにしろ、いままで自分が思考を操っていると思い込んでいたのですから。

それでも、これを続けるなら、ある時点から、今まで何を試しても解決できなかった難問を、このただひとつのやり方が、すべて、次々に解決し、自分を解放し続けてくれることに気づくようになるでしょう。

それはまるで、オールマイティな解答のように思えるでしょう。

なにかの方法を使えば、その方法が有効なことにだけ答えを見つけるでしょう。
しかし、方法なき方法は、問題そのものがなかったことを、明らかにするのです。



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<赦し>とは、我慢することではない

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誰かが何かをして、仕方がないから許すのではない。
自分は彼より高貴な存在だから、許してあげる、のではない。
<赦し>とは、我慢することではない。
自己犠牲ではない。
それは真の<赦し>ではない。
真の<赦し>に犠牲はない。
真の<赦し>とは犠牲どころか、
自分は自由そのものであり、
完全そのものであると歓喜することである。

我慢する理由も存在しないところ
我慢される者も我慢する者も存在しないところ、
それが<赦し>である。
それが解放である。
それがそのままの自由である。
~"それ"は在る ヘルメス・J・シャンブ


赦すことについて、私たちは既存の観念にとらわれています。

ある人はどうしても相手をそのままに出来ないと思い、「これは赦すべきではない」という観念を真実だと決定します。
その後は相手に復讐することばかり考えて、その苦しい思いを、まるで生きがいのようにして(事実、復讐心はエネルギーを生み出すようにみえる)、それを拠り所に自分のその後の人生を決めていくのです。

またある人は、「自分は相手を赦せないような、ちっぽけな人間ではない」という観念を真実に据えます。
時々蘇ってくる恨みの心を、ひた隠しに押し込めて、そんなものは自分に内科のように振る舞ってみせます。それでいて、自分は犠牲者であるということを切り札として持ち続けます。もし我慢ができなくなったら、自分がどれほどの犠牲者であったかを、延々と語れるようにです。

「恨みは自分の身も滅ぼす」と頭で理解した人間も、どうやったら赦せるかを知らなければ、我慢するしかないという状態を続けることに変わりありません。

このような観念を信じ込んでいる限り、<赦し>は、いつまでも雲の上の存在でい続けます。
このような観念は、真実でもなんでもなく、どこかで社会で教えこまれた観念に過ぎません。こうすれば自分の赦せない思いを、自分自身が赦すことが出来る、という方法も理由も存在しないのです。

我慢する理由も存在しないところ
我慢される者も我慢する者も存在しないところ、
それが<赦し>である。

赦しを乞わなければならない人も、我慢して泣き寝入りしなければならない人もいないのだと気づくことです。
それらは、様々な観念が作り出したものに過ぎません。

例えば、小さな子どもが、「大人が悪いことだと思っていること」をやってしまい、怖いお父さんの赦しを受けないと、今日はご飯も食べさせてもらえないかもしれないと怯えます。
こうして赦す人間と、許されなければならない人間を存在させることになるのです。
幼い子どもにとっては、怖い存在がいることも必要かもしれません。しかし、それは自分で判断できるようになるまでです。
いつまでも犠牲者と悪い人がいると信じる必要はありません。
赦す人間と許される人間がいる必要もありません。
我慢する人間も、我慢を強いる人間も存在させる必要はありません。

苦労して、なんとか自分をなだめて、それでようやく相手を赦せるようになると決めつけているのは、観念を信じているからです。

現実には、私たちは、「この生きている一瞬の連続」に存在するだけです。
自分が次に何をするかさえわからないのです。
そのことが赦されると信じていてこそ真の自由があります。
それには、もちろん他の人が何をするかも自由です。
他の人がやったことで、自分の自由が左右されることになるような、どのような観念も採用することはありません。
我慢していると感じるのも、観念がなければ成り立ちません。

「我慢される者も我慢する者も存在しないところ」に住むことにしましょう。
我慢する人も、赦されなければならない人も、そもそも創りださなければいいだけです。
観念を信じなければ、その思考が生まれる以前の状態から世界を見られるのです。
自由な人同士で赦しは必要ありません。
自由であることが<赦し>もその中に含んでいるのです。

観念が、いかに馬鹿げた世界を作り出しているかを、愛想が尽きるほど観察してみましょう。
観念で作られた世界を越えたところで生きるのです。
そもそも赦す人も赦される人もいないところで。



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考えを批判されると怒り出すのは?~思考との同一化

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「通常、人は、自由に思考していると感じている。
自分が考えていると思い込んでいる。
ふいに浮かぶ思考を、自分が考えた、と思い込んでいる。
あまりにも思考と同一化しているがために、
あまりにも一緒になっているがために、
思考が真実の自己とはなんら関係がない、と疑うことさえあり得ないだろう。
だが、もし真実を知るなら、
それを確かめようとするなら、
人はその一瞥で、一気に混乱し、恐怖さえ感じるかもしれない。
事実、自分自身が崩壊していくかのように感じるだろう。
自分が二つに分裂したかのように感じるかもしれない。
なぜなら、もはや存在そのものにしか拠り所がなくなるからだ。
それはある意味では強制的に自己に引き戻されるような感覚だ。
しかしながら、この認識は、のちに完全なる解放をもたらすものなのだ」
~「それは在る」ヘルメス・J・シャンブ


思考を自分自身だと思い込むのは、ごく自然で、当たり前すぎて疑いもしないという人がほとんどでしょう。
というよりも、「私が考えた」を自分以外の誰がしているというのだ?、宇宙人が私に取り付いて、代わりに考えさせているとでも?というように問題外だと感じるでしょう。

