難しい人と接するには
どう接していいのか困ってしまう人というのがあるものです。
たとえば敵対的な人たち、こうした人たちは相手が誰であっても攻撃的になるようです。
しかしそのような人たちが攻撃を続けるのは、相手に弱さを見つけたときであり、相手がそれに反応してくるときだということを知っておく必要があります。
相手は最初はあなたの反応にかかわらず、一方的に攻撃しようとします。
しかし誰か特定の人を狙っているのではないので、あなたが自分にそのような原因があるからだと悩むことはありません。
またその人は、誰かを攻撃することで満足を得られるわけではなく、どうにもならなくてそのような形で自分を表現するしかなかったのです。
しかしあなたの方は、相手のいいなりになる必要はありません。
攻撃相手であるあなたが自分に弱みがあることを認めて反応すると、相手の狙い通りになってしまいます。
しかし、あなたが自分にはそのような攻撃を受けるいわれはないと思って平然としていれば、相手は攻撃目標を見失っておとなしくなります。
攻撃する人は、自分が攻撃する側の役割を演じることで相手との関わりを持とうとしていますが、相手が犠牲者の役割を受け入れないでいると手応えを失って、それ以上どうしていいのかわからなくなります。
相手がこのように反抗してくれば、そこを狙って攻撃しようと待ち構えていたのですが、それをかわされてしまえば、もはやひとりでゲームを演じることは出来なくなるわけです。
あなたが攻撃的な人の役割に反応すればするほど、相手のゲームは白熱していき、彼のエゴは増大していきます。
ひとしきり相手を攻撃し尽くして疲れ果てるか、相手が降参するまでこれが続きます。
しかし攻撃側にとっても、そのあとの状態というのは、またやってしまったという惨めな気持ちを感じて終わってしまうのです。
どちらのためにもならないゲームには、例えその時は相手が不満そうでも、こちらは断固として関わらないのがお互いの利益になります。
たいていの人は非難され攻撃されてしまうと、何かしら自分に非があるのではという気になってしまうものですが、それが攻撃的な人が誰かれかまわず標的にしようとする理由でもあります。
言われのないことには、断固犠牲者にはならないという姿勢を崩さないことです。
ところで、攻撃側の役割を演じやすい人がいる一方で、犠牲者になろうとする人達もいます。
相手の言葉にちょっとでも非難めいたものを感じると、一気にへこんでいじけてしまうか、相手に傷つけられたことを強調して反撃しようとします。
それはまるで、自分が被害者でこんなにひどい目にあったと認めてもらいたがっているかのように見えるのですが、だからといって被害者だと認められても満足するわけではないのです。
子ども達が遊んでいる中、A君はこれは自分だけのおもちゃだと主張して仲間から離れてひとりでいじけています。
あなたが先生の立場なら、A君をどう扱えばみんなにとっていい関係が取り戻せるでしょうか。
A君の主張通り彼専用のおもちゃだと認めて、みんなも仲良くするようにと言ったところで誰も納得しないでしょう。
A君にすれば、自分のしたいことはおもちゃを独占することではないはずです。一時的にはそのような気になったとしても、望んでいることはみんなの仲間に入りたいわけです。
しかし、仲間に参加するやり方がわからずに、自分が知っているやり方で自分に注意を集めようとしたかったのでしょう。
また周りのなかまは、おもちゃのことよりもA君のやり方にどう接していいのかわからず戸惑っているだけでしょう。
自分が被害者になっていじけてしまう人を扱うには、相手のいいなりになったとしても何も解決しません。それは相手にとっても、そのようなやり方を助長することを手助けしてしまうので為にはならないはずです。
一時的には不満を示しているようでも、本当に望んでいる関係を取り戻せるように手助けするのが正解ではないでしょうか。
一般に、たとえそれで表面的な交友関係が途絶えたとしても、あなたは本来のあなたのあるがままのやり方を放棄すべきではありません。
誰かを自分のもとに留めておこうとか支配しようとかいった理由で、自分のやり方を歪めたり妥協すべきではありません。
逆に言えば、まわりの期待に合わせて自分を振る舞わせるなら、その報いを受けることを覚悟しておく必要があります。
報いとは、本当のあなた自身がわからなくなることです。
そして期待した反応が得られる間は喜んでいても、まわりの気まぐれで自分の気分が左右されてしまうことに気づき、どうしていいかわからなくなると他人を恨むしかなくなるという悪循環を繰り返すのです。
ある程度はまわりに合わせることも必要だというのは、もっともらしく聞こえますが本当にそうかどうかは自分で確かめた方がいいでしょう。
