唯物論者の始まりである最後の自然哲学者、デモクリトス(BC460~370)など。
原子(アトム)という言葉もここから来ています。
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前回の
パルメニデスの普遍の存在と、
ヘラクレイトスの変化生成の考えは、よく対比されます。
パルメニデスは、
A.何も変化することは出来ない。
B.したがって感覚はあてにならない。
ヘラクレイトスは、
A.すべては変化する(万物は流転する)。
B.感覚はあてになる。

この対立に答えたのが、
エンペドクレス(BC494~434)です。
エンペドクレスは、この不一致が生じた原因は、二人の哲学者が、元素はたった一つだと考えたことによって生じたのだと言います。
元素が1つしかなければ、理性が語ることと、感覚を信じることの間に溝を作るしかないのだといいます。
水は魚や蝶にはならない、水は水のままであるわけで、パルメニデスが何も変化しないと言ったのは正しい。
しかし、ヘラクレイトスが言うように、絶え間なく自然は変化しているのであって、それを見る感覚が語りかけることは、信じるべきであるとします。
それには、自然はたった一つの元素から出来ている、という考えを捨てるべきだと言います。
結局、エンペドクレスは、自然には四つの元素があると信じ、これを「根」と名付けます。
その四つの根とは、
土、空気、火、水です。
自然のあらゆる変化は、この四つの元素が、混ざり合ったり、分離したりすることで生じるのだと言います。
そしてたとえば、動物が死んだとすると、四つの物質はバラバラになります。
四つの元素は、それ自体は変化しませんが、それらが様々な割合で混ざり合うことによって、また様々なものが、新しく作られていくのだと考えるのです。
木片を燃やすと、火の中で、何かがパチパチとはぜ、ジージー言う音も聞こえます。
この音は水によるものです。そして何かが煙になり、空気となる。
そして炎が消えた時に残るのは灰、すなわち土である。
エンペドクレスは、それに加えて、物質が結合したり、分離したりすることの原因についても語ります。
四種類の根を結合するのものを「愛着(ピリア)」、分離させるものを「憎しみ(ネイコス)」と名付けます。
つまりエンペドクレスは、物質(四元素)と力(愛と憎)を分けて考えたのです。
私たちの知覚についても、おもしろい考え方をします。
私たちの目の中の土の部分が、自然の土をとらえ、目の中の空気の部分が、外界の空気をとらえるのだというのです。
そして、これらの元素の欠けているものがあると、自然を全体としてもとらえることが出来ないといいます。

しかし、一つの元素とか、四元素から全てが作られるという点に納得しなかったのが、
アナクサゴラス(BC500~428)です。
アナクサゴラスは、自然のものを小さなものに分解すると、目に見えないものになるが、この小さな要素の一つ一つにも、全ての要素の元になるものが含まれているはずだと考えたのです。
これは、現在の科学で、私たちの身体が、細胞から出来ていて、体細胞の一つ一つには、身体全体に関する、おびただしい情報が書き込まれている、という考えにも通じるものです。
アナクサゴラスは、最も小さな構成要素のことを、「種子(スペルマタ)」と呼びます。
エンペドクレスは物質の結びつきや分離について、愛と憎の力を考えました。
これに対して、アナクサゴラスは、バラバラに混ざり合っていた「種子(スペルマタ)」は「理性(ヌース)」の働きによって、次第に分別整理され、現在のような秩序ある世界ができあがったのだ考えました。
そして、最後の自然哲学者、
デモクリトス(BC460~370)が登場します。
デモクリトスは、すべてのものは、目に見えないほどの小さな単位から、成り立っていて、その一つ一つは、永遠に変わらないものと考えました。
そしてその一番小さな単位を、「
原子(アトム)」と名付けます。

アトムとは、それ以上「分割できない」という意味です。
原子はそれ以上は分けられず、永遠に存在する、だから、どんなものも原子から出来ているのであって、無から生じることはないのだというわけです。
そして、原子は、全てが同じ形ではないだろうと、予測します。
同じものから、全てのものが、かたち作られるというのは、うまく説明が付かないというのです。
自然界には、無限の原子が存在し、それぞれが様々な形をしているので、それらが組み合わさって、あらゆるものを形作ると考えました。
そして、原子はどんなものであれ、それ以上分けられないし、永遠の存在で、変化することもないのだという考え方です。
現在の物理学でも、原子が終わりではないにしても、それ以上分割できない限界が存在するという点では、同じように考えています。
デモクリトスは、現在のような測定機器なしに、思考だけで、この考え方に達したわけです。
また、デモクリトスは、原子のみが物質(マテリアル)として存在し、原子のないところは、ただの空間だと考えています。
そして、物質(マテリアル)以外の力や精神的なものを、一切排除して考えました。
このことから、かれは、「唯物論者(マテリアリスト)」と呼ばれます。
原子論では、原子が空っぽの空間を、運動することによって、様々な生成や消滅も説明できるとします。
なお空っぽの空間、虚空間(ケノン)という考えもここで登場します。
そして、また彼は、魂というのは、魂専用の「魂の原子」が集まって出来ていると考えます。
人間が死ぬと、魂の原子はバラバラになって、四方八方に飛び散り、新しく作られようとする魂の中に、飛び込んでいくと考えたのです。

デモクリトスの原子論によって、いったん自然哲学は区切りを迎えます。
しかし、デモクリトスは、全ては機械のように動いていき、エンペドクレスやアナクサゴラスのような、精神の力というのはまるで認めなかったのです。
原子論は、現代の科学としても充分に通じるものであり、そしてまた、否定された精神の働きについては、現代でも明確な答えは已然としてもたらされてはいないようです。
物質の根源が何かはともかくとして、自然哲学者たちは、自然の現象、営みの原理を突き止めたいと考えていました。
それに対して、現代の私たちは、人工の物に囲まれて、概念ばかり操作しているようにも思えます。
目の前の利益にとらわれたり、競争すること自体が目的になってしまっています。
哲学以前に、何が大事なものかを、もう一度考え直す時が来ているのかも知れません。
参考
ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙
ヨースタイン ゴルデル 日本放送出版協会 (1995/06)
※哲学者の年代はソフィーの世界の記述にしたがっています。
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