災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候
ものごとは刻々変化して、ずっと同じ状態のものはありません。
悪いことは、それがずっと続くわけではありません。
良いことも、それがずっと続くわけではありません。
痛みもそのうち忘れます。
快感もずっとそのままは続きません。
このように言葉にすれば、「その通りだね、当たり前だね」と誰もが受け入れるのです。
しかし、実際に私たちが考えていることは、この事実を受け入れずに、頻繁にねじ曲げていることに気づいているでしょうか。
そして、この事実を認められないことが、さまざまなやっかいごとを引き起こしているということをです。
例えば、おなかが痛くなるのを、ずっと気にしている人がいるとします。
「急におなかが痛くなったらどうしよう!」と起きてもいないことで「いま」を苦しみます。
「痛みがずっと続いたらどうしよう!」
「私はよくおなかが痛くなるから、きっと、もうすぐ痛み出すに違いない。」
「あのときの痛さを思い出すと、不安でもう何もする気になれない。」
などなど、予期不安に悩んで、「いま」存在しない痛みを作りだしてしまうのです。
一方で、これとは逆の幻想を作り出そうとする人もいます。
「先のことはどうなるかわからないもんだ。
あれこれ考えるから問題が起きるんだ。
何も考えないでいたら平気なんだよ。」
と悟ったようなことを言います。
しかし、この「極楽とんぼ」を無理に演じようとする人も、実際は長くは続きません。
いざ問題が発生すると慌てふためき、「極楽とんぼ」など放り投げてしまって、どうしていいのかわからず頭を抱えてしまうのです。
どちらの態度にしても、同じ状態がずっと恒久的に続くのだと無理に信じ込もうとしているわけです。
瞬間、瞬間で事態は変化するという事実をすり替えているのです。
しかし実際に起こることというのは、ある瞬間には満足している自分がいて、次の瞬間には不満足な自分がいるといったぐあいなのです。
そうした予測出来ないイベントの集まりが一つずつ目の前を過ぎていきます。
同じ状態で止まることはありません。
これを、どちらかが恒久的に続いていくという幻想にすり替えてしまうから、変化を受け入れようとしない無理な自分が悲鳴をあげることになるのです。
最初に述べた当たり前の事実は、簡単に無視され、ねじ曲げられてしまいます。
予期不安や心配性の人というのは、悪いことが恒久的に続くことを想像しやすく、それがその人には実際の現実よりもリアルな世界のように見えているのです。
またその一方で、予測出来ない現実というものを、何とか予測出来るかのように信じたいと思う人もいるわけです。
そして「これさえ信じていれば問題など起こらないのだ」という予言を作りだしてしまうのです。
どちらにしても、現実から少しずれた所に自分の信じる現実を作りだして、その中を生きようとします。
あえてそれを選ぶからには、それなりの理由があったのかも知れません。
いまもそのやり方を使うことで、何か他の問題を回避しようとしているのでしょう。
そうでなければ、さっさとやめてしまうはずです。
この現実からのずれは、やがてそれぞれの不適応を生み出してしまうでしょう。
現実というのは、期待通りではなく、また良くも悪くもないものです。
もし、すべてが予測可能になってしまったら、はたして生きる意欲は湧いてくるでしょうか?
この当たり前の事実を受け入れれば、より地に足の着いた生き方が出来ます。
すぐに化けの皮が剥がれるような、無理な思考で生きようとしても長く続くものではありません。
それでも何とかなるのではないか、何か方法があるかも知れない、と探ってみたい気持ちがある間は、思いっきり現実に背を向けて抵抗してみればいいでしょう。
それがことごとく敗北に終わるとわかれば、きっぱりあきらめる事も出来るでしょう。
あきらめの悪い人は、納得いくまでやってみることです。
そうしないと、自分自身で経験した結果からの自分の選択が出来ません。
その代わりに、だれかの考えを取り込んでお茶を濁すことになって、いつまでも自分自身に立ち戻れないからです。
実際のところ何が正解かは、誰がどういおうとわかりませんからね。
でも、あるときは痛みを感じている自分が存在し、あるときは何の不安もない自分を過ごし、あるときはうれしさで歓喜している自分がいる...
