エゴとは何者?〜そして私の幸せとどう関係しているの?
身体に痛みがないとき、私たちは自分の身体があることなど忘れてしまいます。 頭痛がなければ、頭がついていることなど忘れている。どこかに頭をぶつけて初めて思い出すのです。
おなかが痛くならなければ、おなかってどこにあるのと思っている。 このように身体が正常に機能していれば、その存在はわざわざ意識したりしません。
ところが、心の問題となると、事情は全く異なります。まるで正反対に機能しているかのようです。 いつも何か気にしながら、これが納得できれば、次のことに関心が向かい、まるで問題がなくなると困るかのようです。
問題などなくなればいいと表面的には願っているけれど、実は何もなくなったら自分もいなくなってしまいそうで怖い。 この無くなるのが怖いものこそが、エゴなのです。
エゴは問題を探し出し、何もなければ新しく作り出しもするでしょう。 そうしておいて解決役として登場して、「これこそが自分です。私がいないと困るでしょう?」と思わせるのです。
ですから、そういうエゴの働きこそが自分だと思い出すのに時間はかからない。 だからこそ、問題が無くなって、心が空白になるのを恐れるのです。 そこではエゴが存在しなくなってしまうから、自分が消えてしまうと錯覚する。
人によって、身体の特定の部位が痛み出すとか、具合が悪くなりやすいということもあるでしょう。 そういった身体の部分は、存在を意識しやすくなる。いってみれば身体のエゴがそこにできあがっているわけです。
痛みを感じなくなるのは、別の意味で問題がありますが、意識しやすい痛みは、ちょっとしたきっかけで再現されやすくなります。 最初の存在理由を超えて、それ自体が活動するようになってしまうかのようです。
心のエゴの方は、普段からこれが自分自身だと思わされ続けているので、その存在を否定されたりすれば、自分の存在自身が攻撃されたように感じてしまいます。 このような仕組みが理解できれば、自分が普段誰に動かされているかが見えてくるようになるでしょう。
エゴのほとんどは、その瞬間には存在しなくてもいいものなのです。 エゴが登場するのは、自分の中で相反する方向に向かおうとする自分が複数存在するときです。 つまりそれらの異なる方向が正しいと思う自分同士が、お互いに譲らず葛藤を起こします。 それを何とか調停して、なだめようとしてエゴは様々な説明を考え出し、私の言うとおりにしていれば問題は解決しますと訴えます。
自分でその方向が見いだせないと、誰か他の人にすがりつきたくなります。 自分の葛藤を解決しないといたたまれないのですから、「私の言うとおりにしていれば問題は解決します」と断言してくれる誰かを見れば、簡単に信じたくなるのです。
さて、痛みがなければ身体を意識しないように、心の方も葛藤を作らなければ、問題は消失し、エゴもその存在理由をなくして消え去るでしょう。 葛藤が起きるようになるのはそもそもなぜかを考えれば、エゴの存在がその発生源であることにも思い当たるでしょう。
これこそが正しいと主張して、自分の存在理由を作り出すエゴがなければ、常に変化しない正しさなどもともと無いのです。 エゴが無理をしてその正しさを確保しようとがんばるから、その偏りが定着してしまうのです。
いずれその偏りは、反対方向の自分が自然に活動を始めようとすると障害になり、そこで葛藤が作り出されるわけです。 固定してしまった偏りがなければ、本来自由に動けたはずの自分までもが、障害に突き当たることになってしまうわけです。
それは、外にいる誰かが命令しているわけではありません。 さかのぼって考えれば、実際にそう主張する誰かがいたのかもしれませんが、それはそのときだけで消え去るものに過ぎなかった。 しかし、いつの間にか自分の中にそれが固着して、自分を本来の一体化した自分でなくしてしまうのです。
そのまま一つだけの自分のままでいれば、葛藤も存在せず、エゴも必要なくなります。 そのとき自分がいなくなるように感じるとしたら、それはあまりにも今までエゴと長くつきあってきたからに過ぎません。
自分を忘れて何かに夢中になっているとき、あなたは充実しているでしょう。 自分が不幸だとも幸福だとも感じないでいて、しかも生きている実感を感じられている。
惨めになるのは、これが自分だと作り上げたものを必死で守ろうとするから、それを誰かと比較して、がっくりとくるのです。 もともと自分がなければ、比較も発生しないわけです。 誰かと比較して優越感を感じ続けないと、自分の存在価値を認められないこともなくなります。
たいていの人が、そしてあなたも、いつも悩まされることのほとんどはここから生じてくるわけです。 一般に「あの人はエゴイストだ」といって非難する、わがままで自分勝手な人の持つエゴも、その原理は変わらないのです。 そのことに気づけば、誰かを必要以上に非難すれば、回り回って自分の首を絞めることになるのもわかるでしょう。
非難したがる自分とは、片方の味方をする自分のエゴに他ならないからです。 問題を解決するよりも、自分のエゴと向き合う方がずっとたやすく、その根源を絶つことができます。 問題をほしがる自分がいなくなれば、あなたは本当に自分と一体になれます。 エゴのゲームはもういらなくなるのです。
いま現在、躍起になって手に入れようとしているものも、もう欲しくはなくなります。 本当にそのとき必要なものがなければ、何かをかき集めようなどとしなくなるからです。
そして、本当の自分が何かなどと悩むこともなくなります。 比較対象がなければ、自分が誰かなど気にする必要は無いのですから。


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