しかし、本当にあなたは自分の思考を自由に操っていると言い切れるでしょうか?
むしろ、あなたは「この考えに悩まされている」というように、受け身で表現したりしますね。
この考えが、この感情が、突然思い出されて苦しんでいる、と思ったりします。

思考を自由になど出来てはいないし、自分が考えているつもりになっていることも怪しいものです。
「でも、今そのことについて考えてみようと思ったら、次々と考えがつながったよ! やっぱり自分が考えているんだ」と言いたくなるかもしれません。
しかしこれも、前に考えたことの続きで、連想がつながったことに過ぎないといえないでしょうか?つまり、私が考えたというよりも、思考が思考したのです。

わけがわからなくなってきましたか?
少し視点を変えてみましょう。
彼が話している声を聞いて、あなたは「これはあの人の声だ。彼が話しているのだ」と思います。聞いただけでその人だと分かるように、その人独自の声というものが存在します。
「これは彼の声だ」それはいいのですが、声から彼のことを思い浮かべているうちに、声もまたその人自身のように同一化してしまわないでしょうか?

あるいは、彼の声は彼自身の意志で作り出しているものだ、というように発展しかねません。
しかし、彼の声は、もちろん彼自身が作り出したとは言いがたいでしょう。
それまでの、あらゆる生得的あるいは遺伝的な要因などに加え、その後の彼の生き方が彼の声を作り出し、また変化もし続けるでしょう。
彼自身は、なんら自分の声を生み出してはいないのです。むしろ彼の属性の一つに過ぎないのです。

「これは彼の声だ」を「これは彼の思考だ」に置き換えてみましょう。
思考もまた、彼の属性にすぎないのではないでしょうか?
彼の思考は彼自身ですか?
それまでのあらゆる経験が、彼の思考傾向を作り出しました。
「彼ならこう言うかもしれない」と他の人が思うのは、彼の思考もまた、彼の属性だからです。

さて、それでは今度は、「これは私の思考だ」に置き換えましょう。
そして、同じように、「私の思考もまた、私の属性の一つに過ぎない」と考えてみましょう。
「私の思考は私自身ではない」

どうでしょう?とたんに受け入れが難しくなりましたか?
それだけ、私のこととなると同一化しているので抵抗があるということです。

そして同一化しているから、「私の考え」を批判されたり、皮肉を言われると、自分自身が攻撃されているように感じてしまうのです。
「私の声」を悪く言われても、思考に対する時ほど、うろたえたりたりしないでしょう。
「私の歩き方」「私の心拍数」「私の身長」、どれも私自身ではありません。

「私が考えた」とは、「私の属性である思考が思考した」のです。
そうやって他のことと同様に、起きてくることを、そのまま受け流す時、私自身はただそのままでいればいいし、他に起こりようもないのです。

そのように振る舞う時、いままでただ「ひとり」傷つく対象であった私もいなくなり、誰も傷つく人はいなくなります。
そのままで、最初から何も問題はなかったのです。


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世界がなければ、<私>を知ることはできない

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ある御方は続けた。
「例えば、誰かに何かを相談されて、<私>がその誰かにアドバイスをした時、
その内容が、なぜだか自分自身に言っているような気がする、
と感じたことはないかね?
あるいは、自分自身は決して実行していないことでも、
他者から相談を受けた場合は、あれこれを実行すべきだ、と言える。
そしてその瞬間、<私>は実はそれを実行できていない、と感じるのである」

「・・・は、はい、あります。確かにあります。
私は実際にそのように感じたことがあり、自分でそう思いました」

「いついかなる時でも、他者は<私>の師である。
世界という師は、常に<私>に教えているのである」

「そうなのですか?」

「誰かの何かの行動が気に入らない時、
それは<私>の中にあるが、認めたくない行動ではないか。
時に自らがその行動を取っていることに気づいているだろうか。
世界とはまさに<私>を映し出してくれる鏡なのだ。
世界がなければ、<私>を知ることはできない。
世界は<私>を教えてくれる鏡であり、師だ。
だが表面的に異なる事象に見えるために、なかなか気づけないだけなのである」

「なるほど。でもわかります。
おっしゃる経験を私はしていますし、今もしているのかもしれません」

「そうだろう。それは紛れもなく、
世界には一つの<私>しか存在しないことを意味している。
誰かの問題は、実のところ全て<私>の問題、
つまり唯一、独りしか存在しない<私>の観念なのである。
なぜなら、<私>であるものの全てが投影されているのが、この世界なのだから。
誰かが相談してきた問題とは、<私>が隠し、逃れていた問題なのである。
人はとかく問題やその原因を他者や事象のせいにして、
『私が悪いのではない。私は犠牲者だ』と言い続けている。
そのようにすることで、私は救われるのだ、というなんとも奇妙な観念を持っている。
これは驚くべき誤解、驚くべき錯覚だ。
そして、驚くべき罠にかかっているとも言おう。
さて、なんの罠なのか?」

~「"それ"は在る」 ヘルメス・J ・シャンプ


時には他人を通してしか見えない自分がある。

一見奇妙な仕掛けのようにも思えます。なぜこんな二段仕掛けが必要だったのか、それはわかりません。
仕掛け人がいるわけでなく、そのようになっているのです。

しかし、これを仕掛けの一部と見るなら、私の思考が創りだした「私」とは仕掛けの片方にしか過ぎないのです。
いままで「これこそ私だ」と信じてきた基盤が揺らいでくるから、すんなり受け入れられないかもしれない。
しかし、その両方を合わせてこそ「私」の全体が見えてきます。

そしてそうやって見えてきた自分も、そもそもは私の観念でしかないのです。
私が観念に従って真に迫って演じている私の姿を、「それ」は見ています。
その時の私「それ」には問題はなにもないのです。問題とは観念の生み出したものに過ぎないのですから。


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