押しつけられることを期待してしまうのは、あなたがどこかでゲームを演じたいとまだ思っているからなのです。
相手に無理に合わせたあなたは、その見返りを相手に期待するのです。
逆に自分のやりたいようにしている人は、他人に期待して何かを恩に着せることもありません。
恩着せがましく何も押しつけてこない人は、あなたにとっても受け入れやすいひとでしょう。
また、彼自身もまわりに左右されないし、かといってまわりから孤立するわけでもありません。
無理にがまんして従順になることは、あなたが必要だと信じない限り必要なことではないのです。
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しかしあなたの方は、相手のいいなりになる必要はありません。
攻撃相手であるあなたが自分に弱みがあることを認めて反応すると、相手の狙い通りになってしまいます。
しかし、あなたが自分にはそのような攻撃を受けるいわれはないと思って平然としていれば、相手は攻撃目標を見失っておとなしくなります。
攻撃する人は、自分が攻撃する側の役割を演じることで相手との関わりを持とうとしていますが、相手が犠牲者の役割を受け入れないでいると手応えを失って、それ以上どうしていいのかわからなくなります。
相手がこのように反抗してくれば、そこを狙って攻撃しようと待ち構えていたのですが、それをかわされてしまえば、もはやひとりでゲームを演じることは出来なくなるわけです。
あなたが攻撃的な人の役割に反応すればするほど、相手のゲームは白熱していき、彼のエゴは増大していきます。
ひとしきり相手を攻撃し尽くして疲れ果てるか、相手が降参するまでこれが続きます。
しかし攻撃側にとっても、そのあとの状態というのは、またやってしまったという惨めな気持ちを感じて終わってしまうのです。
どちらのためにもならないゲームには、例えその時は相手が不満そうでも、こちらは断固として関わらないのがお互いの利益になります。
たいていの人は非難され攻撃されてしまうと、何かしら自分に非があるのではという気になってしまうものですが、それが攻撃的な人が誰かれかまわず標的にしようとする理由でもあります。
言われのないことには、断固犠牲者にはならないという姿勢を崩さないことです。
ところで、攻撃側の役割を演じやすい人がいる一方で、犠牲者になろうとする人達もいます。
相手の言葉にちょっとでも非難めいたものを感じると、一気にへこんでいじけてしまうか、相手に傷つけられたことを強調して反撃しようとします。
それはまるで、自分が被害者でこんなにひどい目にあったと認めてもらいたがっているかのように見えるのですが、だからといって被害者だと認められても満足するわけではないのです。
子ども達が遊んでいる中、A君はこれは自分だけのおもちゃだと主張して仲間から離れてひとりでいじけています。
あなたが先生の立場なら、A君をどう扱えばみんなにとっていい関係が取り戻せるでしょうか。
A君の主張通り彼専用のおもちゃだと認めて、みんなも仲良くするようにと言ったところで誰も納得しないでしょう。
A君にすれば、自分のしたいことはおもちゃを独占することではないはずです。一時的にはそのような気になったとしても、望んでいることはみんなの仲間に入りたいわけです。
しかし、仲間に参加するやり方がわからずに、自分が知っているやり方で自分に注意を集めようとしたかったのでしょう。
また周りのなかまは、おもちゃのことよりもA君のやり方にどう接していいのかわからず戸惑っているだけでしょう。
自分が被害者になっていじけてしまう人を扱うには、相手のいいなりになったとしても何も解決しません。それは相手にとっても、そのようなやり方を助長することを手助けしてしまうので為にはならないはずです。
一時的には不満を示しているようでも、本当に望んでいる関係を取り戻せるように手助けするのが正解ではないでしょうか。
一般に、たとえそれで表面的な交友関係が途絶えたとしても、あなたは本来のあなたのあるがままのやり方を放棄すべきではありません。
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逆に言えば、まわりの期待に合わせて自分を振る舞わせるなら、その報いを受けることを覚悟しておく必要があります。
報いとは、本当のあなた自身がわからなくなることです。
そして期待した反応が得られる間は喜んでいても、まわりの気まぐれで自分の気分が左右されてしまうことに気づき、どうしていいかわからなくなると他人を恨むしかなくなるという悪循環を繰り返すのです。
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