心の2面性 振り子の原理
ロバートの質問:
仲間と一緒に過ごしていると、しばらくするとひとりになりたくなります。
しかしひとりでいると今度は人と一緒にいたくなる。
どちらか片方だけを完全に楽しめないのです。
わたしは、内側と外側どちらで生きればいいのでしょうか?
これはすべての人が直面する問題。
心の働きの2面性で、振り子の移動のようなものだ。
右側に振れているとき、振り子は左側に戻るエネルギーを溜めている。
やがて反対側に振れると今度は反対側に戻るエネルギーを溜めているのだ。
心も振り子であって、ひとりでいるときには人と一緒にいる時を思い浮かべて完全に孤独を楽しむことができないし、人と一緒にいると孤独になることを考え始める。
ひとりでいると何をしていいのかわからなくて退屈し、空虚さを満たそうとして他の人や食べ物や娯楽を探し始める。
逆に他の人と一緒にいると、今度はだんだん他の人があなたの領域に進入してくるのが気になりだし、干渉されるのが嫌になってくる。自由になれる孤独が恋しくなる。
貧乏な人は金持ちにあこがれるが、金持ちはすべて放棄して自由になりたがる。
アレキサンダー大王は、人生の最後になってあらゆるものを手に入れ征服してきた人生に空しさを感じ、無駄に生きてきたことに気づいた。
その数年前にギリシャで出会った、裸の哲学者ディオゲネスを思い出す。
何も所有せず、裸で暮らすその哲学者は、しかしすべてを我がものにしていた。
大王はディオゲネスに惹かれ、そのとき彼に語ったといわれる。
私は次にこの世に戻ってくるなら、アレキサンダーではなくディオゲネスに生まれたいと。
両極の片方に生きようとすることは間違いである。
それはどちら側にいるにしてもひどい状況を作り出す。
私たちは、その両方を生きなければならない。
家の中にいて外の方があたたかく感じたら、外の太陽を求めて家を出る。
逆に外が寒くなってきたら家に入って寒さを逃れる。
同じように、心の振り子も両側に揺れる必要がある。
その両方を行き来するのだ。
片方に生きようとして頑固にならずに、リラックスしなさい。
両極は同時には成り立たない、相反するものだけれど、だからといって片方だけを取ろうとする事が間違っている。
片方で生きようとするのは、人為的で作られた生き方であって自然ではない。
人と接するときにも、自分自身でいることと相手に合わせることの間で、どちらか片方ばかりでいる必要は無い。
あなたが他の人にいい感じを持っているときはそのように反応すればいいし、嫌な感じがし始めたら、ごめんなさい失礼しますと言えばいい。
嫌いな相手に無礼になれと言うことではなくて、ただ相手の嫌なことに苦しめられるのを黙って受け入れる必要はないと言うことだ。
どんなときでも、これがエチケットだと思って心と裏腹な自分を演じる必要は無い。
相手を大切にするなら、自分自身も大切にしなければならない。
片方だけを大事にしてしまうのは誠実な姿勢とは言えない。
孤独でいることは、あなたに平和、静寂、平静さ、瞑想的であること、意識や整合性の感覚を取り戻させる。
一方で他の人と接すること、愛は思いやり、祈り、サービスを学ぶことを助ける大事な役割を持つ。
それらは両方が必要で、お互いを強化し合うことができる。
外側は自分の内側の一部であり、あなた自身の内側は外側の一部である。
翼に両翼があるように、片方の翼だけでは自由に飛べない。
2つの世界を自由に行き来することを学ぶべきなのだ。
※以下のサイトよりのポイントを抜き出しました。
"The mind hankers for that which it has not got, and the mind gets bored with whatsoever it has got." - OSHO Talks