余裕を持つこと
余裕を持つことの必要性について書いてみます。
最初に以前も紹介した牛をさばく料理人(荘子 養生主篇)の話で、達人はこのように言います。
牛に向かって自然の摂理に逆らわないようにしていれば、骨や筋と肉のあいだの隙間がみつかります。その隙間にしたがって切り開いていけば、今のように鮮やかに肉と骨を切り裁くことが出来るのです。
その隙間をうまく見つけないとき、肉の中を切り裂いて骨に肉を残したり、硬い骨や筋を無理やり切ろうとすれば包丁はすぐにダメになってしまいます。

この隙間が「余地」というものです。
余地を残さない仕事は、無理な力が入って余裕のない動きになってしまいます。
また人との関係でも余地を考えないやりかたは、ギスギスしてぎごちないものになってしまうのです。
相手の逃げる「余地」を残さないで追い詰めることは、相手の必死の反撃をまねくのでよくないのだということは兵法でいわれることですが、これも「窮鼠猫を噛む」と表現されているのはよく知られていますね。
余地はまた、「遊び」という表現でも使われます。
操作を行う機械類には「遊び」が必要なものがありますね。
操作しても実際に機械の動作に反映されない余裕のようなものです。
例えば自転車のブレーキなども適当な遊びがないと、一気にブレーキが働いたのでは返って危険です。チェーンも少し遊びを持たせないと負荷がかかりすぎて切れやすくなります。
列車のレールのつなぎ目には、寒暖の差でレールが延び縮みすることを考慮して遊びを持たせるのはよく知られていますね。
思考というのは白黒をハッキリさせてしまう傾向があるので、どうしても余裕のないものになりがちです。
先程の例で言えば、ここまでは肉でここからは骨とハッキリ決めてしまうので、その隙間については考えようとしないのです。
仕事と余暇も思考に頼るとお互いに相容れない排他的なものに捉えてしまいます。
学校や仕事で会社に出かけて時間に縛られることになれている人は、休みの日になると何をしていいのかわからなくなることがありますね。
強制的に今は仕事の時間、今は休憩の時間と分けられてそれに慣らされてしまうために、外側の決まりに自分を合わせることが普通になってしまうのです。
そのため外側から拘束されない時間が出来てしまうと、今の自分が「仕事」にいるのか「余暇」にいるのかがわからず困ってしまうわけです。
慣れている状態に戻そうと、家にいるときも時間割を作って今はどちらの状態かをハッキリさせようとしてしまいます。
思考にはそのような区分けが似合っていますから、いまは「余暇」の時間だと指示されても、思考の生み出すお仕着せの余暇でしかなくなってしまいます。

無理やりいまは何もしなくていいとか、何かリラックスできることをしなければいけないと強要されている感じになってしまうのです。
こうして、仕事とも余暇ともつかない時間を過ごす中途半端なものが休日の過ごし方になってしまいます。
じつは本来は時間に縛られることもなかったはずですし、仕事をする時間帯とか、休憩する時間帯という区別が元からあったわけではありません。
外側から自分をしばることに慣らされた結果の作られた時間でしかないのです。
知識や思考がこのような論理的な区別で作られる傾向があるのに対し、余裕を持った生き方をもたらすものは知恵と呼べるかもしれません。
変化しない固定された知識とそれを操る思考に対して、融通の利く余裕を持った生き方は知恵に頼らなければいけないものなのでしょう。
知恵とは知識の蓄積は少なくても、経験の積み重ねから生み出されるものです。
思考が生み出す作られた余裕のないやりかたではなく、体験に基づいた自然の流れに逆らわないやり方です。
このような知恵の働きを取り戻すには、思考を止めることが必要です。
思考が働いている間は、固定された変化のない情報をこね回すばかりで、現実との接点を失ってしまいます。

