わたしたちは、普段何かにつけ、「あれをどうしよう」「次はどう変えていこう」というように考えます。
「何か」を「どうにかする」と考えることが、生きることであるかのようです。
長い間、私たちはこのような思考が身についてきました。
遺伝子に組み込まれてきたのかも知れません。
科学の進歩と呼応するかのように、人間の力で何かを変えたり、作り出すということが、人間の能力、人間の偉大さのように信じてきたわけです。

しかし、外に働きかけるばかりの生き方を、すこし方向転換してもいい時期に来ているのかも知れません。
それは、自分の内側に目を向けて、あるがままを受け入れるという方向性です。
受容すること
なぜ受容を選ぶのか
それは受け入れない時、私たちは苦痛、不安、居心地の悪さなどの不快な感情を作り出すからです。
そしてその不快感から、その状況と戦おうとするのです。
この戦いは、自分の心の中で起こります。
それが、さらにあなたにもっと不快な傷を作り出すことになるのです。
受容する時、ひとは満足します。
新たな苦痛を作り出しません。
受容はそのまま受け入れること
受容は、その方が「好ましい」からとか、それが得られたら「うれしい」から受け入れるのとは違います。
また「仕方ないからいいことにしておく」というのとも違います。

それはただ、そのまま受け入れるということです。
無条件に「それはそういうものなんだ」とおもって受け取ることです。
ものごとが「そのように起きつつある」ことをそのまま受け入れるということです。
「起きたこと」をそのまま否定せずに認めると言うことです。
1.受容を選ぶのは、受容しないと、苦痛を作り出すからです。
2.受容を選ぶのは、受容しないと、無駄な戦いをすることになるからです。
まずは、この2つを認め、自分は受容する道を選ぶと言い切ってみることです。
そんなことはないと思うのなら、あなたはまだ外のものをコントロールし続けたいのでしょう。
きっとそのやり方でも、まだまだ道はあると信じたいからでしょう。
苦痛を作り続け、それと闘うという筋書きに、いつまでもしがみつきたいのかも知れません。
それは、あなたの選択です。
まだやり足りないと感じるのなら、とことんやってみることですね。
方向転換してみようかと、思う人なら、受容することを練習しましょう。
前述のように、私たちは「なんとかする」思考になれすぎてしまいました。
その結果「そのまま受け入れる」ということがどういうことか、わからなくなっているからです。

ひとつは、自然の働きを観察して、そのままであることを思い出すことです。
目的も、理由もなく、ただ生きていくことを思い出すことです。
まずは、目の前にあることを受け入れてみることを、実体験していくことです。
今日1日を振り返って、うまくいったこと、失敗したこと、それについてどう感じたのかということ、これらを一切批判を加えずに、ただ受け入れることから始めましょう。
誰かを傷つけるようなことを言ってしまったのなら、そのまま受け入れます。
罪悪感を感じないで、ただ自分はその行為を行った事実を、そのまま自分の一部として受け入れます。
もし罪悪感を感じたのなら、そのこともそのまま受け入れます。
それは受け入れられないと感じたなら、そう感じたことを受け入れます。
今日は、いつもの2倍も成果があったのなら、その事実をそのまま受け入れます。
自分はすごかったという評価をつけずに受け入れます。
すごいだろうと自分や他人に言いたかったのなら、その気持ちをそのまま受け入れます。
「いや自慢なんかしたくないよ」という自分がいたら、その自分も受け入れます。
受容すれば、これは受け入れるけど、あれはダメだとは思いません。
受容は、いつも無条件です。

受け入れやすいかどうかとは関係なく受け入れます。
好きか嫌いかとは関係なく受け入れます。
ですから、やることは単純です。
考えなくても出来ます。
いや、考えないからできると言った方がいいでしょう。
考えるのは、選択したいからです。
選択をやめて受け入れます。
今日は天気が悪いことも受け入れます。
「なんで天気が悪いんだ」と怒ったのならその自分を受け入れましょう。
「天気が悪いと気が滅入る」と感じた自分を受け入れましょう。
考えたくなったら、考えようとする自分をも受け入れるのです。
思考の中に入り込んではいけません。
そのような時には、受け入れの拒否が起こっているはずですから、それを観察していましょう。
「受容すること」それは、今までの「何とかする」ことになれた自分から、もう一つの自分を取り戻す道です。
「受け入れるという道」は、今までのあなたにはなかった静けさをあなたにもたらしてくれます。
戦いに明け暮れた生活から、安らぎの生活を取り戻してくれます。
頑張らなくても何とかなるんだ、という発見をもたらしてくれます。
現実は難しいものではない、単純なのだということを知らせてくれます。
今まで何とかすることに活躍した自分が、そういう自分もいるんだというように見られるようになってきます。
今までの習慣は充分長かったのですから、あせらずに、少しずつ実体験を積み重ねていきましょう。
どのような習慣も、積み重ねが別の習慣に書き換えてくれるものです。
あなたも、そろそろ静かになりますか?
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