これがおそらく誰もが経験してきた現実の描写に近いだろうというのは、皆さん認めるのではないでしょうか。
それは、画期的でもセンセーショナルでもなく、期待はずれに見えるかもしれません。
期待していった旅先がいつもと変わらない退屈さばかりで、疲れきって返ってくる旅行のようなものかもしれません。
ですが、地に足の着いた生き方は、他のどんな作為的な生き方よりもリアルで実感のあるものであろうと期待できます。
予測が不可能というスパイスはかけがえのないものかもしれません。
そしてそれに逆らおうとしなければ、「災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候」という良寛の言葉もすんなりと受け入れられるような気がするのです。
[関連記事]
過去とどう付き合うか
悪いことは、それがずっと続くわけではありません。
良いことも、それがずっと続くわけではありません。
痛みもそのうち忘れます。
快感もずっとそのままは続きません。
このように言葉にすれば、「その通りだね、当たり前だね」と誰もが受け入れるのです。
しかし、実際に私たちが考えていることは、この事実を受け入れずに、頻繁にねじ曲げていることに気づいているでしょうか。
そして、この事実を認められないことが、さまざまなやっかいごとを引き起こしているということをです。
例えば、おなかが痛くなるのを、ずっと気にしている人がいるとします。
「急におなかが痛くなったらどうしよう!」と起きてもいないことで「いま」を苦しみます。
「痛みがずっと続いたらどうしよう!」
「私はよくおなかが痛くなるから、きっと、もうすぐ痛み出すに違いない。」
「あのときの痛さを思い出すと、不安でもう何もする気になれない。」
などなど、予期不安に悩んで、「いま」存在しない痛みを作りだしてしまうのです。
一方で、これとは逆の幻想を作り出そうとする人もいます。
「先のことはどうなるかわからないもんだ。
あれこれ考えるから問題が起きるんだ。
何も考えないでいたら平気なんだよ。」
と悟ったようなことを言います。
しかし、この「極楽とんぼ」を無理に演じようとする人も、実際は長くは続きません。
いざ問題が発生すると慌てふためき、「極楽とんぼ」など放り投げてしまって、どうしていいのかわからず頭を抱えてしまうのです。
どちらの態度にしても、同じ状態がずっと恒久的に続くのだと無理に信じ込もうとしているわけです。
瞬間、瞬間で事態は変化するという事実をすり替えているのです。
しかし実際に起こることというのは、ある瞬間には満足している自分がいて、次の瞬間には不満足な自分がいるといったぐあいなのです。
そうした予測出来ないイベントの集まりが一つずつ目の前を過ぎていきます。
同じ状態で止まることはありません。
これを、どちらかが恒久的に続いていくという幻想にすり替えてしまうから、変化を受け入れようとしない無理な自分が悲鳴をあげることになるのです。
最初に述べた当たり前の事実は、簡単に無視され、ねじ曲げられてしまいます。
予期不安や心配性の人というのは、悪いことが恒久的に続くことを想像しやすく、それがその人には実際の現実よりもリアルな世界のように見えているのです。
またその一方で、予測出来ない現実というものを、何とか予測出来るかのように信じたいと思う人もいるわけです。
そして「これさえ信じていれば問題など起こらないのだ」という予言を作りだしてしまうのです。
どちらにしても、現実から少しずれた所に自分の信じる現実を作りだして、その中を生きようとします。
あえてそれを選ぶからには、それなりの理由があったのかも知れません。
いまもそのやり方を使うことで、何か他の問題を回避しようとしているのでしょう。
そうでなければ、さっさとやめてしまうはずです。
この現実からのずれは、やがてそれぞれの不適応を生み出してしまうでしょう。
現実というのは、期待通りではなく、また良くも悪くもないものです。
もし、すべてが予測可能になってしまったら、はたして生きる意欲は湧いてくるでしょうか?
この当たり前の事実を受け入れれば、より地に足の着いた生き方が出来ます。
すぐに化けの皮が剥がれるような、無理な思考で生きようとしても長く続くものではありません。
それでも何とかなるのではないか、何か方法があるかも知れない、と探ってみたい気持ちがある間は、思いっきり現実に背を向けて抵抗してみればいいでしょう。
それがことごとく敗北に終わるとわかれば、きっぱりあきらめる事も出来るでしょう。
あきらめの悪い人は、納得いくまでやってみることです。
そうしないと、自分自身で経験した結果からの自分の選択が出来ません。
その代わりに、だれかの考えを取り込んでお茶を濁すことになって、いつまでも自分自身に立ち戻れないからです。
実際のところ何が正解かは、誰がどういおうとわかりませんからね。
でも、あるときは痛みを感じている自分が存在し、あるときは何の不安もない自分を過ごし、あるときはうれしさで歓喜している自分がいる...
これがおそらく誰もが経験してきた現実の描写に近いだろうというのは、皆さん認めるのではないでしょうか。
それは、画期的でもセンセーショナルでもなく、期待はずれに見えるかもしれません。
期待していった旅先がいつもと変わらない退屈さばかりで、疲れきって返ってくる旅行のようなものかもしれません。
ですが、地に足の着いた生き方は、他のどんな作為的な生き方よりもリアルで実感のあるものであろうと期待できます。
予測が不可能というスパイスはかけがえのないものかもしれません。
そしてそれに逆らおうとしなければ、「災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候」という良寛の言葉もすんなりと受け入れられるような気がするのです。
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