知恵は古い習慣にとらわれずにものを観るやり方です。
古い問題を古いまま扱う思考に対して、新しい視点で問題を見直すのが知恵の働きです。
思考に流れてしまうのをストップしてみれば、曖昧な状態を取り戻せます。
思考が作りだした「いまは○○の時間」という時間の中に生きるのではなく、その時間と時間の「隙間」をとらえることで、本来の思考に左右されない生の流れを取り戻すことが出来ます。
余裕とはもともとは、時間やお金によってもたらされるものではなく、「隙間」とか「余地」を捉える能力を回復すればいつでも瞬時にもたらされるものだったはずです。
それは、いくら計画を立てても得られるものではないのです。
計画することは、思考の方を活性化して固定された領域からの結論しかもたらさないのです。
お仕着せのレジャーなどいくら計画しても何ら余裕を取り戻さないのは、こう言った理由からだと思えば納得できるのではないでしょうか。
それはまるで、義務的に何かの仕事をかたづけたのと同じなのです。
思考の隙間にある自分を取り戻して余裕とは何かを思い出しましょう。
思考や計画に頼らないで答えを見つける能力を回復するのです。
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牛をさばく料理人
いまここでの体験
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その隙間をうまく見つけないとき、肉の中を切り裂いて骨に肉を残したり、硬い骨や筋を無理やり切ろうとすれば包丁はすぐにダメになってしまいます。

この隙間が「余地」というものです。
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余地はまた、「遊び」という表現でも使われます。
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操作しても実際に機械の動作に反映されない余裕のようなものです。
例えば自転車のブレーキなども適当な遊びがないと、一気にブレーキが働いたのでは返って危険です。チェーンも少し遊びを持たせないと負荷がかかりすぎて切れやすくなります。
列車のレールのつなぎ目には、寒暖の差でレールが延び縮みすることを考慮して遊びを持たせるのはよく知られていますね。
思考というのは白黒をハッキリさせてしまう傾向があるので、どうしても余裕のないものになりがちです。
先程の例で言えば、ここまでは肉でここからは骨とハッキリ決めてしまうので、その隙間については考えようとしないのです。
仕事と余暇も思考に頼るとお互いに相容れない排他的なものに捉えてしまいます。
学校や仕事で会社に出かけて時間に縛られることになれている人は、休みの日になると何をしていいのかわからなくなることがありますね。
強制的に今は仕事の時間、今は休憩の時間と分けられてそれに慣らされてしまうために、外側の決まりに自分を合わせることが普通になってしまうのです。
そのため外側から拘束されない時間が出来てしまうと、今の自分が「仕事」にいるのか「余暇」にいるのかがわからず困ってしまうわけです。
慣れている状態に戻そうと、家にいるときも時間割を作って今はどちらの状態かをハッキリさせようとしてしまいます。
思考にはそのような区分けが似合っていますから、いまは「余暇」の時間だと指示されても、思考の生み出すお仕着せの余暇でしかなくなってしまいます。

無理やりいまは何もしなくていいとか、何かリラックスできることをしなければいけないと強要されている感じになってしまうのです。
こうして、仕事とも余暇ともつかない時間を過ごす中途半端なものが休日の過ごし方になってしまいます。
じつは本来は時間に縛られることもなかったはずですし、仕事をする時間帯とか、休憩する時間帯という区別が元からあったわけではありません。
外側から自分をしばることに慣らされた結果の作られた時間でしかないのです。
知識や思考がこのような論理的な区別で作られる傾向があるのに対し、余裕を持った生き方をもたらすものは知恵と呼べるかもしれません。
変化しない固定された知識とそれを操る思考に対して、融通の利く余裕を持った生き方は知恵に頼らなければいけないものなのでしょう。
知恵とは知識の蓄積は少なくても、経験の積み重ねから生み出されるものです。
思考が生み出す作られた余裕のないやりかたではなく、体験に基づいた自然の流れに逆らわないやり方です。
このような知恵の働きを取り戻すには、思考を止めることが必要です。
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それはまるで、義務的に何かの仕事をかたづけたのと同じなのです。
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